岩手県といえば、宮沢賢治のイーハトブ。独特の異空間。もちろん、石川啄木の、北上川、岩手山、故郷という捉え方もあるが、もうひとつ遠野物語の遠野もある。
大学を終えて就職し、都合六年間の首都圏での生活を切り上げて、気仙沼に帰ってきて、はじめて遠野を訪れた。
国道45号線を北上し、お隣の陸前高田から気仙川沿いに住田町に上り、確か国道107号を経由して遠野に入った。(赤羽峠のトンネルは開通前だったと思う。)
ここから遠野と表示する道路標識を通りすぎると、空気が一挙に変わった、ように感じられた。何か不思議な力がみなぎっているように思えた。あの柳田国男の、佐々木喜善の、おしらさまの、かっぱの…
市役所の行政も、あの千葉富三さんら、遠野物語のことを深く活かしているように思われ、お手本として見習うべき先達と思われた。
太宰治の津軽、大江健三郎の四国の谷間の山村、文学と重ねあわされることで、土地は深い意味を背負わされる。深い読み解きを必要とするような豊潤さを獲得することがある。
これは、もちろん、日本だけのことに限らない。フランスでは、「失われた時を求めて」のコンブレーとか、アイルランドは「ユリシーズ」のダブリンとか…
ところで、一般にはそんなに知られていないかもしれないが、気仙沼は、遠野と並ぶおしらさまの聖地である。今年、気仙沼市役所から神奈川大学常民研究所に籍を移した川島秀一さんから私は教えられた。
気仙沼と遠野とは、赤羽トンネルの開通以来、1時間強で行き来できる距離である。山の盆地の遠野に対して、海の深い湾の気仙沼。
また、別には平安末期の栄華を誇った内陸の川沿いの平泉に対して、海の気仙沼という一対も考えられる。
岩手、宮城の境は、明治以降のたかだか百数十年の区別に過ぎないが、岩手に隣接した気仙沼の、イーハトブや遠野と拮抗し、バランスをとるもうひとつの重心みたいな位置づけ、などということを言ってみても面白い、と常々考えてきた。北上山地から発し、半島を形づくる低い山なみに囲まれ、奥深く湾入する海と湾口を守る大島を抱え込んだ気仙沼という小宇宙。
ここには、花巻や遠野や平泉と拮抗するような独特の空気がある。リアス式海岸の成立以来の、独自の霊力を持った土地の精霊が住み着いている。
宮城県において、岩手県と深く関係しつつ拮抗しうる空気を持ちうる土地は気仙沼市しかない。(気仙沼以外の宮城県は、岩手県をそもそも問題として捉えていない、というべきなのだろう。)
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