ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

小説 スルドⅡ 薪窯のピザ

2012-11-21 00:10:13 | 小説

 サンバの集団は、テントの間の細い通路を抜けて、芝生の中にしつらえた仮設の舞台の前に進み、ひときわ賑やかに打楽器の音を打ち鳴らす。光る素材の生地で作った衣装をまとった男女の踊り手たちは、楽手たちの前に展開する。一方、サンバらしい、大きな天使の羽をつけた小さなコステュームの踊り手たちは、舞台下の楽手たちに守られるかのように、その背面の舞台の上に進み、ハイヒールの靴のまま、激しい踊りを踊る。
 躍動するリズム。仮設の舞台は激しく振動する。細かな振動に重ねるように、大きなうねりのような波動。物質の最も小さな粒子は波動と区別がつかないという。そこから立ちあがってくるような最も根源的な波動。仮にいったん死に絶えそうになる生命が、再び奥の底から立ちあがってくるようなエネルギー。
 ぼくと妻と息子は、そのエネルギーの真ん前に座り込んでいた。
 それから間もなく、演奏は終わる。
 息子は、おそろいの緑色のTシャツを着て手伝っていたOBのひとりに声をかけてすぐに戻ってきた。
 数年のブランクの後、春から大学に戻って以降も、このサンバのサークルには戻っていない。練習に参加したわけでも、スタッフとして手伝ったわけでもない。
 そのまま片づけに参加して、打ち上げまで居残るという選択は息子にはなかったようだ。久しぶりに上京して、夏休み以来に会ったぼくと妻と一緒にいることを選択した。
 もっとも、サークルのメンバーと合流して、などと少しでも考えたのは私ひとりであったようだ。息子も妻も、この日から翌日にかけては、家族で共に過ごすことが当然のことであった。
この日はまだ、お昼を食べないでいたので、学食へと向うが、午後の時間帯で休憩中。コーヒーなどの飲み物の提供のみで食事はない。しかたがなく、テントの屋台で、スパイスをたっぷり使った東南アジアの餃子やら中東風のお好み焼きやらで軽くごまかして、正面のロータリーから、駅前に戻るバスに乗る。
武蔵境南口の、息子の学生会館に近い商店街の中のパン屋で、ベーグルを買って、公園のベンチで食べる。もっちりとして食べ応えがある。いちじくとクリームチーズ、七味唐辛子、はちみつの三種。一個250円くらい。美味い。
それから、自家焙煎の珈琲店に入り、グァテマラを200グラム買い求める。一杯づつコーヒーを飲む。 ここのコーヒーは、確かに美味い。店主は、K~からお出でですよね、とぼくたちを覚えている。

中央線に乗って、吉祥寺に出る。駅の南口から、公園に向って、細い通りを歩く。右の横丁に折れてすぐ、その店は地下にあった。ピザの専門店。地下ではあるが、大きな窓から店内が見える。窓の湾曲したガラスに沿って半分だけのらせん様の階段が降りている。白い建物。地面から見下ろす大きな窓は、南欧風の開放感がある。
予約席を除けば、店は既に満席だった。
―3名様ですか。30分ほどお待ちいただければ席は空きます。よろしければ携帯にご連絡差し上げますが。ただ、8時には次の予約が入っていますので…
井の頭公園に出て、池にかかった橋を渡る。暗い水面のうえにたくさんの白鳥のかたちのボートが係留されている。すでに営業を終えて休息している。もう一本橋を渡って、タイ料理店への石段の下まで行く。石段を上ると、若い男の店員が、いっらしゃいませと。
―あ、いや…
と手をふって、引き返す。
―あなた…と妻が笑う。
池を渡る橋の方へ戻りかけると、携帯が鳴る。
階段を下りてドアを開けると、料理人風の白衣を着て白いエプロンをした女の子が席に案内してくれる。ウェイトレスではあるのだろうが、ウェイトレス風の装いではない。レストランらしいレストランではなく、料理人が実務的に料理に専念して、その延長で、お客に、過剰なサービスを削ぎ落とした最低限のサービスをするというふうな。
店の奥に、ピザ窯がでんと納まっている。胸の高さの口の奥、左側に火の起きた薪が見える。足下には、割ったままの薪が、ブリキのバケツか何かに入れて置いてあるのだろう。木製の用具を使って具を載せたピザを入れる。
フレッシュなトマトソース。濃厚な、コクのあるモッツァレラチーズ。メニューは1000円しない値段からある。パスタはない。
溶ろける味わい。美味い。トマトはトマトの、チーズはチーズの味がする。
 生ビールを頼んだのはぼくだけで、妻は、ブラッドオレンジのジュース、息子は、オレンジジュース(オレンジ色の)。
 隣のテーブルに、大きな餃子のような、チーズやその他の具を皮の中に包み込んだピザが運ばれてくる。
―ひとつは、あれ、頼んでも良かったな。
―でも、結構おなかいっぱい。
 3人で、前菜一つとピザ二枚しか頼まなかった。

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