ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

霧笛第2期34号〈編集後記〉

2015-07-20 23:52:31 | 霧笛編集後記

◆石津ちひろさんから、今回もメールをいただいた。「常山さんの描く表紙、今回もまた素敵ですね。そして、掲載されている作品はすべからくレベルが高く、今更ながら感服いたしました。…熊本氏の“苔のたはこと”には、可笑しみと哀しみが入り交じっていますね。/及川さんの貝の詩には、しみじみと感じ入りました。/菊池さんの“椿”、そしておのでらせつえさんの“爪”には、共感を覚えました。/遊人さんの作品、若さが漲っていて、刺激を与えてくれます。/西城さんの凛とした“裸木”には、思わず背筋が伸びました。/千田さんの“小春日和”は、ドキュメンタリー映画を見ているようでした。…今後とも、私の意識を目覚めさせてくれる作品を読ませていただけますこと、心待ちにしております。」さらに、全ての同人に触れられないことを詫びながら、「編集後記、いつも楽しみに読ませていただいております。」と。

◆北爪満喜氏が、現代詩手帖5月号詩誌月評で、「照井由紀子「課題 長期戦」は東日本大震災の「あの日以後 様々な分野からの/細かな質問に 繰り返し答えてきた」ことで苦しみ傷つき、「傷を庇うように/心が閉じる」と書く。だがそれを乗り越えようとする、懸命な言葉に打たれる。」と霧笛を取り上げる。

◆佐々木洋一氏は「一号一号重ねるごとに充実しているように思います。」と。

◆小熊昭広氏は、ブログ情報短信で、千田が「気仙沼という街に詩誌があることの豊かさ」を語ったと引き合いに出して「菊池さかえ氏は「あの日」の…自分の振るまいに対して、それでよかったのだと詩を書くことで整理しようとしている。照井由起子氏は「あの日」のことが…繰り返し思い出されることの辛さを耐え抜こうとする…西城健一氏の「裸木」は、とても美しい作品だった。そして、及川良子氏の「砂浜は 貝の褥」は…生命の神秘さと、人と自然の関わりの豊かさが壊死することの危うさに警告を鳴らし、詩という武器で闘おうとしている彼女の意思を強く感じた。千田基嗣氏は、例の調子で「あの日」の詳細を明らかにしようとしている。」

◆東京の坂井礼美さんは、千田遊人の詩を「脱帽」、「言葉の錬金術師」と持ち上げてくれる。「勿論(同郷の及川)良子さんも!ですが。」そして、他の同人も含め「多かれ、少なかれ、あの悪魔のような震災と津波の余韻が必ず含まれており、それでも自らを励まして、未来を切り開こうという東北人ならではの「辛抱強さ、地道」がアチコチに感じられ…夫々の捉え方で真直ぐに見据えていらっしゃる…」

◆全国市有物件災害共済会が設置する防災専門図書館に求められ、第2期以降の手持ちのバックナンバーを寄贈させていただいた。担当の矢野陽子さん、「26号の照井様「今もこうして」は繰り返し読みました。」

◆石津ちひろさんは、中川ちひろさんらとともに震災以降毎年、気仙沼で学校訪問を継続されている。今回は長野ヒデ子さんも。

◆四月から、また、本吉図書館へ戻った。図書館という奥深い迷宮を彷徨い続けている。

 

注;石津さんが、「震災以降毎年」というのは、一昨年と今年の2回の間違いでした。中川ちひろ、石津ちひろのふたりのちひろが中心で、「チヒローズ」を銘打って、本吉地区の学校、幼稚園を訪問していただいた。子どもたちも大喜びで有難いこと。


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