塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

移籍という現実を考える

2012-04-04 02:29:19 | 日記
 移籍が日常化した今日のサッカー界では、かつての主力が対戦相手として凱旋する事
もあれば、かつての僚友を対戦相手として迎える難しさもあります。

 もし僕が古巣に

 「対戦相手」

 として帰還したなら、どんなことを考えるか時に想像することもあります。

 馴染みのないビジター用のロッカーと、かつて声援を贈ってくれたファンとの再会、そ
して厳重に警備された移動用のバスなど、その違いは歴然としますね。

 アーセナルのファンがアンリを、ユナイテッドのファンがベッカムを拍手で迎え入れた
事は、イングランド・サッカーの

 「懐の深さ」

 を示した瞬間でもありました。

 この試合はチャンピオンズ・リーグの舞台であり、かつての主役が活躍することは彼ら
にとっては見たくない光景だった為です。

 リバプールのファンが逆上し、フェルナンド・トーレスのジャージを燃やすような抗議行
動にでたこともありますが、やはりサッカーの世界における移籍というのは、選手に大きな
負担を与えます。

 「サッカーは世界共通語」

 この言葉はある意味事実ではありますが、シェフッチェンコやイアン・ラッシュに同じ事
を聞いてみると良いでしょう。

 彼らはきっとほろ苦い表情で

 「それは側面にすぎない」

 と僕たちを諭すはずです。
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食事とサッカー、日本は雑多?

2012-04-04 02:09:04 | 日記
 日本では日々の献立が変化するのは当たり前の光景です。

 自宅での食事も和食の日もあれば洋食の日もありますし、外食にしても様々な国籍の
料理が口にできます。

 日本は宗教的価値観に伴う禁忌が他国に比べると少ないこともそうですが、他国の良い
所は貪欲に吸収する、日本らしさが食事にも現れているのでしょう。

 しかし欧州では基本、その国の料理を食べるのが基本のようです。

 つまりフランスであれば伝統的なフランス料理を、イタリアでは伝統的なイタリア料理
を家主が家族のために調理するそうで、アルコールや品数は異なっても、

 「食事の風景」

 は今も昔も変わらないのです。

 日本は世界でも有数の、海外サッカーの映像が見られることで有名ですが、この雑多と
もとれる情報量の多さは、各国料理が幾らでも食べられる光景と、非常に酷似している
と思います。

 日本はアマチュアの時代が長く、五輪もワールドカップも外国籍の関係者の協力者無し
に出場権は得られませんでした。

 逆に言いますと、この「弱者」という面が下手なプライドを抱くことなく、他国の協力
を仰げることに繋がりました。

 その一方で

 「日本は伝統を尊重しなくなりつつある。」

 という側面があるでしょうし、事食事にいたってはそうですね。

 実際僕も出社前の食事はパンですし、麺類を口にすることも多いですから傍から見ると、
日本人は主食が難なのかわかりづらいかもしれません。

 サッカーではようやく「らしさ」が浸透しつつありますが、食を含む文化でも「これ」とい
うものを海外にもう一度発信する時と言えそうです。
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