5月30日(火)
【梅雨入りしたような天気。関東は外される。午後、雨は上がり、薄日位になり、畑に、2時間ほど出てくる。】
田植えが終わると、稲の栽培管理は、大人たちの仕事。畔草刈りは、鎌を使う。田の草取りは、田んぼに入り四つん這いになり、両手の指を田の泥の中に入れて、かき回し、小さな草は水に浮かしての除草。草が育ちすぎると引っこ抜き泥に埋めなければならない。手押しの除草期はあったと思うが、畝間はやれても、株間や苗の周りは手でやっていた。米つくりで、最もつらいといわれる除草作業は、最低でも二回くらいか。丁寧な人は三回もやっただろう。苗が育ち、穂を作り始めるころには、稲株が繁茂し、田面を覆う。陽の光が差さなくなると、草も育たなくなり、除草から解放される。
子供たちの手伝いは、主に畑仕事に回される。田んぼ仕事の合間に、畑では、いろいろな野菜を作る。ほとんどすべてが、自給だから、イモ類、大根などの根菜、ナスやウリ類の果菜、菜っ葉など。畑仕事も全部、鍬での作業。耕す三本鍬、畝作りは平鍬で土をすくい上げながら作っていた。肥料はほとんど、下肥。天秤棒で担いだり、荷車やリヤカーに積んで、引いて行っていた。ゴボウや長芋など深く伸びる根菜はスコップを使って掘っていた。サツマイモや、ジャガイモは鍬で土を掘っての収穫だ。収穫したものの運搬も、背負子や、リヤカー。一輪車などは、かなり後になってからの記憶だ。とにかく、なんでもすべて、人力による作業だった。
畑や田んぼのあちこちには、桑畑も散在していた。養蚕をやっている農家もあり、桑は大事な作物であった。そして、子供達には、うれしいおやつを提供してくれる場所だった。初夏のころには、青から赤、そして紫色に熟した桑の実取は、手伝いの合間の楽しみだった。そのまま食べたり、茎を折って皮だけ残したフキの葉を漏斗のように丸め、その中に桑の実を詰めて、ぎゅうっと握ると、紫のジュースが、葉の付け根から皮をつたって流れ出る。大きく口を開け、首をちょっと曲げて、フキの皮を口に含みジュースを吸う。口の周りを紫に染めて、夢中になっていた。
そうこうしているうちに、夏も終わり、秋になる。