ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

柄谷行人・見田宗介・大澤真幸 戦後思想の到達点 NHK出版

2020-04-18 22:11:56 | エッセイ
 『シリーズ・戦後思想のエッセンス』の創刊第0号の位置づけである。
 柄谷と見田が、自身を語る、大澤がインタビューと編著という形。帯に、「二人の「知の巨人」は、いかに思考を紡いだのか?」と記載がある。これは、大澤にとっての「知の巨人」が柄谷と見田である、ということでもある。
 柄谷行人は、1941年生まれ、見田は1937年生まれであり、大澤は1958年生まれであるから、父の年代、というには少々若く、叔父の年恰好と言えばいいだろうか。いずれ、学問上の巨大な先達、師と仰ぐ存在であることに間違いはない。
 私が、現代日本の知の巨人というと、吉本隆明、中村雄二郎、山口昌男など思い浮かぶが、すべて故人となっている。大澤真幸は、私より2歳年下だが、「世界史の哲学」のシリーズによって、現今の日本を代表する思想家と言って過言ではないポジションに達したと思っている。
 柄谷と見田が、日本の存命の学者たちのなかで、二人の知の巨人というのは肯ずることができる。大澤も入れて三人の、といってもいいかもしれない。
 中沢新一も、その構えの大きさ、見立ての鋭さからして、巨人と数えてもいいのだろうが、どこか軽さ、うさんくささがつきまとう。軽さ、うさんくささというのは、中沢の場合、むしろ、肯定的な評価である。ポーズとして演じている感がつきまとう、というか。「人類の全歴史は、地球の表面のごくごく薄っぺらな幅数キロメートルのエリアで展開してきたにすぎない」などというのは、まさしく絶対の真理であろう。絶対の真理過ぎて、虚無にまでたどり着いてしまい、実際の社会状況に対しては、役に立たない、みたいな。いや、こんなのは、いま、書きながら思いついて筆が滑ってしまったレトリックでしかないから無視してください。
 鷲田清一は、現在、日本を代表する偉大な哲学者であるが、なんだろう、ソクラテスのような存在である。体系的に、大掴みに、世界、社会の在り様を提示する思想家ではない。個別の臨床において、問いを見出し続ける対話者、というか。解答を提示する役回りではなく、あくまで問いつづける者。
 あ、そうそう、このところ、糸井重里問題、というのを抱えている。思想家ならざる思想家。1970年代以降の現代日本の成り立ちに対して、このひとの与えた影響というのはまさに巨大だと思う。しかし、このところ、いささかでもものを考えている著作家たちを、このひとほどがっかりさせているひともいない、のではないか?なぜ、がっかりさせているのか、ほんとうにそんなに残念なひとなのか?このことは、私が気仙沼の人間であることも込みで、問題として抱え込んでいきたいと思っている。(注;糸井は、震災以降立ち上げた「ほぼ日気仙沼支社」を、十年目となるつい最近まで継続していた。)
 本題に入る前に、ながながとわき道を迂回してしまったようだ。
 あ、内田樹もいるな。松下圭一とか…
 さて、柄谷行人と言えば、「交換様式D」である。
 柄谷の「世界史の構造」によれば、Aは原初の「贈与」、Bは国家支配による税の徴収と「再分配」、Cは市場の「交換」で、Dは高次元で回復された「贈与」であるという。
 見田宗介は、実は、最近まで読んでことがなかった。大沢真幸の著作に名前が出てくるので、最近、気にはしはじめたが、その昔の中沢新一がらみのエピソードに、蓮實重彦や西部邁らと同時に登場した折の感じから、あまり、読みたいとは思わずに来ていた。
 つい最近、「現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと」という岩波新書を読んだ。このブログでも紹介しているが、たいへんな感銘を受けた。なかでも、「consummatory(コンサマトリー)」ということば。
 「交換様式D」のほうは、この書物で大きなテーマとして取り上げられているが、実は、「コンサマトリー」は言葉としては出てこない。見田は、その新書のなかで「現在を楽しむということ」と説明している。「instrumental(インストルメンタル、手段的)」の反対語なのだが、適切な訳語はないと。
 現在の社会の在り様を変革していく際のキーワードが、「交換様式D」であり、「コンサマトリー」である、と私は思う。この二つの重要なキーワードを提示した二人の「知の巨人」を、まさしくその影響を大きく受けながら思索を勧める弟子が紹介するこの書物は、必読の書であり、二人の思想への良き入門の書であると思う。
 大澤による的確な解説が前後につき、二人との対話で構成されており、読みやすい書物にもなっている。内容は直接そちらに当たってほしい。ここでは、省く。

※参考
柄谷行人「哲学の起源」
https://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/7761b6b88da13d8d01a0ab118e44abe5

見田宗介
「現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと」
https://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/adaa82e52a5bec010937acf90b2d8c6c

 なお、「世界史の構造」は、このブログで本の紹介を始める前に読んだようだが、「哲学の起源」の紹介のなかで、少々触れている。

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3 コメント

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コンサマトリーの訳語 (千田芳嗣)
2020-08-05 21:49:28
お気楽に生きていけること。
あるいは「鼓腹撃壌」で良いんじゃないの?
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なるほど (千田基嗣)
2020-08-06 10:12:48
なるほどね。そういうのもありかもね。
意味のある部分は重なっているけれども、重ならない部分多い感じかな。
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重ならない部分 (千田芳嗣)
2020-08-06 18:45:57
重ならない部分を明示してくれるとうれしい。
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