河北新報に毎週日曜日掲載、河北歌壇の良き読者ではないが、気仙沼の人の作品だけは確認している。その中でも特に同人の熊本吉雄さん、西城健一さん。
熊本さんは、このところ立て続けに、歌壇欄冒頭の秀作三点のうちに取り上げられた。
2・6、花山多佳子選第2席、
「卒寿なる母は箒を杖にして遅参の息子に雪掻き指示す」
花山氏の評は「卒寿の母の矍鑠(かくしゃく)とした姿がユーモラスだ」と。
2・13は、佐藤通雅選第1席、重ねて花山入選、
「この先の角を曲がればわが町があるはずだった 雪振りしきる」
これは、震災の津波の後の、内陸の一関方面から進んできて、気仙沼駅前から市役所前を過ぎ、八日町の突き当たりの角を曲がったその先の南町、魚町、ことば通りに失われた町のことである。
佐藤氏の評は「いつも通り在り続けてきた町が、一瞬にして消え去る。「あるはずだった」の口語調にはそのときの深い喪失感が込められる。一呼吸置いて、降り続ける雪の描写。鎮魂の雪かもしれない。」
3・6、佐藤選第2席、
「いくつかの捨て去ったものいくつもの忘れちまったこと裸木に雪」
佐藤氏は「東日本大震災からあっという間に歳月が立った」と評を書き起こす。
3・13、花山選第2席
「掌が剥がされそうにぴりぱりと凍った窓に見知らぬ顔あり」
花山氏は「…窓に映る自分の顔はいつもと違う。「見知らぬ顔」と表現したところに感覚的なふくらみが生まれた」と。
熊本さんの作品は、いずれも、雪があり、凍てついており、冬の寒冷が背景となっている。これらは、十一年前の小雪がちらついた三月の記憶がフラッシュバックしている、それが根底にあると読むべきであろう。当時の市役所市民課職員としての職務が、熊本さんに強いたものがある。
136号の後記でも紹介したが、現代詩手帖の昨年3月号、震災アンソロジーに、「とりあえず通販で買ったような町 なんかイヅイなあ もぞもぞ歩く」が掲載され、また、同じく3月3日付の河北新報「10年の震災詠選」にも「外来種の店がにょきにょき生えてきて更地占拠し町は二度死す」が選ばれている。
気仙沼の震災後を語った歌人として、熊本吉雄が屹立している。同人として誇らしいことと思う。
【西城健一さんの短歌など】
熊本さんは、霧笛に参加する前に短歌を始められたわけだが、西城健一さんは、熊本さんに触発されたか、歌人熊谷龍子氏に誘われたか、このところ短歌に取り組み、霧笛誌上に発表もされている。同じく河北歌壇の常連となり、2・27、佐藤選で、
「雪しんしん降りしきる外眺めれば今日は一日賀状書きたし」
また、花山選、
「冬の街イルミネーション輝きぬ地球の温度じわりと上げて」
と、同日に2作が選ばれている。
霧笛は、詩の同人誌であるが、狭い意味での口語自由詩に囚われているわけではない。俳句はまだ掲載がないが、短歌、さらには五行歌と、なんでもありである。
ところで、3・13の花山選第1席は、気仙沼の安藤明子さんの「降る雪に昏みし朝でありたるが真鱈大漁に店の賑わう」である。安藤さんは、2・27も入選、市内某有名鮮魚店の大女将であり、ちょっと前には、気仙沼の鰹を詠み込んだ歌もものされた。気仙沼の方では、このところ、短歌では三浦静枝さん、俳句のほうで小山都さんも入選なさっている。
※以上が霧笛139号掲載であるが、4月24日の河北歌壇で、またまた熊本さんの短歌が、佐藤通雅氏選の秀作第3席となっている。
「黙禱は己に向かい深くなる死者と生者の交感のとき」
熊本さんは、詩を詠むひととして、一段ステージを上がっているのだと思う。
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