塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

寛容という名の姿勢

2010-11-10 01:51:46 | 日記
 様々な軋轢を抱えながらの日本対中国の一戦は、3-0で日本の完勝であり
快哉を叫んだ方も多いのかもしれません。

 僕の父もテレビのダイジェストを見て興奮していたひとりですが、日本勝利が
ことさら強調される背景には、歩んでいるようでそうではない昨今の日中関係が
影響していることは間違いないでしょう。

 ただ今回の日本対中国戦は、2004年のアジアカップの時に比べればまだ

 「大人しい」

 部類に見えました。

 それは受け入れる中国側が「アジアカップ」という限られた国だけを招いている
わけでなく、「アジア大会」として各国を受け入れていることも、大きく影響して
いるように感じます。

 僕が思うのは今後日本がホームに中国を迎えた際、中国のファンと同じ真似をしては
ならなうという点です。

 罵声や非難を浴びせる事は簡単でしょう。

 でも僕はそこに

 「寛容」
 の精神を持って、選手もファンも中国の選手、そしてファンを迎え入れるべきだと
考えています。

 サッカーの特に代表戦は、試合の質だけでなくファンの観戦態度も大きく報道され
ます。

 日本のファンが海外で概ね好評に捉えられている背景には

 「スタジアムで暴れない事」
 「ちらかして帰らないこと」

 などファンである前に人間として恥ずべき行動を封印しているからです。

 ですから中国戦を特別な試合とは考えず、通常の試合として捉え声援を贈る事で中国
との差別化に繋がりますし、そちらの方が健全だと皆が思うはずです。

 まだ初戦に勝利したのみですし、関塚監督以下選手達にはコンディションを崩すこと
なく試合に集中して欲しいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする