土曜日はアウスタでセレッソ戦。
キックオフぎりぎりで何とか現場には到着。コパルちゃん運転による「ベンツでキックイン」という、浮かれた、強引な企画がまずもって嫌な感じがした…とはいえ、コパルの運転が荒すぎて笑ったが。
連戦の条件はどのチームも変らないが先制点を獲られた後のパスのズレは疲労の影響もあるのかもしれない。しかしゲームの入りは悪くなかったと思うし、セレッソの先制点までのゲームコントロール、パスワークは決して悪いものではなく、むしろ連勝の勢いさえ感じさせるものだったと思う。いかに先制点が、ゲームコントロールはもちろん、メンタルに与える影響が大きいか。だからこそ「何が何でも」といったふうに、文字通りのラストプレーで同点に追いついた場面のスタジアムは、ドローながら、勝ちに等しい盛り上がりを見せ、あの「発狂ゲーム」だった去年のホームでのセレッソ戦を彷彿とさせるものがあった。
序盤戦のドローは負けに等しいが、まあ10節も過ぎたし、ドローでもオッケーか、とか。
先制されたまま、後半10分から30分にかけてタカ、ジミー、大悟を投入した時点で清水の圧力はさらに強まり、アディショナルタイム突入前から決定的なチャンスを作っていく(外していく)。
タカはゲーム後のコメントでパワープレーを否定的に語っていたけれども、パスの起点となる大悟が投入されたとはいえ、清水の圧力でセレッソのラインが下がり、徐々にスペースがなくなっていく中、元紀、トシを外してタカ、ジミーを投入したということは、それはどう考えてもパワープレーを選択肢の中に入れろというアフシンのメッセージだったのではないか(もちろん、それ一辺倒にすべきとは思わないけれども)。例え「自分たちの美しいサッカー」の中にパワープレーという選択肢がなくても、あの場面ではもっと放り込む場面が増えても良かったはずだと思う。思うように「自分たちのサッカー」でゲームをコントロールできない場面で、力づくでもゴールをもぎ取るというのはそういうことである。
アフシン「チャンピオンになれるチームというのは、こういうことができるのだと思います。34試合美しいサッカーをやって、自分達のやりたいことだけができるわけではなく、やはりこういう試合もあるということです。そこで、我々が闘争心を持ち、最後まで諦めずに戦い続けて行くことだと思います」(Sの極み 5月12日付)
「チャンピオン」かどうかは年末にならなければわからないけれども、アフシンのいう「チャンピオンになれるチーム」というのはそういうことだろう。
しかし信じられないことにセレッソは、この清水の猛攻の中で何回かカウンターの決定的なチャンスを掴みながらきっちりと「シュートで終わる」、または「相手エリアでボールつなぐ」といった、時間を使う定石プレーをほとんどせず、点を獲りたいんだか獲りたくないんだか、わけのわからない中途半端なカウンターで追加点のチャンスを潰し続ける(もちろん林の好守も光った)。
去年のホームでの対戦でもそうだったのだけれども、清武が交代時にちんたら歩いてタッチまでやってきて交代の吉野と抱き合う前に小さくガッツポーズをしたのも、ラストプレーの同点ゴールでまったく意味がなくなってしまった。
またGKのキム・ジンヒョンのつまらないアピールも終始そうだったが、定石プレーはしないくせに、なぜそういう余計なアピールで時間を浪費しようとするのか。アンチフットボールなアピールプレーでは時間など消費できないのがわかっているはずなのに、である。その姿を見てすっかり頭に血が上り、去年に続いて清武やキム・ジンヒョンに対して大人気なく罵声を浴びせかけたスタンドの連中はすっかり溜飲を下げた。
なぜセレッソはプレーで鹿島らなかったのか。鹿島ってくれた方が余程、正しくフットボールらしいというものである(あれは相手の闘志を萎えさせる効果がある)。
ということで、いくらソアレス監督が、
「我々はロスタイムも含めて、しっかりと耐え切ることができたのですけれども、そこでレフリーの方が試合が終わったにも係わらず、試合を続けられて、試合がおわった後に同点ゴールを決められてしまったと。そういう不運があったかと思います」(Sの極み 5月12日付)
と愚痴ったところで、要するにレフリーが、ではなく、セレッソが「ゲームを終わらせなかった」ということになる。
ミッドウィークでナビ予選神戸戦を挟んで、今週末は埼スタでレッズ戦。
劇的な、今季初ドローを意味あるものにするために勝つ。ドローの次のゲームというのは、それを「負けなしドロー」にするか、「勝ちなしドロー」にするかの瀬戸際だからね。
3分「も」している仙台が現在首位にいるのは、要するにそういうことである。
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