有馬もとの補助犬訓練士ダイアリー

聴導犬・介助犬国際認定インストラクター(日本聴導犬協会)有馬もとのプライベートブログです。

1262 引退犬まつ君 子犬への教育的指導がかり?!

2013-12-19 22:17:58 | 聴覚障害福祉

 ユーザーさんのご家庭の事情で、協会に預かっている「元聴導犬まつ君」。(福)日本聴導犬協会の主治医である柴内先生による6時間にわたる手術を経て、赤坂動物に長く入院していました。

←手術後は、笑顔が増えました面倒をみてもらっている子犬軍団。寝顔はかわいい

 ひ臓の部分は腫瘍はありましたが、悪性ではなく、首の部分にできた大きな腫瘍は、残念ながら、悪性でした。現在、漢方薬を飲ませながら、術後観察をしています。

 ユーザーさん宅では、静かな、のんびりした生活でしたが、協会では他の仲間たちと常に一緒です。特に、今は、生後5~6カ月の幼犬たちと一緒なので、落ち着けないかな? とも思ったのですが、なんと、保父として忙しい毎日を過ごしています。↓ やんちゃな「さくらこ」に説教? まつおじさん

←やっと寝ました。

 子犬たちが限度なく、遊んでいれば、中にわって入ったり、ガウガウとうるさく注意をしています。子犬たちも、小言のおおい「まつおじさん」のはずなのに、別部屋からまつ君が戻ってくると、よろこんで競って口をなめに行きます。「パパ、ボクたちのご飯は?」みたいな。

 まつ君はというと、子犬たちの教育的指導をするたびに、胸をはり、肩をいからせて、スタッフの方に戻ってきます。 どうも、自分の担当!! と思っているらしい。

 なにはともあれ、ユーザーさんと別れて、寂しい。悲しいまつ君ではなく、新しい役割を見付けて、キラキラしているまつ君を見て、ホッとしています。

 残る命を、少しでも輝かせて。なんとなく、協会犬全部で、願っているような気がします。

 


1261 日本聴導犬・介助犬訓練士学院だより  27年間勤めた看護士を辞め、50歳からの再スタート  

2013-12-19 18:25:23 | 長野県はいい所

   日本聴導犬・介助犬訓練士学院便り 第5期入学生  前田来仁子(くにこ)

 日本聴導犬・介助犬訓練士学院(以下:『学院』)は通常2月入学のところ、仕事の引継ぎや引っ越しもあり4月から始まった学院生活も早9ヶ月。27年間勤めた看護師を辞め、学院で勉強させていただくことを決めたのは50歳になった時。ずいぶんと遅いスタートでした。

子供の頃から動物好きで、将来は動物と関われる仕事がしたいと思いました。中学生の頃、盲導犬を知り、ぼんやりと“盲導犬の訓練士っていいなあ”と思いながら看護師として過ごしてきました。そのまま定年まで勤め上げる道はもちろんありましたが、残りの10年間を動物とも関われる仕事に挑戦したいと強く思いました。「学びたいと思う気持ちにトシは関係ない」と、学べる場所を探すと、『学院』では第二の人生「ライフワーク」として中高年の入学生も積極的に募集していました。ただ、戸惑ったのは、これまで住環境の理由で犬を飼った経験のない私が「犬舎を持たない」という協会の方針で「24時間、犬との生活」でした。ちょっと気を抜くと、何かをしでかす子犬たちのやんちゃぶりにも。

でも、最近あるボランティアさんが「犬への接し方に余裕が出てきたね」と言ってくださいました。自分では気がつきませんでしたが、毎日の世話や日々犬たちに接する日課や訓練で協会が目標とする「自然体(肩の力を抜いて)で行う」訓練ができたようです。

『学院』の指導とともに、ボランティアさんやご支援者様など協会に関わる多くの方々、そして協会犬たちに私自身が育てられていると実感できる日々です。協会の訓練は「脳の活性化」を目標として聴導犬や介助犬訓練に「遊び」を組込んだユニークなカリキュラムです。そのユニークさが高く評価され、協会の国際支援として国立屏東科技大学付設「工作犬訓練学校」への訓練協力や権威ある同大学獣医学部での講義のための有馬会長の招台となり、私も同行させていただきました。

国内外の様々なイベントにも同行し、幅広い知識と技術を学ばせていただいています。「1時間目○○」「2時間目○○」という、普通の学校のようなカリキュラムではない毎日に、当初は戸惑うことばかりでしが、充実した日々はあっという間に過ぎ、学院生としての生活もあと3ヶ月となりました。新しい知識を覚えたり慣れるのに時間がかかり、熟練のスピードは遅いですが、卒業までの期間を大切にしたいと思います。特例で1月からは半分学院生、半分スタッフとなれました。これからもよろしくお願いいたします。