質素な暮らしから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれている前ウルグアイ大統領のモセ・ムヒカ氏が4月初旬来日した。左派ゲリラとしての活動で幾度も逮捕されており、13年近くの獄中生活で人生を学んだ結果として,氏の生活は質素そのものになっているそうだ。大統領に与えられる豪華な邸宅は拒否し、郊外の妻所有の農場で公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしているそうだ。世界で一番貧しいのではなく、世界で一番質素との表現の方がふさわしいようである。
氏の名言、「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」を聞くと、「そうだ、それが心の貧乏人だ」と拍手を送りたくなる。同時に、今世界を騒がしている、パナマ文書を思わずにはいられない。
パナマ文書とは、タックスヘイブン(租税回避地)を利用した租税回避行為、すなわち自国で払うべき税金を逃れるために、自分の資金を税金の低い国に移している行為であり、それを利用している個人や企業の名前を暴露した文書のことだ。その行為そのものは違法では無いが、モラルに反する行為であり、特に国の指導者にはあってはならない行為である。
ロシアのプーチン大統領の「金庫番」の名前や、中国の習近平国家主席の親戚や英国のキャメロン首相、シリアのアサド大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領、サウジアラビアのサルマン国王の関係者の名前そして日本人および企業の名前が挙がっているとのことだ。
ここに名前の挙がっている人々は、既にモノは十分持っているに違いないが、更に増やしたいのだ。そう言って心の貧乏をあざ笑うのは簡単だが、本当の貧乏人からすれば、犬の遠吠えに過ぎない。
心の貧乏人は本当の貧乏人になることは容易いが、その逆の可能性はほとんどない。これが、心の貧乏人と言われようと更に増やそうと邁進する心の本質であろう。
菅官房長官はパナマ文書を政府として調べるつもりは無いと発言したらしいが、裏では必死に調査するに違いない。調べると言えば、その結果を公表する必要があるからだ。いや、既に分かっているのかも知れない。この噂は以前からあった。秘密は独占した方が何かと利用価値がある。政府も認める租税回避行為や法人税の低減は、日本企業の世界における競争力を高めることになるかもしれないが、同時に日本国内における経済格差を広げることに直結する。
さて、ホセ・ムヒカ氏の質素の言葉から、日本で昔からある清貧の思想を思い浮かべるが、少々異なるようだ。「清貧」とは、角川の国語辞典によれば「貧困にありながら、行いを正しくして、利益をむさぼらないこと」という意味だとあるが、これだけからは全く同じである。
中野孝次氏の著書「清貧の思想」の内容は,西行,兼好,芭蕉など,いわば世捨て人の風雅の暮しを論じたものである。一切を捨てきったあとの心の充実を説くその論は,世間と一線を画し、自分ひとりの世界に浸ることであり、この点で大統領を務めたホセ・ムヒカ氏の生き様とは全く異なる。社会と関わりながながら、清貧を貫くことが大変であることは、舛添東京都知事の欧州贅沢旅行の話からも推測できる。権力と贅沢は、麻薬やギャンブルと同じようにすぐに麻痺するのだ。
2,30年前、中国人が全員肉を食べるようになったら、世界から牛や豚がいなくなるとの、ジョークがあった。幸か不幸か、現在そのような状況に至っていないが、中国の世界の資源消費には驚くべきものがある。先進国は中国の経済低迷を嘆き、資源輸出国は中国への輸出量の低下を嘆くが、目先のことしか考えていないようだ。
ホセ・ムヒカ氏も、「西洋の豊かな社会がおこなっている“傲慢な”消費を世界の70から80億人もの人々がおこなうための資源は、この地球に存在するのでしょうか?」と疑問を投げかけている。即座に出来っこないと答えたいが、世界の指導者の多くは、そうは思っていないようだ。いや、思っているが、支援者が許してくれないと思っているのであろうか。付和雷同は凡人のやることである。指導者たるもの、将来を見据えた政策を採用して貰いたい。贅沢は敵だと言うと、戦時中を思い出させるとか、経済停滞の不景気を思い出させるが、持続可能な社会実現のためには、贅沢を敵とするしかない。
2016.04.16(犬賀 大好-225)
氏の名言、「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」を聞くと、「そうだ、それが心の貧乏人だ」と拍手を送りたくなる。同時に、今世界を騒がしている、パナマ文書を思わずにはいられない。
パナマ文書とは、タックスヘイブン(租税回避地)を利用した租税回避行為、すなわち自国で払うべき税金を逃れるために、自分の資金を税金の低い国に移している行為であり、それを利用している個人や企業の名前を暴露した文書のことだ。その行為そのものは違法では無いが、モラルに反する行為であり、特に国の指導者にはあってはならない行為である。
ロシアのプーチン大統領の「金庫番」の名前や、中国の習近平国家主席の親戚や英国のキャメロン首相、シリアのアサド大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領、サウジアラビアのサルマン国王の関係者の名前そして日本人および企業の名前が挙がっているとのことだ。
ここに名前の挙がっている人々は、既にモノは十分持っているに違いないが、更に増やしたいのだ。そう言って心の貧乏をあざ笑うのは簡単だが、本当の貧乏人からすれば、犬の遠吠えに過ぎない。
心の貧乏人は本当の貧乏人になることは容易いが、その逆の可能性はほとんどない。これが、心の貧乏人と言われようと更に増やそうと邁進する心の本質であろう。
菅官房長官はパナマ文書を政府として調べるつもりは無いと発言したらしいが、裏では必死に調査するに違いない。調べると言えば、その結果を公表する必要があるからだ。いや、既に分かっているのかも知れない。この噂は以前からあった。秘密は独占した方が何かと利用価値がある。政府も認める租税回避行為や法人税の低減は、日本企業の世界における競争力を高めることになるかもしれないが、同時に日本国内における経済格差を広げることに直結する。
さて、ホセ・ムヒカ氏の質素の言葉から、日本で昔からある清貧の思想を思い浮かべるが、少々異なるようだ。「清貧」とは、角川の国語辞典によれば「貧困にありながら、行いを正しくして、利益をむさぼらないこと」という意味だとあるが、これだけからは全く同じである。
中野孝次氏の著書「清貧の思想」の内容は,西行,兼好,芭蕉など,いわば世捨て人の風雅の暮しを論じたものである。一切を捨てきったあとの心の充実を説くその論は,世間と一線を画し、自分ひとりの世界に浸ることであり、この点で大統領を務めたホセ・ムヒカ氏の生き様とは全く異なる。社会と関わりながながら、清貧を貫くことが大変であることは、舛添東京都知事の欧州贅沢旅行の話からも推測できる。権力と贅沢は、麻薬やギャンブルと同じようにすぐに麻痺するのだ。
2,30年前、中国人が全員肉を食べるようになったら、世界から牛や豚がいなくなるとの、ジョークがあった。幸か不幸か、現在そのような状況に至っていないが、中国の世界の資源消費には驚くべきものがある。先進国は中国の経済低迷を嘆き、資源輸出国は中国への輸出量の低下を嘆くが、目先のことしか考えていないようだ。
ホセ・ムヒカ氏も、「西洋の豊かな社会がおこなっている“傲慢な”消費を世界の70から80億人もの人々がおこなうための資源は、この地球に存在するのでしょうか?」と疑問を投げかけている。即座に出来っこないと答えたいが、世界の指導者の多くは、そうは思っていないようだ。いや、思っているが、支援者が許してくれないと思っているのであろうか。付和雷同は凡人のやることである。指導者たるもの、将来を見据えた政策を採用して貰いたい。贅沢は敵だと言うと、戦時中を思い出させるとか、経済停滞の不景気を思い出させるが、持続可能な社会実現のためには、贅沢を敵とするしかない。
2016.04.16(犬賀 大好-225)
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