(承前)このあたりで、引用は充分かもしれないが、あえて、もう二つ、エピソードを引いておきたい。
【ふたつのエピソード1 同級生のT君とその母親のこと】
ひとつは、終章「治ることと元に戻ること」から。
春日氏が医者になってから、小学校の同級生であったT君に病院の中庭でばったり会ったことがあるという。
「彼は統合失調症の患者として通院しており、付き添っていた彼の母親(とても教育熱心な人だった)が白衣を着たわたしを一目で確認したのである。」(264ページ)
「病気の経過は長いようだった。…T君自身は「のほほん」としていたが、母親としてはこの久々の邂逅になかなか複雑な思いを抱かざるを得なかったのではないか。わたしの姿を認めても、一瞬、しらんぷりをしようと迷ったりはしなかったのか。たんに懐かしさだけを覚えたわけではあるまい、そのことを想像しただけでも胸が痛む。」(265ページ)
ここで、この記述を読む限り、実際に母親が複雑な思いを抱えたかどうかは定かでなく、あくまで、春日氏側の想像である。胸が痛んでいるのは、春日氏である。
「もしもT君が「心の原状回復」を遂げるとすれば、どこまで時間を巻き戻さなければならないのだろう。…やはり彼は彼なりに今現在を生きていくしかない。」(265ページ)
春日氏は、中井久夫の1985年の論文「老年期認知症の精神病理をめぐって」(『「つながり」の精神病理』所収、ちくま学芸文庫二〇一一)を引用する。認知症を治すということについての記述であるが、
「それは、統合失調症の治療が病前の状態の復元を目指すのではないことと似ている。統合失調症の場合は、発病前には非常に不安定な状態であるわけで、多少見栄えはしなくとも、より余裕のある生き方に出ることがポイントである。」(266ページ)
中井の引用に続けて、
「おそらくT君も母親も、「より余裕のある生き方」を実践していたのだろう。だから彼女は私に声を掛けてくれたのだと思う。こちらとしてはそれを嬉しいと思うと同時に、いささかほろ苦い感情を覚えずにはいられなかった。」(266ページ)
「…統合失調症の場合は…あれこれと紆余曲折を経て、中井久夫が述べるように「多少見栄えはしなくとも、より余裕のある生き方」を身に着けていくようだが、むしろ妥協や「なしくずし」に近いように見える。でもそれが正解なのだろう。
けれども——
もし病を乗り越えて安定に至った患者が、「わたしは病を体験して良かったと思っています。病こそがわたしに本来の生き方を呼び戻してくれたのです」と当方に語ったとしよう。そこで「そうなんだよ!よくぞ言ってくれたねえ!」などとわたしは明るい表情で応じるだろうか?そんなことはない。おそらく微妙に強張った笑みを浮かべつつ、「そうかい。でも患ったことを無理に〈価値ある体験〉と思わなくてもいいんだよ」と弱々しく呟きそうな気がする。病気に対してあんまり素直に、肯定的な態度を示されると、切なくなってしまうのだ。もっと悔しがったりふて腐れていいんだよ、無理をしたり背伸びするのはちっとも悪くないんだよ、と囁きたくなる。君は柔軟性を欠いていただけだったと思うよ、と。」(271ページ)
どうだろう。春日氏の切なさは、読者に共感されるだろうか?「けれども」以下の記述は必要なものだったろうか?
中井久夫が「より余裕のある生き方に出る」と言った時の現代社会に対する批評は、どうなってしまうのだろう。
【ふたつのエピソード2 S氏の10年の緘黙の後に発した言葉】
さらには、「おわりに」で述べられるエピソード。
「S氏は石のような沈黙している。言葉を発しない。10年以上前からひと言も喋らなくなり、他人と交わることもなく、何にもしようとしなくなったという。…
仕方がないから、毎週その病院へ赴くたびに、壁を背に座禅を組むようにして座っているS氏の隣に私も胡座をかいて座っていた。…
そんなことを半年近く繰り返した。そしてある日、S氏の視線と同じ方向にぼんやりと目を向けたまま。囁くようにして尋ねてみた。「ねえ、何かやりたいことってあります?」
すると驚いたことに、彼は独り言のように台詞を吐いたのである。
「縄を……綯いたい」」(272ページ)
若かった春日氏は、沈黙するS氏の脇に、半年の間、ぼんやりとただ黙って座っていた。そのあげく、S氏は、一つの言葉を発した。春日氏がそばに共にいることが、S氏のなかの何ものかを触発した。S氏の、入院前の人生におけるエピソードが復活を遂げた。「縄を……綯(な)いたい」と。
春に田んぼに植えた稲が成長して秋に収穫期を迎え、刈り取った稲わらを材料に、冬場に縄を綯う。この毎年の、生の営み。
これは端的に素晴らしいことなのではないだろうか。発した言葉の先に、S氏の人生が、復活し、もういちど開かれていく可能性が生まれたのではないだろうか。
春日氏は、S氏の沈黙に、彼なりに大きな意味を期待したという。
「今となってこのエピソードを振り返ってみると、苦笑したくなるような、気恥ずかしくなるような気持ちが湧き上がってくるのである。」(274ページ)
春日氏は、苦笑したくなる、気恥ずかしくなる。
「そして、これこそ自分自身に対して苦々しくなるのだけれど、S氏の緘黙(喋ることが可能なのに口を噤むこと)にわたしは過剰な思い入れをしていた。もし彼が口を開いたなら、きっとそこからは純化され、しかも世のありようの根源を突くような重く鋭い言葉が出てくるのではないのか。なぜなら10年以上もひたすら沈黙を守ってきたのである。常人には不可能なことだ。そのあいだに蓄積された思いや考えはどんどん深まり、炭素が強烈な圧力下でダイヤモンドとなるように言葉は圧倒的な強度と純度を獲得しているのではないか。いわば詩にも匹敵する言葉を耳にすることが可能になるのではないか。虚を衝くようなひと言が発せられるのではないか。わたしは本気でそんな期待を(さすがに四割程度ではあったが)抱いていたのである。…
…自分の期待のありようにはチープで自分勝手な似非ロマン的心情が卑しげに根付いていることに今さらながら気づき、わたしは赤面せずに入られないのである。」(274ページ)
これを読む限り、春日氏の「チープで自分勝手な似非ロマン的心情」はよく分かる気がする。
S氏から「色即是空」だとか「善人なおもて往生す」だとか「本当の事を言うと世界が凍る」とか「私は病人のふりはしているが病人ではない」とか「失われた時を再び見出した」だとか、どこかの本で読んだような気の利いた気障なセリフが出てくることでも期待したというのだろうか?
それはそれで面白いかもしれない。一定程度文学的である、と言っていい。
しかし、私に言わせれば、S氏の「縄を綯いたい」という言葉は、それらを超えている。
S氏の、このシチュエーションにおいては、それこそダイヤモンドのように硬質な、似非ロマンからはいちばん遠い、即物的かつ純度の高い詩的な言葉に他ならないと思える。
詩人は、こういう即物的な言葉をこそ、詩として書き記すべく掬い上げるはずである。
S氏が、10年の沈黙の後にこの言葉を発したことの意味を、この精神科医は把握し損ねた。良き精神科医は、こういう言葉をこそ、掬い上げるのではないか?この言葉を掬い取ることができなかったところに、春日氏の「チープで自分勝手な似非ロマン的心情」が良く現れている、のではないか?
ソーシャルワーカーが関わって、S氏に、実際に縄をなう体験をしてもらう。あるいは、状況が許せば家に連れて行って、その場で、ということでもいいかもしれない。「縄を綯いたい」という言葉に応えて、社会関係を調整して、その希望に応える。そこから、S氏の人生の新しい展望が生まれたかもしれない。
今ここで言えるのは、あくまで「かもしれない」という可能性に過ぎないが…
いや、春日氏は、このエピソードを覚えており、S氏の言葉もしっかりと覚えていた。これは重要なことだと思う。ここにポイントがあることを春日氏は把握していた。しかし、なぜ、春日氏は、いらぬ韜晦を演じるのだろう?当時の春日氏にとっては、社会関係の調整は、想像を絶する、手に余る仕事だったのだろうか。
【斜に構える?】
春日氏は、末尾に下記のように記す。
「この本では、精神疾患の正しい「病気らしさ」を把握し、リアルなイメージを獲得していただくことを目標にしたのであった。さらにその派生として、そもそも病気とは何なのか、治療の意味、幸福のありよう、普通であるとはどのようなことなのか等について(いささか斜に構えつつ)言及した。」(276ページ)
春日氏は斜に構える必要があったのだろうか?読者に対する余分な、要らぬサービスだったのではないだろうか?斜に構えようとして、人間のサイズが見えてしまったというべきだろうか?
ちなみに、認知症についての記述は、突き放した冷たい感じがあまり感じられないところがある。どこか寄り添った思いも感じられる。何故だろうか?
さて、この書物は、新書版の入門書であるが、これから精神科医を目指す医学生だとか、進路を検討中の中高生には、最初のガイドブックとしては読んでほしくない書物である。ただし、手練れの読者にとっては、リアルな(一部の)精神科医の生態、その世界の常識を把握するために有用な書物というべきかもしれない。
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