趣味多忙日記

リアルに作るだけが模型じゃない、思うまま気ままに模型製作。
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架空鉄道をたらたら語る

2010-10-13 01:29:18 | ◆架空鉄道 豊岡電車の設定
明日はゼミの発表よん♪

さっきまでゼミ仲間と打ち合わせをしておりました。


サテ。

架空鉄道の設定を考えちゃう回です。

折角新モジュも着工したことだし、設定も心機一転ね。


相変わらず大学ノートに手書きの路線図♪



に、パソコンで描き加えた簡単な地形図も(^^



(路線図フルサイズ版:クリックで拡大↓)


会社名は「陶彩交通」です。

以下だらだらと書きますので、適当に読み飛ばしてちょ♪

なお、路線図は昭和末期頃という設定でお願いします。






明治期

・「渡」(現:団子屋通の西の河原)から、門前町「永保寺」まで、荷馬車業者による「池田参宮軌道」開通

・当初は馬車動力、後にガソリン動力に変更。

・高洲(現:御犬様橋)まで延長も、資金不足により池田に到達できず

・南部の豊岡のはずれに良質な石灰石鉱床が見つかる

・欧米の技師を招き石灰石輸送の為の株式会社「豊岡鉱業」設立

・高洲に架ける橋を共同で架けることになり、池田参宮に資金提供の後、買収。

・鉄骨の併用橋「御犬様橋」を架橋し、鉄道線「大美山-池田(現:東池田)」開通、国鉄連絡開始

・高洲駅を御犬様橋駅に改名

・軌道線を池田宿方面へ延伸、高洲-池田宿(現:本宿)間開業


大正期

・石灰輸送から得た資金で路線延長を計画

・軌道線を池田宿から今渡まで延長。

・鉄道線池田から豊岡町までの区間で旅客取扱い開始

・電力会社買収、軌道線全線電化


昭和期

・路線を大美山から和泉温泉に延長するとともに、旅客取扱い開始

・池田から和泉温泉へ急行列車を運転、旅客取扱量が戦前最大を記録

・戦争により鉄道線の運転本数激減、急行列車は廃止

・戦時下政策により、西の「内津軌道」東の「浅野鉄道」及び沿線の事業者を買収

・豊岡鉱業から独立、「陶彩交通株式会社」設立、豊岡鉱業の子会社に

・戦後混乱期、車輌不足から自社工場にて車輌を大量製造して対応

・鉄道線池田から豊岡町まで電化

・御犬様橋の裏手の丘陵地帯を開発、池田遊園地開業

・御犬様橋-池田遊園地間「モノレール線」が開通

・国鉄池田駅移転、従来の池田駅は「東池田」駅に

・軌道線池田駅前電停開業

・鉄道線車輌の軌道線池田駅前までの乗り入れ開始、東池田-御犬様橋間の旅客営業休止

・高度成長に伴う石灰需要の増大により、貨物列車増加

・道路整備により旅客減、内津軌道廃線に

・和泉温泉-記念橋間、旅客取扱量減少に伴い廃線

・不動産業での失敗により、豊岡鉱業の経営悪化

・旅客事業赤字に転落、貨物事業は維持

・豊岡鉱業が陶彩交通株を売却、名鉄傘下に

・利用減と設備老朽化により、浅野線バス転換・廃線

・今渡-市役所前廃止

・道路混雑の悪化に伴い、鉄道線車輌の池田駅前乗り入れが中止、東池田-御犬様橋間で旅客営業再開

・貨物取扱を大幅に縮小、石灰輸送以外は東池田-御犬様橋間のみの取扱いに



平成期

・軌道線車輌による池田駅前-豊岡町間直通運転開始

・全線でワンマン運転開始

・不動産価額高騰のどさくさで池田遊園地を売却、一時的に黒字に

・利用客減少に伴い、鉄道線大幅減便

・石灰輸送列車がトラックに転換され、記念橋-豊岡町間が廃線に

・名鉄が株を売却、市・県の出資企業に

・貨物取扱全線で廃止、東池田-御犬様橋間の貨物線廃線に

・モノレール線廃線

・環状道路整備による渋滞緩和により、鉄道線車輌の池田駅前乗り入れが再開

・同時に、東池田-御犬様橋間の旅客営業廃止


現在

・軌道線(市役所前-池田駅前-御犬様橋-永保寺前)、鉄道線(御犬様橋-豊岡町)を営業

・鉄道事業の赤字をバス事業と補助金により補填してなんとか生計を立てている

・軌道線(池田駅前-市役所前)廃止を申請も、沿線の猛反対を受け、協議中

・豊岡町-御犬様橋間については、増発による利便向上を図るも、利用客減少に歯止めかからず


豊岡町-池田駅前間は、並行バス路線に時間・運賃・本数とも負けており、

日中は30分ヘッドで運行するも、利用客はまばらです。

途中白子駅には隣接して高校があることから、朝夕は多少の利用があります。

軌道線については、道の狭い地区を通ることから、バスの影響をそれほど受けず、

永保寺前-池田駅前間でそこそこの利用があります。


…( ´_ゝ`)ふーん て感じですよねw
コメント (7)
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転機かな?

2010-09-30 01:12:25 | ◆架空鉄道 豊岡電車の設定
中学3年の夏にはじめて、今年の夏で6周年を迎えた

裏で運営していたHP「森川鉄道」ですが…

10月いっぱいで、使用しているInfoseekのHPサービスが終了することになりまして。

当然、移転先を探す必要があるんですが…


どうしようねぇ?


昔GMAXで作成したSimcity用の建物データ(↓こういうの)は


今でも月に1~2件のダウンロードがあるので、需要はあるんだろから、残すべきだけど。

「森川鉄道」の設定とその頃作ってた模型作品って残す需要あるかな?


ってコトで、現時点での構想。

・現状のHPは「森川鉄道」のHP名+“211"のHNでどっかに移転する。

・ただし、豊岡電車以降の模型作品群の紹介ページについては、“かんだーら”のHNで新HPに移行する。


最近は環境的にシムシティできないからそっちのコンテンツの更新はありえないし、

かといって現状のように模型+シムシティの構成にしてると、模型で更新したのがRSSとか経由で飛んでって

シムシティ向きの方にあらぬ期待をさせてしまうし…。

いっそ、分離したほうがいいんでね?ってコトですわ。


いや、最初はこのまま「森川鉄道」を自然消滅させて

しれっと「豊岡電車」の名でHP作り直そうかとか考えてたんですけどね。

アクセス解析見ると僅かだけど需要があるみたいだったんで。


ごめんなさい、ここまでは完全にチラシの裏でしたw

多分HP見てココ見てる人、少ないでしょうしね(^^;


「豊岡電車」の設定をもうちょっと煮詰めてみようかな?ってコトで、

とりあえず車輌設定をちょろちょろっと考えてみました。

最近あんまりコッチの車輌作ってなかったけど、そろそろ何か作ろうかな?


------------------



[704号車]

地方私鉄が頑張っちゃった系の新性能電車。

今も豊岡電車の主力、というか後継車がなかなか登場しないから、頑張らざるを得ない感じ。

急行運用時は2連になるけど、イマイチ相方がパッとしない。



[353号車]

↑の相方になる予定だった子。営団地下鉄から車体を買ったらしい。

TCなのにパンタ乗っけてたりするから、急行運用時の足枷に。何故パンタ載せた?w

車内は一応クロスシート。



[1751F]

↑↑の代替をさせる予定で豊橋鉄道から買ってきた。

急行運用の為にクロスシートとクーラー載せたら重過ぎて速度が出せなかったらしく、

各停のサービス向上と本数削減に貢献した偉大な子。



[105号]

厚化粧な旧型車。

とうに後継車は登場してるのに、なかなか運用から外れてくれないタフな奴。

一時期、704号の相方を務めていたというツワモノ。



[601号]

親会社に押し付けられた旧型車。

4ドア20m車体は収納力があり、車場で倉庫として大活躍。

冬季は除雪に、夏季は保線に休線の線路維持にとその性能を発揮しまくっちゃってくれてます。



[1002号車・1053号車]

オンボロを駆逐するために親会社から買ったオンボロ。

もと特急車。豪華な内装は乗客に人気も、乗客が乗りすぎると坂が登れない困った子。

ただ、単行運転もできて使い勝手が良かったのか、それなりに活躍。



[209号車]

戦後製造された急行用車輌の残党。

それなりに力があり、急行運用以外でも混合列車の運用等に活躍していた。

性能的には既に前世代だけど、後継車も金も無いから走らせざるを得ない。



[711号車]

いわゆる古参。もはや骨董品。でもファンの間では人気者。

走らせるといろんなお金が集まる、客寄せパンダ。

毎年、決算が近くなるとなぜか日中にあちこちの側線をうろうろ。撮る時は入場券を買いましょうね。



-------------------

…ごめんなさい。

やっぱ全部チラシの裏でしたw
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豊岡電車の設定(2) 沿革

2010-01-20 00:10:27 | ◆架空鉄道 豊岡電車の設定
模型鉄道「豊岡電車」の設定、続編です。

(1)はこちら


さて、豊岡電車の舞台となる豊岡地区、

開業前は次のような村落が広がっていました。

国鉄は地区の端をかすめるように通っています。




当時、陶磁器の一大生産地だった砂原町は、

豊岡駅まで大八車でタイルやどんぶりを輸送していました。

しかし、滝老町前後に地盤が弱い道があったため、輸送量が増えず、

今後の発展のために、砂原の陶工達は鉄道を誘致することを決めました。


有力者の協力もあり、戦前に「豊岡電気軌道」(以下 豊岡電軌)が

豊岡町駅-砂原駅間を開通させました。

当時は、道路沿いの併用軌道を、路面電車が貨車をひっぱって

ごろごろ走っていたのだそうです。




豊岡電軌の経営は順調で、特に貨物取扱量は

開業からうなぎ登りに増えていったそうです。

数年後、路線は砂原から、山奥の温泉街鍵野まで延長され、

豊岡町から鍵野まで大型の急行電車が走り始めました。




同じ頃、南の瀬樋(せとい)町の記念橋から栄城までの鉄道が開通。

蒸気動車が走るようになりました。

後にこの路線は電化され、大型の電車が行き交うようになります。

また、山奥の田園地帯だった羽田川村に軍需工場が作られることになり、

砂原の市街地のはずれから羽田川までの軽便鉄道が開通しました。

この時、接続地点となる場所に駅を設けることになりましたが、

当時手狭になりつつあった砂原駅を砂原役場前駅と改称すると共に、

車庫や車両工場とともに砂原のはずれに移設、新「砂原駅」が誕生することになります。




戦後、復興と共に観光需要が急増し、

豊岡電軌は旅客・貨物とも、取扱量が過去最高を記録します。

一方で、軍需工場閉鎖により目的を失った軽便線は経営が悪化、

豊岡に助けを求める形で吸収され、豊岡電軌初の支線が誕生します。

また、瀬樋の記念橋から温泉街、岩宿まで電車が走るようになりました。




高度成長期に入ると、道路整備が盛んになり、

特に軽便線の貨物取扱量が減少しました。

そこで、豊岡電軌は軽便線を改軌し、野倉町支線として再生させます。

これは相当な大工事で、軟弱な粘土質の土を掘り返した上に硬い土を充填、

改軌した線路を敷設するというものでした。

また、この時期相次いで天災が発生し、

鍵野への線路が3度にわたり流される被害が発生しました。

鍵野温泉への急行が旅客の柱だっただけに、不通による運休が及ぼす影響は大きく、

豊岡の体力は急激に消耗し、3度目の災害時には復旧させるだけの資金が不足、

平行道路の整備により、旅客がバスに流れることも考えられたため、

泣く泣く、砂原役場前から先を廃線とし、急行も運転を中止することになりました。




旅客の柱を失った豊岡電軌は急速に経営が悪化。

平行道路の整備は進み、路面区間を有する電車はバスより時間がかかるようになり、

旅客の取扱量は目に見えて減っていきました。

また、野倉町支線ももともとが軽便線だったため速度が出せず、

旅客・貨物とも減少、走らせれば赤字が膨らむ事態に陥りました。


その頃、地域広域に広く路線網を広げていた栄町鉄道は、

豊岡地区の住宅開発に進出しようと考えており、

豊岡電軌の沿線に目をつけました。

そこで、豊岡電軌に話を持ちかけ、合意。

豊岡は栄町鉄道の傘下に入り、「豊岡電車」として再スタートすることになりました。


栄町鉄道は、豊岡から栄町への急行を走らせることで沿線の地価を上げ、

住宅開発と土地ころがしによる利益を得ようと計画、

記念橋の先、志賀野から野倉町支線の狸坂にかけて新線を建設し、

ぴかぴかの新型車両を用いて急行列車を走らせ始めました。

この時、同時に比較的利用者の多かった記念橋から岩宿の路線の経営権を豊岡電車に移し、

豊岡の経営の改善にも着手しました。




こうして、現在の豊岡の路線網ができあがりました。

めでたし、めでたし~

コメント (4)
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豊岡電車の設定

2009-10-29 01:23:30 | ◆架空鉄道 豊岡電車の設定
昨年末の、赤い電車より始まった架空の鉄道「豊岡電車」。

一回路線図を載せたっきり、特に設定も考えないで車輌を作ってきました。

あんまり詳細な設定があると、昔の「森川鉄道」のように縛られるから。

でも、最低限の設定は無いと、作るほうも見るほうも困るかな?って思ったので

ちょこっと設定を考えました。




架空鉄道「豊岡電車」は、大手私鉄「栄町鉄道」の路線網の

末端区間である、豊岡地区の路線を走る車輌達です。


「豊岡線」は陶磁器産業で栄える町である豊岡町の、

JRとの接続駅でターミナルの豊岡町駅から、

茶碗とタイルの町・砂原町を抜け、県境の峠を越えて

栄町鉄道のターミナル、記念橋駅までを結ぶ路線です。

この地区の中心路線で、急行列車は大都会・栄町まで直通します。


豊岡線には、三つの支線があります。

「豊岡支線」は、砂原町のはずれにある砂原駅から、

砂原町の中心の砂原役場前駅までを結ぶ短い支線です。

町の中を縫うように走り、併用軌道もあります。

「野倉町支線」は、もともと軽便鉄道だった路線で、

砂原駅から、杯の産地である野倉町を抜け、

谷間の農村地帯で車輌工場のある羽田川町の羽田川駅までを結ぶ支線です。

急坂急カーブが続く線形と粘土質の軟弱な地盤から速度が出せません。

「岩宿支線」は、歴史的な陶磁器産地、志賀野駅から、

春夏秋冬、四季の変化が楽しめる岩宿公園の玄関である

岩宿駅までを結ぶ支線です。

志賀野を出た電車は急な上り勾配で岩宿を目指します。


豊岡地区は全国有数の陶磁器産地であり、

豊岡電車は近時の私鉄では珍しく、貨物輸送を行っています。



路線図(拡大する




ちなみに、これら設定の基にあるのは、

地元多治見から瀬戸にかけての地域で、

地名・名産品等もそれらをもじってあります。


豊岡町 = 多治見市(旧豊岡町:後に多治見市に編入)

滝老町 = 滝呂町

砂原町 = 笠原町(ちなみに砂原役場前はバスの行き先「笠原役場前」より)

野倉町 = 市之倉町

羽田川町 = 瀬戸市下半田川(しもはだがわ)町

志賀野町 = 瀬戸市品野町

岩宿 = 岩屋堂(瀬戸市の観光名所、プールがある)

記念橋駅 = 名鉄尾張瀬戸駅(JRバス瀬戸記念橋バス停より)


栄町鉄道はそのまんま、名鉄(栄町鉄道の略称は、栄鉄-えいてつ)

路線図の記念橋から先は、同じように瀬戸電の駅名をもじってあります。

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