その2として、齋藤環・東畑開人による対談「文化と臨床 あるいは中井久夫の原理主義なき継承のために」のみを抜粋して紹介する。
私としては、精神科医療とか臨床心理、さらには精神保健福祉の分野の現在から未来へ向けて、示唆するとことの大きい事柄が語られた対談だと思う。
【中井久夫に見た希望】
まずは、新人時代、当時の精神科医療に絶望していた斎藤は、中井に希望を見たという。
「斎藤 私が新人研修をしていた八〇年代後半当時、地方の単科精神科病院の病棟は非常に悲惨な状況で、畳の部屋に患者さん数人が腕を結びあわされて寝かされているという光景も目にしました。…一体自分はここで何をしているんだろう、という絶望感で気の滅入る毎日だったのですが、大学院に入ってから中井さんの著作に出会って衝撃を受けました。―端的に、希望をもらったのです。」(100ぺージ)
中井には、鷲田清一との対談があるという。これはぜひ、読んでおきたい。鷲田の臨床哲学、また、哲学カフェの取り組みは、オープンダイアローグとの親和性が高いと思っているが、中井の精神医学とも近しいものはあるだろう。
「斎藤 中井さんは身体というものについてもとても精緻に語る人でしたね。『徴候・記憶・外傷』(みすず書房、二〇〇四年)では鷲田清一さんとも身体論をめぐって対談していましたが、臨床家でベクトルが近い人としては神田橋絛治さんがいます。」(103ぺージ)
神田橋絛治もまた学ぶべき先人である。
【中井久夫のブリコラージュ】
さて、東畑は、ブリコラージュしたもののほうが本物じゃないかと語る。
文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの語った「ブリコラージュ」、私自身は、はじめ大江健三郎のエッセイでずいぶん前に出会った言葉であるが、ここで、中井久夫のブリコラージュが語られる。そしてそれが、東畑のブリコラージュに通じる。齋藤も、どこか別のところで、自分の精神療法はは折衷派でブリコラージュだという趣旨を語っていた(オープンダイアローグに関する著作のどこかではあるはず)。この言葉については、鷲田もどこかで語っているはずである。
「東畑 …心理学的な真理がどこかにあるという期待感が消えて、社会とか経済とかが心を規定していくという発想になってしまったので。…それはそれで何らかの学派にコミットしなくてもいろいろなものがブリコラージュされて自分のスタイルはできてくるわけです。…僕の場合はまさに中井さんの『治療文化論』のおかげもあって、純正の学派でなく、ブリコラージュしたもののほうがむしろ”本物“じゃないか…と開き直るようになりました。…結局人と人とが出会って話をするという人類学的な営みとして心理療法を語り直す必要があると思うようになりました。」(111ぺージ)
ちなみに、ブリコラージュとは、何かが破損したときに手元にある素材や道具を使って応急的に処置する、応急手当てとか、間に合わせ仕事のようなことである。正当な職人が、本来の目的に沿った正当・適切な道具と材料を使って作る手工業品とか、工作機械で作る工場製品とかではない。
ここでは、精神科医療とか心理療法に役立つなら、既存の学派の学説に正当に則るばかりではなく、色々な流派の考え方を折衷して使っていいということだろう。折衷して使うとは、臨床において試行錯誤しながら、新しい自分なりの方法を発見し作り上げるプロセスでもあるわけである。
私が思うに、東畑の「心理学的な真理がどこかにあるという期待感が消えて、社会とか経済とかが心を規定していくという発想になってしまった」というところが、大事なポイントである。
【臨床と社会、ケアとソーシャルワーク】
そこから、ケアの発想、ソーシャルワークの発想につながっていく。
「東畑 …そこには、クライアントや患者の周りにあるケア資源を増やしていこうというソーシャルワークの発想があると思うんですよね。…セラピーよりもむしろ食事とか、そういう素人的なものが心を支えているのだという方向性がメンタルヘルスケアの巨大な潮流になっている気がしますね。ですから、ふつうの相談というのは、専門家性と素人性がないまぜになっているもので、齋藤さんのオープンダイアローグも、ある意味で、”ふつうの相談“化していくというか、フルセットでそのままやるのではなく土着化していくという発想でしたよね。
齋藤 土着をブリコラージュ的に生かしている感覚はすごくありますね。…中井さんの本には対話実践に応用できる言葉がたくさんありますが、オープンダイアローグ自体もケアの手法なので、響きあうのは当然かもしれません。」(112ぺージ)
私としては、このあたりの議論から、「ソーシャルワークのない精神医療、心理療法はありえないし、臨床心理的なケアのないソーシャルワークはありえない」、「臨床心理とソーシャルワークは、別ものではなく、一体である」と声高に主張していきたい思いがある。中井の「治療文化論」はそこに帰結するのだ、と。この対談の「文化と臨床」というタイトルは、まさしくそういうことを含意しているに違いない。
対談では、治療文化を考えるにあたって、世界各地の多様な文化と、人権などの普遍的な理念の対立について触れている。
「斎藤 日本にもかつて多くあった座敷牢なども、ある意味では”負の治療文化”というべきものですよね。…アフリカから中東に残る陰核切除などについても、文化だから尊重すべきと考えるか、ある程度欧米的なスタンダードな視点で禁止のほうに向かうべきかで議論がありますが、明らかに尊厳や人権を侵害している治療文化をどう扱えばよいのか、何かお考えはありますか。
東畑 人権という思想は基本的に普遍的で脱文化的なので、たしかにローカルな文化の治療とは対立していくものだと思います。ただ、どちらに振れても極端になるとそれは暴力になってしまうんですよね。ですから結局は中井久夫的にバランスをとるというところに最後はどうしても落ち着いていかざるをえないのかなと。」(115ぺージ)
【生物学原理主義の終焉】
そして、生物学原理主義には無理が来ているという。生物学原理主義とは、物質としての脳の構造だとか、脳内物質の代謝作用とか、そこでの薬の作用ばかりを重視して、いわゆる「こころ」を捨象した考え方のことであろう。心を捨象し、人間関係を捨象し、社会を捨象する考え方。
「齋藤 精神医学ではまだ生物学原理主義が強いですが、もうかなり無理が来ている感じですね。やや強引にまとめるなら、現在は「中井久夫」という治療文化が、中井ファンという緩やかな共同体で共有されていて、その中で皆がてんでに「俺の/私の中井久夫」について語りあっているという印象でしょうか。この「治療文化としての中井久夫」の継承については、今後の課題として考えていきたいと思っています。」(117ぺージ)
最後に、ウオノメを取ったら精神症状が良くなったというエピソードを引いておきたい。
これは、心と社会というよりも、心と体の関係性の問題ではあるが、「生物学原理主義」的には説明の困難な事柄ではないだろうか。
「東畑 僕が最も印象に残っているのは「微視的群れ論」(『世界における索引と徴候(中井久夫集3)』(みすず書房、二〇一七年ほか所収)にある、足の裏のウオノメを取って波を治したら症状が良くなったという話で、あれも中井久夫がいうと「さもありなん」と思わせる不思議な説得力がある。
齋藤 中井さんは…広義のシステム論者でしたから、ウオノメと歯の治療が心身システムのバランスを回復させた、といった発想だったのかもしれません。)(104ぺージ)
何か、象徴的な話ではあると思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます