先日、ここにお邪魔してきた。
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武蔵境駅から中央線に乗って、西に向い国分寺駅で降りる。
駅前から小ぶりのコミュニティ・バスに乗って、東元町1丁目というバス停で降りよとの指示であったが、ちょうど目の前で出ていったところで、時刻表を確認すると、あとは20分後である。近くの地図を見るとその番地はそんなに遠くはないようで、恐らく歩いたほうが早い。
方角を見定めて、妻と息子を促して歩き始めた。少しすると坂道、下ってから横断歩道を渡って細い道に入り、車は通らないのに、人通りが途切れない方向に進んでいく。少し先に小さな橋が見える。欄干に野川の文字。ここが野川の上流か。川幅の割に川底が深い。程よく古びた風情の三面コンクリートのずっと下に水面がようやく見える。(三面コンクリートとは言いながら、落ち着いた住宅街のなかではそれなりに馴染んではいるものだ。)
橋を渡って、二階建てや平屋の木造住宅のあいだを、途切れない程度の人の流れの上流に向かうように歩く。しばらく行くと、信号のある交差点、さほど広くはないが、車は通る道に出た。角にファミマ、すぐ向こうに小学校、地名の表示は、左手が一丁目、右側は二丁目。
さて、そこで、お宅に電話を入れてみる。
「あ、……君、そこで待ってて、すぐ行くから。」
ほどなく、ちりちりと肩までの長さのソヴァージュの女性が現れる。深い赤茶系統の織り柄の、少しだけ輝くような素材の風合いの良いストールをまとっていたか、黒いタートルネックのニットと、やはり深い色合いの緑の長いスカートだったように思う。こちらを見て、手を振ってくれる。
良く見ると、コンビニの隣の公園のところに、東元町一丁目のバス停があった。駅から、ほぼ最短の道順を選んで来たのだった。いつも、大体土地勘は合っているほうだ。いや、あらかじめ知っているわけではないので、方向感覚というほうが適切なのだろうか?土地勘があるというのは、住むなり、頻繁に通うなりして、実際にその土地を知っていることを指す。私は、生まれて初めて、国分寺の駅に降り立った。
国分寺と言えば、村上春樹がその昔、ジャズ喫茶を開いていたまちだが、それは、北口なのか、南口なのか。私が大学の当時には、店をやっていたはずだが、つゆ知ることもなかった。
路地の奥の小さな洋館風のお宅に通される。それは、まさに、あの本の写真にあるそのままの部屋。テーブルとイス、サンルーム、ソファと本棚、扉の向こうの細長い台所。イギリスの魔法の家。ふつうの家よりも、ちょっとだけ小ぶりのような、ちょっとだけミニチュアめいた家。
軽くすっきりと雑味が無く、それでいてどこか華やかなシャンパンをひとくちとガーリック・ラスクにマスカルポーネをたっぷり、そのあとは、大きなポットで淹れたダージリンに、お手製のスコーン、こちらはサワークリームとストロベリー・ジャムを添えて。
「私のお気に入りのアッサム・ティーが品切れだったの。だから今日は、ダージリンでね。」
そこから、夕刻の東京駅発の新幹線に乗り遅れない刻限まで、途切れない会話が続く。
彼女の脚本での、故郷の気仙沼でのはじめてのロケのときのこと、彼女がプロモートして私が手伝った現代詩を歌う歌手のコンサートのこと、彼女の同級生の気仙沼一のダンディのローマ・オリンピック代表のボート選手のこと、先日の私の電話の声を彼と間違ったこと、息子の大学の大先輩とのエピソード、それからもっと、終わることのないようなおしゃべり。
気仙沼の高校を出て、都会にあこがれて、親元を離れたくて、東京の女子美の短大に入学し、おしゃれで快活でいっぱしの才能もあり、都会で遊び、仕事をし、やがて結婚して、小さな自宅を持ち、ふたりの娘を得て、そしていろいろあって、脚本家になり、孫からはグランマと呼ばれ。
あ、そうか、グランマのマは、魔女の魔。グラン魔。
美味しい薬草で薬を煎じて振る舞い、ひとびとを癒すブリタニアの森の呪術医。ロビン・フッドの傷を癒す白い魔女。
佐野洋子の絵本に、こんな登場人物はいなかったっけ?
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