『知の技法』というのは、1994年4月初版、当時東大教養学部の「基礎演習」のテキストとして、東京大学出版会から出版されたもので、相当な評判を呼んだ書物だ。手元にあるのは、第16刷だが、同じ年の8月5日付である。すさまじい勢いで売れた、といって過言でないものだろう。
大学の教養科目というのは、以前は、1~2年次に履修する科目で、3年次以降、専門科目を学ぶ以前に、広く基礎的な教養を身につけるために、語学のほかに、自然科学、社会科学、人文科学の3分野をバランスよく学ぶことを目的として提供されていた。
ふつうは、演習などはなく、一方的な講義形式が多く、高校の教科の延長みたいな言い方をされて大変に評判が悪かった。そんなものは不要なもので、大学というからには、早く専門分野を学びたい、学ばせろ、みたいなことでもあって、当時、かなり、教養課程の改革、などということは叫ばれていた。教養課程2年、専門課程2年では、いかにも高等教育としてバランスを欠いている、専門分野の教育期間としていかにも短すぎるなど。
そういう主張は、まあ、そういわれればその通りである。
現在は、各大学ごとにばらばらで、それそれに工夫を凝らして、教養科目的なものを最低限に抑えるとか、逆に重要視するとか、履修する年次もそれぞれに分散させて、みたいなことになっているかと思う。というか、よく考えると私のころから、さまざまな改革の必要性は語られていて、実際、いろいろな取り組みは始まっていたんだな。
「基礎演習」は、当時の教養課程の改革の議論に沿うような形で、講義形式ではなく、学生の参加感の得られる演習形式を採用して、興味を引き付けようとしたものと言える。
で、実際、面白かったようだ。テキストとして編まれた『知の技法』も、ベストセラーとなった。
私自身は、少々時期を遡ることになるが、埼玉大学教養学部というなにかその意義がよく分からないような大学に行っていたので、すべてが一般教養だったと言ってもあながち間違いでなく、教養科目も専門科目もよく分からないまま、面白いものは面白かったし、つまらないものはつまらなかったとしか言いようがない。
でも、教養科目で、社会科学総合とかいって、演習形式で少人数で結構厳しい科目があって、これは面白かった。なにか、新しいことに取り組もう、ということと、学問らしい学問の入門として機能しようとしたということがあったと思うが、両方あいまって、刺激的で面白い演習科目となったということなのだろう。
ところで、この教養課程というのは、戦前の旧制高等学校の教養教育を引き継いだものである。いわゆる専門バカではなく全人的な教養人を育成し、教養人こそ専門の学者になれるという考え方のもとで、広く、多少浅くはあってもさまざまな学問分野に触れるということを目的にしていたものである。
つまり、いまはやりの「リベラル・アーツ」なのである。
しかし、まあ、掲げた理念と実現した行為とはつねにかい離するものだ。数多くの実例がある場合に、理念に近いものが実現している場合と、それほどでもない場合が混在しているというのは当然のことだ。玉石混淆という言葉があるとおりである。
二十数年前の「知の技法」のほぼ冒頭に、以下のように書かれている。
「この科目は、文科系の学生が、将来どのような専門領域を研究するにしても、かならず身につけておかなければならないきわめて基本的な知の技法を、実践的に学ぶことを主眼として開設されています。問題の立て方、認識の方法、論文の書き方、発表の仕方など、学問という行為を構成しているさまざまな手順には、それぞれの時代に、一定程度、共有されている技術ないし作法があります。大学で学ぶということは、個別的な学問領域の成果を学ぶだけではなく、そうした知の技法を習得するということでもあるわけで、むしろそれこそが、大学という知の共同体を基本的に支えているものなのです。講義と試験という形態ではなかなか伝達することが難しい、そうした知の技法に自覚的であってほしいという願いが、少人数の演習形式で行われるこの「基礎演習」の開設を促しました。」(『知の技法』はじめに ページ)
東大教養学部のそうそうたる教授連の執筆したこの書物の編者が表象文化論の小林康夫であり、文化人類学の船曳建夫であった。
その後、1995年の『知の論理』、1996年の『知のモラル』と三部作が編まれ、私も、熱心に読ませていただいた。
とくに1冊目『知の技法』の第3部は「表現の技術」と題され、学術的な論文の書き方のハウツー、というようなことで、ここは、大変に役立った、というか、勉強させていただいた。
なにか、当時、とくに文科系においては、なんであれ「ハウツー」みたいなものは軽視され、極端に言えば蔑視され、みたいなことで、そんなものは学ぶべきことではない、みたいな風潮があった。というよりも、私自身が、埼玉大学教養学部などという中途半端な大学に通っていたので、学ぶ機会もなかった、というほうが正しいのかもしれないが。
ところで、小林康夫氏によれば、このシリーズは、三部作で終わったわけではなくて、『知のポリティクス』と称されるはずだった『新・知の技法』という4冊目もあったらしいが、これは手元にはない。
さて、その二十数年後の『「知の技法」入門』である。
帯の惹句に「東大新入生必読のまったく新しい基礎教養」とある。私などは、昔、東大には落ちて、今は還暦を迎えたわけでもあり、この本から二重に排斥されているなどと、文字面の字義通りの意味に無暗に反応したくもなったりするがそれはさておき。
第一章の「人文書」入門は、タイタニック号の乗員のためのブック・ガイドとサブタイトルが与えられている。
なるほど、タイタニックである。
あのタイタニックの船首、舳のところに身を乗り出して両手を広げていまにも飛び立とうとするかのようなうら若き女性のバックに流れる硬質な透き通った声で歌われる楽曲の曲名と作詞、作曲者の名前を教えてくれる書物、そういう類のガイドである、などというわけはない。
タイタニック号の乗員、とは、いま、現在、この社会を生きているわれわれのことである。それについてはもう少し先で説明があるが、まずは、ブック・ガイドというときのブック。書物とは何かについて。
第1章の「書物は『情報』ではない」という小見出しのところでの、小林の発言。
「自分が今、日常生活の中で孤独になって、自分の心が世界から隔絶されていて、その重苦しさに対抗してバランスをとるものがないわけだよね。そんな時に、ニーチェならニーチェの一冊をとった時に、――あるいは、高校時代の僕の場合だったら、図書館からいつも借り出していたパスカルや中原中也の分厚い一冊本の重みだったりしたんだけど、――その時に、「ああ、なんだかわからないけど、自分とつながる世界がここに開けている」と感じるんだよね。「ここに一個の世界がある」、そしてそれが僕の孤独をすくってくれるというか、照らしてくれるというか。それは情報じゃないんだ。『ツァラストラ』の意味が分かっているかと言われれば、たいしてわかっていない。でも、そんなことはどうでもいいの。そこに自分の孤独とつながる真正な世界が開けてあるんだ、自分とは違う、しかしこの世界がゆるされてあるんだ!、そうわかるだけですくわれちゃうんですよ。本当に孤独な時、それを支えるのは本だけ……。」(20ページ)
それに対して、大澤が
「情報として何かを読むというのと、書物を読むというのの違いはそこでしょうね。つまり、書物というのは、わかるとわからないの二分法ではないようにできていて、「わからないのにある意味でわかる」というところがあったりして、わかることとわからないことが、互いに排他的になっておらず、時にセットになって感じてくる。書物の中に記された個々の命題の情報的な理解とは別な、何かが起きているからでしょう。本は、情報ではなく、何か一つの世界を示しているんでしょうね。だから読書というのは、世界を探検するみたいな感じになる。」(20ページ)
なるほど、「本は、情報ではなく、何か一つの世界を示している」のだと。この世界を生き延びていくために、書物が必要で、役に立つということ。しかし、それは、いわゆる「ハウツー」としてではない。本の重さ、単に物理的な重さではない、内容としての重さがある。ひょっとすると一冊で、この世界と同等の重さがある、くらいの。
で、タイタニック号である。
「タイタニック号に乗る我々が 世界の「外」を考えるための人文書」という小見出しのもとで、小林が
「今の時代は、資本主義がグローバル化した成熟期を過ぎて、成熟がほぼ停滞してきている。そして、あちこちに内破的な、危機的な亀裂が生まれてきている。…根源的な矛盾がどんどん拡大しているように見えます。」(27ページ)
と語ると、大澤がタイタニック号を引き合いに出す。
「この頃、ぼくは、現代の状況をこういう比喩でよく説明するのです。社会を船に喩えたとして、その船に決定的な亀裂が入っていることを、かなり普通の人でも感じていると思います。この船はタイタニック号だ、と」(28ページ)
「大澤 しかし、いずれ沈むことが確実だということまで、皆わかっているんですよね。しかし、沈みゆくタイタニック号に皆でしがみついて、なんとかなるんじゃないかみたいなことを言い合っている。
小林 最後のワルツを踊りたいんだよね。」(29ページ)
ワルツ!
ワルツを踊る、のだという。
「大澤 その最後のワルツの名前が、たとえばナントカミクスだね。だから皆たいへん矛盾したことを行っているわけです。一方では、この船が沈むことが分かっているのに、他方で、それに一生懸命執着している。…もし、人文書というものを書く、あるいは読むことの意味があるとしたら、その一つは「この船を放棄しても大丈夫だ」という確信を持てるようになること。…そういう希望を抱かせることが人文書の使命だと思うんですよ。」(29ページ)
タイタニック号の比喩は、そうか、私も大澤真幸から学んだのだったな。このところ、大澤の本は、結構読んでいるから、そのうちのどれかで、すでに読んだことがある。どこかで私も使ったような気がするが、私の思いつきというわけではなかった。本を読んで、それとは別に少々ものを書いていると、こういうことはよくあることだ。
この書物は、いつまでもそんなタイタニックにしがみつくのでなく、放棄しても大丈夫だという確信、そういう希望を抱かせることが人文書の使命だ、というところをつかみとれれば読んだ意義はある、ということになるだろうと思う。この本を読んで、すぐわかる、というよりは、そこからまた別の本に進んでいく、その総体から何事か読み取る、という回りくどいことではあるが。
この本は、私にとっても、とても重要な本であった、と言える。このところ読んできた書物の大きな流れを改めてつかみ直させてくれたというような。良き「入門書」は、その分野について、大きな概観を与え、同時に鋭い見通しを与えてくれるものだ。この本も、そういうすぐれた入門書の一つであると言って間違いではないだろう。
以下には、2か所、引用を並べておく。
ひとつは、第Ⅱ部「理論編」第3章「誰にもわかる『実存主義・構造主義・ポスト構造主義』」から一連。タイタニック号たる、現在の資本主義の社会において、現代思想の果たしてしまった役割について。その意図と結果との食い違いというか。
「小林… そして、問題は、こうした「実存→構造→ポスト構造」のプロセス全体が、今なにか行き詰りにさしかかっていると思うことですね、これ言うと袋叩きにあいそうですけど、こういう機会だ、あえて言ってみれば、ドゥールーズがやった脱領土化とか、リゾーム、生成変化とか、デリダのディコンストラクションとか、そういうポスト構造主義的な実践そのものが、ある意味では、この間の資本主義の飛躍的進展にパラレルだったように見えてきてしまうということがある。…こういった実践の戦略は、とりわけ70年代以降に顕著になる資本主義の高度化、ソフィスティケーションの戦略とどこか似通ってくる。つまりただ、強大なエネルギーを使用して、構造そのものを根源的に変えてしまうことによって前進していた熱機関的資本主義というか、力による資本主義というか、それにかわって、まったく新しいタイプの絶えざるシステムの開発やデザインの改良によって自己を増殖させるシステムエンジニア的資本主義というか、それへの転換が起きているように見えるわけですね。」121ページ
小林の続き。
「資本主義が、もともといかなる『自由』によって基礎づけられていたかを考えてみると、それは『交換』に尽きますよね。…ところがわれわれの時代は、その価値がはてしなく流動的であり、価値そのものがある意味ではディコンストラクトされている。…価値が変動するわけですね。…価値が無限に差異化されているんです。…そこに資本主義の最終的な形態の一つの徴候を見ることができますね。価値の尺度である貨幣に対してすら投資が行われてるわけですからね。ドルを、円を売り買いすることで資本主義は、価値そのものを果てしない流動性へと投げ込んでしまった。価値は、純粋な具体性のある交換によって支えられているのではなく、未来への『投機』によって支えられている。この未来の時間の価値への『投機』は、どこかで未来の存在の意味への自己の『投企』と似通った構造なんですね。だって、投資家こそ、自分の実存を賭けて『投機=投企』するわけだから。どこかで資本主義と実存主義が通底する。」(122ページ)
「大澤 とても面白かった。多くの人たちは薄々と――いやはっきりとかもしれませんが――気づいていながら口にはできなかったことを、明晰におっしゃっていただいた、と思います。ポスト構造主義のもっとも豊かで代表的な成果がデリダのディコンストラクションであるわけですが、このディコンストラクションというもの自体が資本主義の原理にそっくりだ、ということですよね。…デリダの哲学が資本主義に対して完全に新しい論理を出せているわけではなくて、むしろ資本主義のもっとも洗練されたヴァージョンになっている、ということですよね。」(124ページ)
改めて読んでみると、これは解説なしでは、相当に難しい文章なのだろうな。最先端の現代思想が、現在の問題の多い資本主義社会を抜け出すのに役立つのではなくて、逆に取り込まれてしまっている。「もっとも洗練されたヴァージョン」になってしまっている。
ここらは、私などは、ああそうだよな、と納得させられてしまう部分だ。
次に、第Ⅲ部「知の技法」とはなにか、において、知はダンスである、という方向へ向かう一連。
ここは、すべて小林康夫の発言になっている。
「『哲学』と訳されるフィロソフィアには、『学』という字は入っていなくて、それは本来『知』を愛すること、『知』という『愛』であること。もちろんこの『知』は技術的なものではなく、この『愛』は、たとえば一人の異性を愛するのとは違う意味ですけどね。まあ、『学ぶこと』そのものが『愛すること』なんだと考えたいんですよね。」(212ページ)
「『知は知識でなくて行為だ』ということになりますよね。この『知は行為である』というのは、かつて二十年くらい前に、ベストセラーにもなりましたけど、『知の技法』(東京大学出版会)という本をつくった時の中心的なテーゼだったんですね。」(216ページ)
「本を読むというのは、既にある知識情報を頭の中に入れることでは全然なくて、自分が何らかの仕方でプレイして、行為して、アクトしていることなんだ。そのことの自覚があるかないかで行為の質が変わってくる。行為するなら、それは楽しい行為であった方がいい。行為の究極はダンスですよね。ダンスというのは目的のない行為であり喜びのためだけの行為だから……『知』という行為もどこかでダンスみたいなことに繋がっていく。知は踊るんだと思いますね。」(218ページ)
「僕は時々学生に、「僕は自分が知らないことを教えたいんだ」と言うことがあるけど、知ってることなんて教えても仕方がない。だいたい知ってることなんてたいしたことじゃないし。僕が知らないことを教えるということは、そこで僕が学ぶということであり、僕がダンスするということなんだね。…世界は表現するんですよ。あ知は世界の表現――そんなことを、この「知の技法」というコンセプトを通じて、あらためて考える機会になればと願っています。」(224ページ)
この一連は、小林の発言であるが、この書物では、大澤真幸が聴き役、一種の振付家で、小林が、その振付に乗ってダンスを踊っている、というふうにも見える。
このところ、大澤は「〈世界史〉の哲学」のシリーズなどで、現代の社会の成り立ちについて非常に骨太な議論を展開する、現代を代表する思想家のひとりと成っていると言って過言でない。
ところで、前に引いたタイタニック号の中での「ワルツ」も、ここでいう「ダンス」の一種なのではあろう。見えている視野の違い、はあるのだろうし、それぞれにどんなダンスを踊るのか、という選択の問題でもある。
それと最後に、これは引用は省略するが、この書物ではサルトルについて、触れられている。現代思想の忘れられた中心に実はサルトルがいる。それが、消し去られている。もういちど、そこにサルトルを置くことで、デリダやらドゥールーズらの現代思想がよく見えてくることになる、というようなことが語られている。
サルトルの「主体」である。「実存主義」である。
わたしなどは、それを読むとうれしくなってしまう。
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