塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

バルサの喜び、アルゼンチンの溜息。

2011-12-19 02:03:54 | 日記
 メッシがバルセロナで輝けば輝くほど、アルゼンチンのサッカー・ファンの苛立ちが
募る。

 この不可解な現象は、バルセロナの世界一で更に強まると予想されます。

 アルゼンチンサッカーの関係者ならば、1993年以来遠ざかっている国際舞台での
優勝を得るためには、メッシの力が不可欠なことを認めています。

 その一方でファンは、代表では

 「体たらく」

 とも思える出来の小柄な選手が、到底2年連続バロン・ドールに輝いたとは思えないわ
けです。

 一概にアルゼンチン代表とバルセロナの比較はできません。

 しかし今のアルゼンチンには、メッシと呼応できるだけの選手が存在しないのかもしれ
ません。

 皮肉な出来事ですが、テベス、アグエロ、そしてラベッシとメッシ同様欧州リーグで
活躍する選手にアルゼンチンは恵まれているものの、

 「想像力」
 「創造性」

 の点でメッシには及ばないのでしょう。

 その一方でバルセロナには、シャビとイニエスタだけでなく、ペドロにビジャ、そして
セスクとメッシの考えを共有できる選手が揃っている形になります。

 それはバルセロナの「根幹」が基本変わらない事に対し、アルゼンチンだけでなく代表
が、代表監督の嗜好が反映される為、描くサッカーがその時によって異なることも、大きく
影響しているはずです。

 メッシが3シーズン連続で

 「バロンドール」

 に輝く可能性は非常に高いですが、その受賞はアルゼンチン代表で彼が

 「待ったなし」

 の状況に追いやることでもあります。
コメント
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