塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

裏方を大事にすること、一つの終わりのむずかしさ

2014-01-13 23:03:53 | 日記

 皆さんはきっとシャープ・ペンシルを使っていると思います。

 この言葉は和製英語で、実際は「メカニカル・ペンシル」と呼ぶそうですが、僕は今も昔も完全なる鉛筆派です。

 僕自身は筆圧が強いとは思いませんが、シャーペンを使っているボキボキと芯が簡単に折れてしまい、書く作業が中断してしまうのです。

 僕の使う鉛筆削りはSLの代名詞「D-51」をモチーフにしており、ご近所の文具店で購入して今年で31年を迎えます。

 小学校入学と共に歩み始め、大学時代は記憶にないのですが手許においてあったはずですから、どんな用具よりも僕が愛用してきた、なくてはならない代物だのですが、最近うまく削ることができません。

 中で鉛筆画空回りしてしまうのです。

 「遂に買い替えの時期か」

 と思うと、本当にさびしいものです。

 中村俊輔がセルティック在籍時、ドアマンがドアの開け閉めをすることに驚いていましたが、100年の歴史がザラである欧州サッカーでは、勤続年数が途方もなく多い従業員が数多く存在するはずです。

 彼らは当然クラブに愛情を注ぎ、同時に選手にも同様の感情を持ちます。

 それ以上にクラブが彼ら、裏方の人間に敬意を払い、その役目を尊重しているからこそ、勤め上げることができたはずです。

 日本でも一つの会社で定年まで働き続ける事は困難ですから、勤め上げた人間は本当に大したものだと思います。

 ミランですとバレージは祝福されながら退団しましたが、ウルトラスを対立していたマルディーニは、むしろ遠征先でその功績を讃えられる、皮肉を味わいました。

 鉛筆削りは裏方に当たりますが、その存在を僕自身が気付かないうちに重宝していたからこそ、これだけの付き合いになったと考えます。

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高校選手権を見て感じた点

2014-01-13 18:52:38 | 日記

 松商学園が16強、そして決勝を星稜と富山第一で争う形になった高校選手権。

 これらの地域にはそれぞれ松本山雅、ツエーゲン金沢、そしてカターレ富山が存在します。

 長野県は長野パルセイロ、富山県にがヴァリエンテ富山という受け皿もありますし、首都圏だけでなく地方にもJのクラブが生まれたことが、全国規模で競争力を高めているとすれば。

 それは過去になかった具体例と言えます。

 清水、浦和のような伝統的にサッカーが盛んで強豪がひしめく地域は、今も昔も厳しい生存競争が生徒の間で行われているでしょう。

 ナイキ、アンダーアーマーのように米国資本の企業が、大学バスケットとフットボールの用具を提供し、速い段階から有望株に品質の高さを知らせていますが、今後高校サッカーもより各ブランドの熱が高まる舞台になるでしょう。

 決勝に進んだ両校はいずれもプーマから支給を受けていましたが、冠スポンサーであるプーマからすれば最良の結果と言えるでしょう。

 逆にアシックス、ミズノ、アンブロなど老舗も数多くの高校を支援していますから、パイの奪い合いは今後激化することは間違いありません。

 一方、海外リーグのスカウトがこの

 「高校選手権」

 を補強先に選ぶことも増すはずです。

 野球では甲子園球場にスピードガンとスピードウォッチをもった日米のスカウトが、バックネット裏から指名選手を虎視眈々とねらっていますが、ドミニカやヴェネズエラよりも、日本の方が体系化されている側面があるのでしょう。

 日本のサッカーが海外との距離を縮めるには、海外スカウトとの競合が待っていますが、選手にとって最適の選択を両親と学校側は見出す必要がありますね。

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僕が社会に還元できることを探す

2014-01-13 14:06:03 | 日記

 不思議なもので、僕の会社で重役、もしくは仕事ができると認識されている多くの方が、昼食にカップラーメンや店で一般用に作られた弁当を買っています。

 そして休憩中でもスマートフォンを操り、大した分別をする様子もなく、ゴミを捨てている印象があります。

 ちなみに書店の棚には

 「服装はその人間のクラス、立ち位置を示す大切な要因」

 と様々な書籍が並んでいますが、皆さほど気を使っていないようにも思えます。

 僕は弁当持参なのでゴミを出すことはありませんが、会社が購買している日経を読みながら食べていますから、その点はお相子かもしれません。

 しかし、僕より立場が上の人間がカップラーメンで腹を満たしているとすれば、それは車でいうガソリン補給に手を抜いている証であり、解せないと言わざるを得ません。

 勿論暮らしの内容はそれぞれですから、僕が意見しても仕方がないのですが。

 でも下っ端の僕が体と服装、そして靴の手入れにできるだけ力を注いでいることを踏まえると、どうしてもこの光景が矛盾しているように見えて仕方がないのです。

 サッカーに関心がある方ならば、サッカーを通じて様々な事柄を学んでいますね。

 それは栄養と水分補給もそうでしょうし、フェアトレードや分別に関しても同様です。

 スタジアムで出たゴミをボランティアとフロントの人間が片づける以上、分別の推進と持ち帰りが僕たちファンにとっては当たり前の行動で、この行動なくして良い観戦環境は生まれません。

 またナイキを筆頭に、各スポーツブランドが手掛ける環境と労働者への配慮など、自社と比較検討して見る事も面白いでしょう。

 ナイキがかつて工場の廃棄素材を用いて作成した「ウーブン」、近年ならばフライニットというように、素材を粗末にしない取り組みはファッションの観点からでなくともおおいに注目すべきです。

 アディダスだって日本代表ジャージを作成する際に、着なくなったレプリカジャージを集めて裁断し、素材に変換していますし、ユニクロも自社の着ない服を集めていますよね。

 僕も他人を指摘出来ない面はありますが、サッカーと日常を通じて自分が還元できることを、今後も探してゆきたいと思います。

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役立たずに明日はあるのか

2014-01-13 13:54:21 | 日記

 仕事において「人間性を重視」は建前であり、企業が求めるのはコンピュータに強く、同時に迅速に仕事をこなせる人物。

 前回お話した内容を要約すれば、上記の言葉になります。

 例えば僕のようにスーパーに勤務していれば、パソコンに触るよりも段ボールを運搬カートに触る時間の方が圧倒的に多く、一般企業とは確実に流れる時間が違います。

 重役はパソコンで数字を眺め、書類を作成していますが、電話が鳴る、手洗いに立つ、食事をする以外の多くは無言でキーボードを叩いています。

 夕方から夜間にかけてその光景はより顕著になり、皆が無言で叩いている姿を見ると、僕のような気弱な人間はその空間にいるだけで空恐ろしくなってしまいます。

 「到底こんな空気、僕には馴染めない」

 例えば水戸黄門のうっかり八兵衛は、腕っぷしがなく悪党との戦いにはむしろ足手まといです。

 でも八兵衛のことを黄門様も含めて、皆が邪魔扱いしないのは彼の食い意地、言い換えれば食べっぷりや食べ物の話が、皆を朗らかにし明るく旅をする原動力になっている為です。

 Jリーグや日本代表にまでり詰めた選手たちは、それだけの実力を兼ね備えています。

 でも、皆が皆エースとして君臨できるわけではありません。

 例えばレッズの森脇のように、タイトなマークと相手FWに苛立ちを与えるDFは、指揮官にとって有意義なのでしょうし、実際アントラーズのダヴィは森脇の言動に立腹し、退場になりましたね。

 でも、彼は「うっかり八兵衛」の役割も果たしています。

 彼の馬鹿みないな行動が皆の笑を呼ぶとすれば、それは稀有な存在でしょうし、同僚の槙野も同様でしょうね。

 役立たずが活きていくには、皆が「後でやる」にと思う事を「今すぐ行う」事が重要でしょう。

 皆さんの職場でも、清掃や備品の後片付けなど、そんな物後回しにしろ!と怒鳴られることはありませんか?

 その後回しの時間はいつ確保できるんでしょうね?

 うっかり八兵衛や役立たずには生きにくいですが、僕たちにも馴染むだけの動作が必要なのも確かですけどね。

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役立たずに明日はあるか

2014-01-13 13:44:48 | 日記

 僕は自分で役立たずと認識しています。

 マネキンに上手く服を着せられるわけでもなく、売上に繋がるような事は出来ておらず、同時にパソコンと数字に滅法弱い。

 マネキンの着せ替え、陳列は僕の感性が求められますが、褒められたこともありません。

 これらは単なる泣き言ですが、だからこそ感性だけで生きてきたイヴァン・デ・ラペーニャが、バルサ、マルセイユ、ラツィオと移籍して最終的のエスパニョールを安住とし、スペイン代表に選出された時の嬉しさといったら。

 同世代に生きたラウルとは対照的な姿、結果的に彼もドイツとカタールと行き場を求める形になりましたが、両者の明暗が当時は痛いほど鮮明だったのです。

 では役立たずに生きる道はあるのでしょうか。

 あるとも言えるし、無いとも言える。

 そんな気がします。

 残念ながら客商売に限らず、仕事というのは人間性が評価されません。

 僕たちだって「真心こめて接客してください」「店内の美化を推進しましょう」と店長から通達がありますが、それらは数字、つまり売上にはまったく還元されず、自己満足という側面があります。

 どんなに人間性が優れている、どんなに美化活動に力を注いでも

 「パソコンで迅速に仕事ができ、すぐに書類作成と数字が認識できる人物」

 が重宝されるのは、どこの会社でも同様でしょうか。

 そこに優れた人間性、柔和な表情や朗らかさが入る余地はありません。

 モウリーニョのように毀誉褒貶が激しい人物が今でもチェルシーから支持されるのは、彼が優勝をもたらした為であり、当時はレアル時代とは異なり多くの選手が彼に敬意をもっていたこともあります。

 そしてジーコのように

 「人間性は文句なし。だが練習内容と戦術に見る物はない」

 と指摘される人物もいて、僕はきっとジーコの側になるのでしょう。

 それでも役立たずが活きていくとすれば、やはり自分がその点を強く認識し、同時に数字で表せない部分に力を注ぐしかないと感じます。

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