僕たち日本人は日本に留まり、日本語を話している限り「疎外感」を味わうことは無いと思いがちですが、事実は違いますね。
ではどうして同じ言語、同じ風貌を持つのに疎外感を味わう人間とそうでない人間に別れてしまうのか?
それは
「自分の関心事が相手も同様か」
と言う点が大きいでしょう。
サッカーに関して言えば、確かに地球上ほぼ全ての地域でプレイされている事は確かであり、バレーやバスケットほど体格を気にせずに済むことも、大きな利点です。
しかし、プレイすることも含めて、関心があるか、ないかは当然本人の気持ち次第であり、関心が持てない人間がいても不思議ではありません。
ですから一方的にサッカーが好きな事、地元のクラブや日本代表の動向を話しても、理解が得られず気落ちしてしまうのは、僕や皆さんの性格、人間性の問題では無く、単純に
「サッカーの話題が意思疎通に向かなかっただけ」
と捉えることが必要なのでしょう。
僕は学生の頃から人付き合いが煩わしいと思う面があり、もし結婚したならば僕の招待席は両親を除けば、さぞかし少ない人数になるだろうと苦笑してしまいます。
でも人間は不思議なもので、一人でいることが苦にならない僕のような存在でも
「恋人や友人がいて好きな話題で会話ができたら良いだろうなあ。」
と思う物です。
僕は今年もひとりで観戦に出かけますが、皆さんが家族、友人、恋人と語り合う横を、弁当の入ったリュックを背負って、つかつかと歩く形になります。