膝が猛烈に痛い。なんでかというと、ハイヒールで歩き回ったから。膝の関節が腫れてきてる。しかたない。それでもいいと思った。お箸(チョップスティック)くらい長くて細いヒールの、すてきなサンダルを履いて結婚式をあげたかった。
「人魚姫はもっともっと、この千倍くらい痛かったのだ」と想像して耐えた。
てなわけで、私は先週、楼前先生と結婚した。
若い同僚が、「(立ち直りが)早いね!」と感嘆してくれた。うちの店のポスターの有名なキャッチフレーズの前でしくしく泣いてた私を知ってる同僚は、「しなやかな人生ですねえ」とほめてくれた。
「恥ずかしかった場面」
市役所のチャーチ(小部屋)で宣誓、指輪交換をした後、黒人の女性職員が、「では今の気持ちや、今後の人生の抱負を、<love>という言葉を使わないで述べてください」と言った。ははあ、いっかにもアメリカ人らしいことを言いよるなあ、と感心した。が、感心してる場合ではない。何か言わなきゃいけない。
先生が一秒の間も空けず喋りだした。
「トナコ、私をありのままに受け入れてくれてありがとう。今後、私の人生は君なしにはありえません。君を幸福にするそれこそが~♪、これからの僕の生きるしるし~♪」みたいな、財津和夫の歌みたいな、胸きゅん、でもちょっと古っ、みたいな台詞を、あっという間に語ってしまって、すぐに私の番となった。
先生が語ってる間に考えたらよかったのだが、実は女職員が確かにそういったのかどうか自信なくて、先生のスピーチを聞いて判断(ゲス)するしかなかった。そして、その場のなりゆき上、即座に何か答えなくてはならなかった。しかしなんの英語もアイデアも出なかった。しかたなく、先生を見つめて、うるんだ目で、「me、too」と言った。そしたら子供たちがそろって失笑した。子供じゃないんだから、ミートゥーはだめだよなあ。でも言っちゃった。先生の娘の素手羅が、「シンプルでユニークだった」と慰めてくれた。
その後、市役所の出口のところでワイングラスを踏んで割る(ジューイッシュの結婚の)儀式をした。そのグラスは、先生の一回目の結婚の名残の最後の一個のグラスだった。
それから屋台のシシカバブを食べる食べないで、先生と息子の寒がもめた。えんえん駐車場で、拷問に近いハイヒールの痛みに耐え、喧嘩が終わるのを待った。結局シシカバブを食べなかった。
「感動した場面」
結婚式に行く前に、先生の二番目の妻の家に寄った。私と先生の晴れ姿の写真を撮って、「おめでとう、ミセス楼前」と言って、元妻が私に花束を渡した。元気に明るく言いかけたのに、後半が涙声になった。真っ赤な鼻になってしまった。なんともいえぬ顔だった。私ももらい泣きしそうになった。離婚して九年もたつのにやっぱり結婚されるのは寂しいのだなあと思った。逆に嬉しかった。「ありがとう、ミセス楼前」と答えて、私は彼女と長い長いハグをした。「大丈夫、彼はいい人よ、私が保証するから」と彼女が最後に言い、二人でくすくす笑った。