塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ビッグクラブか、それともスモールクラブか。

2019-03-10 01:47:52 | 日記
 後1か月もすれば、厳しい就職活動を生き抜いた、大学4年生たちが様々な気持ちを胸に入社しますね。

 僕にもそんな時代がありました。

 ただ、当時は全く考えもしませんでしたが、サッカーでも企業でもすべての人間が大企業、ビッグクラブと肌が合うわけではありません。

 僕はどう贔屓目に捉えても、大企業、ビッグクラブ向けの人間ではありませんし、高い報酬を提示されたとしても

 「何で僕にこんな好条件が与えられるのか」

 と訝しがるほうですね。

 大学生の多くがトヨタ自動車たソフトバンクなど

 時代の移り変わりに対応できる地盤の強さ
 革新的技術で常に業界の先頭に立つ

 に憧れ、履歴書、面接のために多くの時間と準備を割いてきたことは、本当にすごいと思います。

 でも、中規模クラブや個人経営に近い企業で働く方が、案外自分の持ち味を出せる可能性があること。

 だからこそ働くことは難しいわけです。

 怪我でブラジル代表を辞退する形ですが、18歳という年齢でレアル・マドリードの一軍でプレイするヴォニシウスのような例は、本当に例外です。

 大企業であろうがなかろうが、駆け出しの従業員は

 「文字を丁寧に書く」
 「電話が鳴ったら真っ先に受話器に手を伸ばす」

 という、諸先輩がたが経験してきたことを同じように経験し、場数を踏むことになります。

 ヴィニシウスの苦労は代表の先輩であるロナウジーニョ、カカ、そしてリバウドなども味わってきていますし、だからこそ心情に寄り添える言葉をかけてあげることができます。

 僕は大学時代、体たらくな学生で大企業に面接を求める仕草さえありませんでした。

 ですから、挑戦し面接までこぎつけられただけでも、僕からすれば大した出来事ではあるんですよね。

 
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てっぺんか否か、それが問題だ

2019-03-10 01:32:46 | 日記
 僕に海外サッカーの扉を開けてくれたのはインテルでした。

 しかし当時を振り返った際、どうしてまず最初にインテルを好きになったのか、覚えていないんですね。

 1990年代前半はまさにミランの全盛期であり、トヨタカップのために幾度も来日を果たしています。

 また、当時ユヴェントスに在籍していたロベルト・バッジョの知名度は、極端な話、現在のレオ・メッシやロナウドを凌いでいたでしょうから、ユヴェントスを贔屓にしてもおかしくはなかったのです。

 何せ、同じ黒と青の縦じま、アタランタとの区別さえつかないくらいでしたから。

 インテルは今も昔も、イタリアではユヴェントス、ミランに次ぐ3位のクラブであることは間違いないと思います。

 この「てっぺん」にいないことが、きっと僕を惹きつけた要素と感じます。

 僕の両親が政治討論番組を見ていると、政策方針や所信表明をよく理解しているのかどうか、自分でもわかっていないはずなのに

 「俺は自民党が嫌いだ」
 「他の政党の奮起を期待したいな」

 とつぶやきます。

 日本の政策をこれまで自由民主党が担ってきたことに間違いはなく、ここで

 「自民党を贔屓にするか、否か」

 という区別が生じるようになりました。

 どうやら我が家は血筋として「てっぺん」の存在を一番に考えるのではなく、そのてっぺんに追随する存在を気に掛ける様子です。

 サッカーを応援する、贔屓クラブを得ることは祖父母や両親の影響が大きいわけですが、性質も争えないのかもしれません。
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