塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ベルカンプに見られた戸惑い、個人意識という存在

2014-01-22 23:03:49 | 日記

 今日は休みでしたが、会社の課外活動に参加する為結局会社に向かいました。

 そこで改めて感じたのは、僕はひとりでいるのが苦痛でないこと、逆に周囲に話しかける事の方が僕個人にとって大変だ、というものです。

 「これじゃ嫁さんが来ないのも無理ないな。退屈な男としても仕方が無いし」

 と自分で苦笑してしまいましたが、日本人というのは多分自分が話しかける事で、相手の「間」に入る事、相手の時間を奪う事を非常に嫌うように思います。

 話が下手ということもあるでしょうし、必要以上に気を使いすぎると言う形で、これは慮るという意味合いとは別ですね。

 でも欧州人の多くが皆と語り合うのが好きかと言うと、そうでもないでしょう。

 アヤックスからインテルに移籍した当初のデニス・ベルカンプの姿は今でも語り草で、長友祐都を見ていると、このオランダ代表FWとは正反対の姿に驚いてしまうくらいです。

 彼からすれがアヤックス時代とは比較にならないくらいの長い練習量、そして緻密な戦術確認、加えて皆がイタリア語を求めることに意固地になってしまったのでしょうか。

 ちなみにオランダ時代とは桁外れに違う

 「試合の結果」

 にも面食らっています。

 「ともすると非常に厳しくなって大声でがなりたてるんだ。最初はびっくりしたよ」

 この一文はワールド・サッカーグラフィックのインタビューで語った指揮官バニョーリへの印象ですが、僕も含めてひとりでいることが苦にならないで選手は、

 「普通の声のトーンで話して貰って構わないよ。同じ人間じゃないか」

 と思う物なのでしょうか。

 ベルカンプはこのインタビューで「2トップ下の方がいいね」と語るも、インテルはゾーンプレスの波及を受けて4-4-2で戦いましたから、それもベルカンプにとってはきつかったのでしょう。

 聡明な彼がどうしてイタリア語を覚えず、ふさぎ込んだかは彼自身しか理由はわかりません。

 人間は自分の個性を尊重し、同時に自分が飛び込むことでしか納得がいかないのも確かなのですが。

 (参考資料 ワールドサッカー・スーパースターズインタビューズ 第1巻)

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これからサッカーを観戦したいと言う方へ

2014-01-22 19:06:14 | 日記

 昨日、今日と信濃毎日新聞が長野パルセイロの記事を掲載しています。

 ちなみに今日は昨年12月1日にクラブが行った優勝パレードと、地元商店街の肉声が形成されています。

 記事の中には98年の五輪後、市街地には寂寥感が漂っていたが、パルセイロの優勝パレードを見ていると彼らが起爆剤になり得ると、好意的な意見も存在します。

 でも、初めての方は観戦の方法、準備用品が連想しにくいですよね。

 パルセイロに限らず新規ファンが持つであろう不安と疑問点を、公式ホームページに随時掲載、もしくはひとめでわかりやすい位置に掲載する、または常連ファンが質問に答える、というような試みがあっても良さそうです。

 僕は何度か通っている為に、インチャーダ・ナガノの皆さんが歌う選手応援歌を幾つか覚えてしまいましたし、一度スタジアムに出かければ席には完全に棲み分けがあることもわかります。

 僕が提案する方法ならば

 1・(初回は)弁当と水筒持参する

 2・シャトルバスを利用して、駐車出来るかの不安を無くして焦らないようにする

 3・メインスタンドに座っていればよい

 4・手拍子や声を出さなくても良い、得点が生まれれば勝手に体が反応し、失点時も勝手にため息がでる。

 という4点ですね。

 とはいうものの、僕はバスツアーでビジターに出かけたことはありませんが、敵地まで出向いた方もレプリカジャージで普通に手洗い、水道、売店を利用していますし、頭の中で不安点を膨らませ過ぎない事が大切です。

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一人の天才が時代を覆う事を思う

2014-01-22 18:56:20 | 日記

たった一人の真の天才が、代表の欠点を覆い隠してしまう大活躍をし続けること。

これは果たして代表と代表監督にとって喜ばしい出来事でしょうか。

ルネサンスはダ・ヴィンチを象徴として数多くの偉大な芸術家を生みましたが、ラファエロ、ミケランジェロ、ピントゥリッキオと、その才能がいずれも比肩する代物だったからこそ、一つの時代を築けたと思います。

 例えばマラドーナとアルゼンチン。

 1979年のワールドユースにはラモン・ディアス、1986年のワールドカップにはブルチャガとホルヘ・バルダーノ。

 才能と言う点では確かに傑出した存在でしたが、実の所彼らはマラドーナほどの存在感はありませんでした。

 マラドーナが1994年までアルゼンチンを覆い隠していたからこそ、最後、ワールドカップ米国大会でドーピングを指摘され、離脱すると瓦解する形になってしまいました。

 ホームでコロンビアに5-0で敗れた瞬間

 「マラドーナなら何とかしてくれる」

 とファンもバシーレも考えます。

 そこには幾重にも見られる彼への記憶の美しさから、周囲が逃れることが出来なかったことを感じさせます。

 塩野七生さんは映画「アマデウス」の感想の中で、オーストリア皇帝を凡才、サリエリを秀才、アマデウスを天才と称して自身の意見を執筆しています。

 僕たちは日常会話の中で、この3つの分類をいとも簡単に用いますが、改めて考慮しますと時代が天才と密接に関わった瞬間、大きな華が咲くと同時に周囲はその天才を浪費して使い捨てにする危険性があるということです。

 コッポラはナポリで天才が麻薬に溺れていることを知り、アマデウスはその称賛に見合った死に方をしていませんから。

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権力欲は誰にでもあるものなのか

2014-01-22 01:58:33 | 日記

 通常どんな業務でも、自分が仕事を抱え過ぎると疲労を感じ、同時にやる気を失います。

 もし両肩の重荷が苦にならないとするならば、それは受け身ではなく自分から志願した場合にだけ限り、他人から与えられた際の嫌悪感は感じませんね。

 サッカーでは通常指揮官が現場のマネージメントを行い、GMが選手獲得と放出を検討し、会長がその上に立ってクラブ運営を行います。

 この関係が素晴らしい成り立ちをしているのがバイエルンで、ウリ・ヘーネスの辣腕に関しては、以前から讃えられており、今季はグアルディオラを招く事に成功し、更に注目を集めています。

 一方でフェリックス・マガトのように

 「全権力を手中にする」

 人物もいます。

 僕などは練習と試合での陣頭指揮、選手の移籍に関しての収支、そしてメディア会見など、ひとりで全てをこなすなど余りの負担でプレッシャーに耐えられないと思うのですが。

 逆に言えば権力を握ることで、更なるやる気を得ているのかもしれませんが。

 ウォルクスブルク時代のマガトが乱獲で有名だったのは、彼がGM都監督、ふたつの権力を手中にしていた為です。

 皮肉にも、ドイツを代表する企業「フォルクス・ワーゲン」がスポンサーですから、獲得資金は無尽蔵に存在し、2009シーズン以来のマイスターシャーレを、この鬼軍曹が再度与えてくれると読んだのでしょうが。

 僕は権力を握りたいとは思いません。

 平々凡々で構いませんから、ゆっくり夜眠れる人生の方が、僕は安堵出来て良いと思うので。

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FC岐阜、新体制を発表する

2014-01-22 01:48:36 | 日記

 昨日、17時から職場で弁当を食べていると、フジテレビがFC岐阜に新体制発表の模様を流していました。

 新監督は以前から就任が確実視されていたラモス氏が指名され、戦力補強の目玉としてふたりの日本代表経験者、GK川口とMF三都主が加入します。

 僕が気になったのは、彼らに対しての報酬ではなく、フジテレビの報道内容でした。

 厳密に覚えていないのですが、「かつてのスター選手」というような枕詞を用いたのですが、僕は随分不躾な言い方だと思ったのです。

 まず彼らのファンからすれば、両者は立派に誇れる存在であり、その動向を常に注目していると思います。

 サッカーは基本クラブであり、贔屓選手が移籍して鞍替えすることはお世辞にも賛同できかねますが、応援するクラブはそのままだが、移籍先での活躍が気になるというスタンスは理解できます。

 また、川口、三都主のいずれも、自分を

 「過去の名手」

 とは思っていないでしょう。

 思っているならばその時点で引退しているか、J1のクラブに固執しているはずです。

 三都主は確かにJ2栃木からの移籍ですが、今回の決断に関しては合同トライアウトを経由しているわけですから、過去の実績を自分で削ぎ落しているわけですからね。

 この貪欲さと情熱が、ラモス新監督と融合すれば良い方向に向かうと思います。

 もしフジテレビに出演する人物が

 「ほこたて、はっくつあるある大事典のような問題番組を起こした局に出演出来て嬉しいよ。」

 と語ったならば、それこそ大問題です。

 僕は両者を説明した言葉、これにまけないくらいの「はしたない」言葉だったと思うのですが。

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