タイトルの作品は絵本前半で、後半は、最終ページから読み始める、畠山重篤氏のエッセイ「”いきもの好き“少年記」となる。
はたけやまなぎ君は、重篤氏の孫、気仙沼市唐桑小学校の1年生だった。現在は3年生である。白幡美晴さんは、なぎ君から見ると叔父さんの配偶者で、はんこイラストレーターであり、NPO法人森は海の恋人の事務局も担う。
カバーにこう記される。
「”森は海の恋人“のふるさと「舞根」から夏休みのできごと。小学1年生、はじめての作文が絵本になりました。」
裏には、
「牡蠣いかだがうかぶ海。生命ゆたかな汽水湖・湿地。落葉広葉樹がひろがる森。”凪“という名前の少年と少年と祖父、生きものと自然へのまなざしが、宮城・舞根の「小さな世界」で交差する。世界じゅうが凪ぎますように―」
表紙をめくると、左側には、美晴さんの絵。薄い空色の空に、うっすら白い雲が広がる左上にカモメが1羽飛び、右隅にはアザミの花のもとに、茶色のウサギが1匹、後ろ足で立ちカモメの方を見上げてたたずんでいる。右のページには、右隅に5人家族の影絵が配置され、その上になぎ君の文章が次のように記される。
「8月8日、ととの はたけに、そばのたねをまきました。
とと というのは、おとうさんのことです。
とと と、ママ、なぎ、あかり、あいと 5人で まきました。」
ページをめくっていくと、美晴さんの、メダカの絵。透明なせせらぎの中に5匹のメダカと、水草と水底の小石が透けて見えている。
いったんは津波でよごれた畠を掃除して、種を蒔き成長したそばの畠のそばの山で、鹿が罠にかかっていた。鳥獣駆除の猟師が鉄砲を撃って、鹿を仕留める。
可哀想に思ったなぎ君は、
「でも、しかにも そばは たべてほしいです。
にんげんばかり そばを たべるのは、 ずるい と おもいました」
と記す。
「にんげんと しかが なかよくなったらいいです。」
絵本の最後、このページの美晴さんの絵は、中段、画面を横切るほの暗い低い森のうえの、やや紫の混じった濃紺の星空と、その星空を映し込み牡蠣筏が浮かぶ、静謐な舞根の湾。
後半の重篤氏のエッセイは、名作『リアスの海辺から』にも描かれた、舞根湾とその背後の森で過ごした子どものころの氏の姿である。宮沢賢治イーハトーブ賞受賞作家の少年時代は、もちろん、現在の舞根を生きる凪君の姿と重なる。
畠の作物を荒らす鹿は駆除され、その毛皮は暮らしに役立つ道具に加工され、その肉は生命をつなぐ食物となる。すべての生きものはつながっている。森と海と川のように循環する。私たちは、蕎麦にも鹿にも牡蠣にも感謝しつつ生きながらえていく。
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