塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

イバン・デ・ラ・ペーニャについて僕が思うこと(2)

2010-11-07 00:24:53 | 日記
 デ・ラ・ペーニャの進む先に立ちはだかったのは、ボビー・ロブソンの後任
としてアヤックスからやってきたファン・ハールでした。

 それまで感性と一撃必殺のスルーパスでのし上がって生きたデ・ラ・ペーニャ
ですが、ファン・ハールは彼を

 「戦術的インテリジェンスに欠けている」

 と判断し、試合での起用を見合わせます。

 僕が呑み込みが疎いように、デ・ラ・ペーニャは戦術を理解し、約束事を守る
事の経験が不足していたんですね。

 彼にとって回り道となったのは、バルセロナからの移籍先がラツイオだった事で
しょう。

 当時のラツイオはイタリアだけでなく欧州でも強豪として認知されていた上、イタ
リアは自他ともに認める、守備と戦術に依存したサッカーを展開します。

 リトル・ブッダがイタリアと噛みあうはずがありません。

 彼はその後パリ・サンジェルマンからラツイオ、そして古巣のバルセロナと流浪の
旅を続けたのち、現在のエスパニョールに辿り着きます。

 デ・ラ・ペーニャは同世代であるラウル・ゴンザレスと共に、時代のスペインを担う
選手として非常に評価されていましたが、代表での実績はキャップ数も含めてラウルに
は全く適いません。

 でも僕はスペイン、イタリア、フランスと3カ国で

 「落第」
 
 と嘲笑されながらもエスパニョールの活躍が認められ、代表召集を受けるまでに盛り返
したデ・ラ・ペーニャは賞賛に値する人物だと思うのです。

 僕も呑み込みが甘くて

 「よくわからないな。」

 と思うときが度々あるのですが、自分の感性を忘れずその場で意見交換をしながら、こな
していけたらよいな。と考えています。

 デ・ラ・ペーニャも自分の感性を大事にしながら、エスパニョールの顔になったはずです
から。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イバン・デ・ラ・ペーニャについて僕が思うこと

2010-11-07 00:13:33 | 日記
 僕はスペインサッカーとスペイン代表にはそれほど関心が無いのですが、
イバン・デ・ラ・ペーニャが代表に選出された時は、自分の事のように嬉し
かったですね。

 僕は自分で言うのもなんですが、
 
 「呑み込み」

 が良くない方で、相手のの脳裏に浮んでいる事柄を、共有できない時があるん
です。

 僕自身デ・ラ・ペーニャと似ている部分があるな。と感じたのは、僕も彼も
「感性」を大事にしていると思ったからなんです。

 1996-97シーズン、デ・ラ・ペーニャは所属先のバルセロナのファンから

 「リトル・ブッダ」

 と渾名が付けられるほど、彼の特徴であるスルーパスが際立っていたんです。

 リトル・ブッダという渾名は彼が坊主頭で小柄なことから名づけられたのでしょうが
何よりも彼とコンビを組んでいたロナウドの言葉が、このシーズンのデ・ラ・ペーニャ
の好調ぶりを示しています。

 「デ・ラ・ペーニャをインテルに連れていきたいよ。」

 96-97シーズン、ボビー・ロブソンに率いられたバルセロナは、国王杯と当時の
カップ・ウイナーズ・カップの2冠を達成しましたが、この2冠の立役者となったのが
ロナウドとデ・ラ・ペーニャだったのです。

 翌97-98シーズンからロナウドはインテルへ移籍したのですが、デ・ラ・ペーニャ
にラブ・コールを贈るロナウドの言葉は、確実に本心からだったと思います。

 しかしデ・ラ・ペーニャは思いもよらない形でバルサを退団し、自身も想像しなかった
であろうイタリアへの移籍を98-99シーズンに果たすのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする