作品特集としては、「現代詩、新しい風」ということで、新進気鋭の詩人たちの作品を集めている。その中でも、先頭を切って走っているのがマーサ・ナカムラ氏ということになるのだろう。ページを開くと冒頭が、新連載詩「柔らかな壁を押す」の第1回「鏡子と学校」である。
別に、小特集として「マーサ・ナカムラの世界」と銘打ち、同じく新進の詩人である田中さとみ氏、山﨑修平氏と、本人による鼎談と、詩人の藤井貞和氏、哲学者の千葉雅也氏、映像作家の布施林太郎氏による評論が掲載されている。
さて、「鏡子と学校」を読んでみる。冒頭第1蓮と第2連である。
「小さな茜子(あかねこ)が 銅を流す
風の流れに沿って 畳の目が現れる
茜子は民芸品の形に戻って
部室の棚におさまる
豊かな春
豊かな春
夥しさよ
部長が土壁に歯を立てる
壁は歌わなくなる」
ここまで詳しく読み込んでみる。
茜とは、赤い根を持つ、草木染の原料となる植物であると同時に、染めたその色をも指す。夕焼けが茜色であり、赤とんぼの和名はアキアカネ(秋茜)、その色はまさに茜色である。茜子は、赤い子。真っ赤な着物に、黒い前髪を揃えた人形だろうか。和紙の人形か、木製のこけしか。あるいは、生まれたばかりの赤ん坊。
銅は、あかがね。鉄(くろがね)でもなく、黄金(こがね)でもなく、赤い金属。この赤は、即物的には茜色とは違う、金属光沢をもつ、まさしく銅の色ではあるが、言葉として茜子の赤であることは間違いない。そして、赤であると言ったとたんに血の色でもあることになる。銅を流すとは、血を流すこと。同時に、流れる銅とは、肉体が触れれば、途端に溶け落ちてしまうような、山奥の精錬場の灼熱の液体化した金属でもある。
血を流すというのは、もちろん、女性の月のもののことである。人間の正常な生理の徴であるとともに、傷つけられて、場合によっては高温で火傷を負って流す血。さらりと書かれているが、肉体の死にさえ至る危険に満ちた場所でもありうる。
風は、冷たい空気、熱い金属を冷ます風(あるいはもっと熱く薪を燃やすふいごの風)。風を浴びて溶けた銅が波打ち、畳の目のイグサのように波目模様を描く。
波打つ畳の目は、学校の畳敷きの部室に敷き詰められた畳の一部。(茶道部か、華道部か、書道部か、日本舞踊部か、民俗研究会か。)
茜子は、小さく美しく可憐で可愛げな民芸品の和紙人形の姿に戻って、棚に収まる。
第2連は、冒頭、豊かな春を二度繰り返す。
春は、若芽の萌え出ずる生殖の季節。豊かとは、多産であること。夥しい若葉が生まれ、育つ。増殖する。
部長は、部室の塗り壁の土を喰らう。妊婦はときに土を食う。女子高生の民芸部長は、妊娠して壁を喰らう。お腹の、誰かの子は、血と共に流れる。茜子は茜子を流す。人は人形になり、人形は、また、人になる。
壁は、噛みつかれて、苦痛のあまり、声を上げた後、黙り込み、死に落ちる。噛み殺される。絶命する。中絶する。あるいは、去勢される。
(学校の部室の土壁とは、民芸部の顧問の土田先生だったか、人首(ひとかべ)先生だったか、かもしれない。)
と、(特に最後は)余計なお世話の過剰な深読みである。
第3連は、
「龍子(りゅうこ)が地下階段を降りていく
学校の根から垂れる 深緑のインクは
言語を冷やす作用がある」
と続く。
龍は、空に昇る想像上の動物であるが、龍子とは、タツノオトシゴのような、胎児の別名でもありうる。子宮の奥底に潜んでいる。同時に、階段を下りていく先は、意識の下の無意識の領域でもあり、パリやローマの地下のカタコンベ(地下墓所)でもあり、黄泉比良坂(よもつひらさか)の先に続く黄泉の国でもある。誕生と死滅、上昇と下降の、二律背反、両義性。
と、まあ、このあたりまでにしておく。
このあと、たとえば、「濡れてしまう」、「槌で割って箱にしまう」、「腹に温かく…感触」、「出すものを出さず」、「血」、「洗面器に落ちた赤ん坊」など、性的なこと、生理的なこと、生殖的なこと、暴力的なこと、さらには死に関係する言葉が続く。小さいこと、小さくすること、蒐集することに関わる言葉、でもある。
ところで、タイトルの「鏡子」は、本文中には登場しない。第一連の茜子は、この連のみに2度登場するが、龍子も第3連に一度だけ現れる。
この鏡子は、鏡の子であるから、白雪姫の女王様の娘時代であろうか。ラカンの鏡像段階の幼児だろうか。この鏡は、現代の硝子の鏡ではなく、どこか歪んだような古代の青銅製のものだろうか。もちろん、作品中、どこにも説明はない。鏡子と茜子と龍子は、別々の存在だろうか?同一の娘の別のキャラクターだろうか?
いずれ、民俗的な、昔話の世界の住民であることに間違いはない。性的な、意識の下の世界の住民。
結末は、
「子が進むと
綱は真っ直ぐに張った」
綱渡りの架空の物語ではあるが、地下世界には戻らずに、意識上にとどまっているようである。
さて、詩人の藤井貞和氏は「異類を探す」(78ページ)において、下記のように評する。
「新詩集『雨をよぶ灯台』をひらくと、「鯉は船に乗って進む」の映像がページを継いでゆく。映像とはある種の見え隠れする異類みたいな生きものかもしれない。」
異類といえば、妖怪や精霊のたぐいであり、柳田国男の世界である。『遠野物語』の山の民話の世界。
「「篠の目腹を行く」は宮古諸島の大神島へ船でわたった時のことであると…。隣にすわる地元民の方言がわからない。すると、それはすぐに海上の道が整っていく映像になる。ここは海原、夕方。…しののめは古典語だから…、ある種の日本文化史みたいな感情が夕日のようにさし込んでくる。」
『海上の道』も柳田国男。下の引用も、柳田風の山の民話の世界である。
「「薄子色」の節子さんは子宝を授かりに、四日も歩く山奥の寺で祈祷を受ける。木彫りの赤児人形を祈祷が終わるまで抱いていた。夜になって布団に入ると…、赤ん坊が十人、山から下りてきたのだという。節子さんが一人を取り上げると、他の九人は山へ帰っていく。」
藤井氏は、マーサ氏の力量に圧倒されると、評価する。
「しかし、装置から装置へ幻影を追う仕方は一貫しており、難解でなくなる。…物語が息をつぐまもなく繰り出される力量には正直言って圧倒される。」
「一字一句、研ぎ吟味され物語化されるマーサ・ナカムラの読みの構成性を、こんな要約的な「書評」では伝わらない(ごめん)。詩の書き手たちが乗り越えようとするらしい現代だということだけが伝われば。」
昔話の世界に立ち返ることで、現代を乗り越え、新しい時代に進んでいこうとすると、藤井氏は評するところである。
千葉雅也氏は、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』など、読ませていただいている気鋭の哲学者であるが、小説も書いて、マーサ氏の小説と同じ雑誌に掲載されているという。「マーサ・ナカムラの一寸法師」(80ページ)と題して、評を寄せている。
「大きく言えば、マーサさんの詩の主体と思われるのは、幼少期の幻想、精神分析的意味でのファンタスム、それにおける親族関係の隠喩であり、それが個人的スケールを超えた「異界」的あるいは神話的な語りと融通無下につながっている。現代の世俗的生活、とくに(架空の)親類がよく出てくる場面が、狸だの天狗だのの世界に一瞬でモンタージュされ、私個人に関わる何らかの秘密が、ある地域やさらには世界全体の創成神話へとすり替わる。…そしてマーサさんに固有と感じるのは独特の民俗学的トーンで、山村の言い伝え的なものとか「婆」といった語彙とか。」
千葉氏も、精神分析、神話、民俗学との関りを取り上げる。そして「小ささ」へのこだわり。
「…真似できないなと思う特異点があって、それは「小ささ」への奇妙なこだわりである。」
「世界にはいたるところに一寸法師がいて、神話的でも世俗的でもある「家」の儀式が展開されているのだ。」
「小さな茜子」もまた「一寸法師」であることは論を待たない。
映像作家の布施林太郎は、東京芸術大学の大学院生であるというが、「ノイズリダクション マーサ・ナカムラの映像技術について」(82ページ)を寄せている。藤井氏も、「映像」と語り、千葉氏も「モンタージュ」と映像の技法との比喩で語っているところである。
3氏の評論の前に、田中さとみ氏、山崎修平氏との鼎談「世界はディテイルでできている」が収録されている。マーサ氏を含むこの3人は、共に同人誌「zuiko」を立ち上げた仲間である。山崎氏によれば、同人誌でなくてプロジェクトと捉えているという。自分たちで新しいものを作りだそうという文学的営みである。出会い、創刊時のエピソードなど読むと、若々しく、前向きな気分に満ちている。大学のサークルにも似た、部室における交流をほうふつとさせる。
ところで、世界のディテイルとは何か。読み進めて字面上で明確ではない。それぞれの詩を引きながら、その細部を引きながら語り続ける、それをさして「ディテイル」というのだろうか?
3人が、最初に一堂に集まったのが、神保町のラドリオだったという。路地裏の古くさい喫茶ラドリオは、いまでも古くさいままだろうか?床は今でも土間のままだろうか?
田中さとみ氏は、詩集『ひとりごとの翁』、『ノトーリアス グリン ピース』、山﨑修平氏は、『ロックンロールは死んだらしいよ』、『ダンスする食う寝る』と上梓されているようで、鼎談を読むうちに、いちど、読んでみたいと思わされたところである。特に山崎氏のロックンロール、ダンスという言葉、私にとっても大切な言葉である。
マーサ・ナカムラ氏は、中原中也賞に続いて、萩原朔太郎賞も受賞されている。前橋文学館において「変な話をしたい。ー異界への招待ー第28回萩原朔太郎賞受賞者マーサ・ナカムラ展」が5月30日まで開催されているとのこと。引き続きの活躍が期待される。
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