塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

山雅、田中隼磨の入団を発表

2014-01-07 23:41:36 | 日記

 松本山雅に田中隼磨が移籍しました。

 地元出身者が加入したこと、松田直樹の背番号3を彼が引き継ぐということもあり、今日の信濃毎日新聞でも大きく報道されています。

 田中はグランパスエイトから契約満了という形で移籍したわけですから、山雅は給料を負担しても移籍金は発生していないはずです。

 両者にとって良い契約になりましたが、僕は田中の移籍に対して一つ別の見方をしています。

 それは

 「有名外国籍選手と余所から来た日本代表よりも、地元出身者の方がファンの源として認知されるのか?」

 というものです。

 田中はグランパスエイトで常に主力であり、その前に在籍したF・マリノスでもそうでしたし、オシム政権が続いていれば日本代表に定着していたかもしれません。

 ですから2014年、山雅に在籍する選手の中で知名度と実力は群を抜いて高いのは間違いありません。

 Jは外国籍選手の獲得にリスクを冒す危険性を減らすために、リーグの在籍経験を重要視しています。

 ヴィッセルがペトロ・ジュニオールを獲得したのはその一例でしょうし、日本代表の肩書を持つ選手でも、移籍先ですぐに馴染めるわけでもありません。

 田中の獲得でアルウインが更に熱気を帯びるようになれば、モンティディオやホーリーホックのような地方クラブも、地元出身者の契約を重点に置き、更に地域性を増す運営が増えるように思えます。

 それはパルセイロも同様なのですが。

 

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エウゼビオ、永遠の眠りにつく

2014-01-07 01:09:34 | 日記

 エウゼビオ氏が71歳で他界したことを受け、ルイス・フィーゴにロナウド、ナニなど母国ポルトガルを代表する選手だけでなく、対戦経験を持つボビー・チャールトンやミッシェル・プラティニなど、欧州サッカーの要職からも彼の死を悼む声が寄せられています。

 日本代表が今も昔も

 「釜本が現役ならば」

 とため息を付いたように、ポルトガルもエウゼビオがいてくれたらという願いを捨てきれずにいる時間が多かったものです。

 2000年代はヌノ・ゴメスにペドロ・パウレタなどの人選がありましたが、2010年ワールドカップにはブラジル出身のリエジソンを帰化させて招集するなどやはり確固たるストライカーの存在を嘆く形になりました。

 僕は彼の立場を不動にした1966年ワールドカップ、そしてベンフィカ時代の活躍を書籍で読んだだけで、映像で確認したことはないのですが、彼の素晴らしさは愛称である「黒豹」に込められています。

 ポルトガルの植民地であったモザンビークからやって来た黒豹。

 それでも彼はポルトガルに敬意を払い続けましたが、もしサラザール政権でなければベンフィカを離れていたのでしょうか。

 出版社が企画する世界最高のストライカー・アンケートで1位を争うのはゲルト・ミュラーかファンバステンの事が多いのですが、僕はエウゼビオが1位のように思えます。

 理由は

 「何となく」

 というあってないようなものですが、彼がいたからこそ小国ポルトガルにワールドカップに出場できたことは事実で、それはやはり素晴らしい名誉だと感じる為です。

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ペコロスの母に会いに行くを読んで思う事

2014-01-07 00:53:18 | 日記

 西日本新聞社から発売されている「ペコロスの母に会いに行く」を買い求めました。

 反響が多い書籍ですので、既に読まれた方もいるでしょうし、気になっている方も多いと思います。

 作者の岡野雄一さんは故郷長崎県を20歳で旅立ち、離婚を契機に40歳で長崎に帰郷するのですが、現在はお母様を施設に預けながら、岡野さんも通い続けてこの本を出版します。

 岡野さんが故郷を離れ20年の時を経て戻る過程。

 それは読んでみてわかることですし、個人個人の判断に任せるべきですが、この本を読んで感じたことは流れゆく時の中に、ふと故郷を思える瞬間がある事の大切さです。

 岡野さんの故郷にはⅤ・ファーレン長崎があります。

 もしサッカークラブがその役目である地域貢献を願うなら、首都圏に働きに出ている地元のファンが、地元のクラブが遠征に来た際に駆け付けてくれる、クラブの傍に居たいから戻ってきた。

 こんな話を聞けるようになったらな本当に一人前になったと言えるのでしょうね。

 僕は人が生きてゆく中での最小単位は「個人」だと思いますし、その点は今でも変わりません。

 その一方で家族こそが最小単位と考える方は多いでしょうし、むしを僕の方が少数派でしょう。

 「ペコロスの母に会いに行く」はこうした家族と個人の意識、故郷を思う気持ち、昔の風景など人間が普段は意識しませんが心の中に深く刻まれている事柄を思い出せてくれます。

 この本を読みながら、夢中でサッカーボールを蹴っていた自分を思い出しました。

 近い将来長野でも

 「パルセイロの近くにいたいので長野に戻ります」

 という声が聞こえるようになるなら、パルセイロ関係者の感慨深さは相当な代物になるはずです。

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