塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

独り暮らしは快適な、それとも不安か

2019-03-25 00:17:14 | 日記
 我が母校山梨学院大学には、今も昔も学生用のカフェテリアがありますが、僕は4年間一度も利用したことがありません。

 当時はマクドナルドが校内に出店していまして、この店舗はさすがに利用したことがありましたが、今はもう存在しません。

 教科書や鉛筆を買うために生協も利用しましたが、僕の住むアパートは大学から自転車で1分程度とずば抜けて近距離にあったので、3度の食事は基本、J分で全て調理をしていました。

 両親も食材を届けてくれましたが、親戚のお姉さんも食材を幾度か送ってくれたことがあります。

 その段ボールの中には手紙も含まれており、食べる楽しみと読む楽しみがありましたね。

 親戚のお姉さんが男の子を出産し、僕の在学中は彼の成長過程を帰省の度に目撃することができる、貴重な時期でした。

 ですから甲府から宅急便で誕生日プレゼントを郵送したこともありますし、帰省の際はよく遊びにでかけたものです。

 J1に移籍した外国籍選手たちも、今はパソコンやスマートフォンで母国の情報や、両親とのやり取りが随分手軽になったと思います。

 ブラジルにはブラジルの良さ、韓国には韓国の良さ、そして日本には日本の良さがありますが、地理的距離を道具で埋め合わせすることは、正直限度もありますからね。

 丁度、父が僕の様子を見に来た時、風邪をひいてしまったのですが、それを言い出せず、近くのレストランで食事をして帰宅したら、もっとひどくなって寝込んでしまったこともあります。

 母国の両親たちも、息子(選手)が

 異国の地で病気と怪我に悩まないだろうか
 病院の世話になるとき、治療費や言葉はどうなるだろうか

 と思うのでしょうか。

 僕は2015年以来甲府に出かけていませんが、出かけた際に当時のアパート近辺を散歩すると、当時の行動が一瞬にして蘇ります。

 それはむしろ、自堕落で両親に顔むけ出来ないような体たらくでもあったのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去の独り暮らしを振りかえって

2019-03-25 00:07:13 | 日記
 僕は大学時代の4年間のみ、独り暮らしをしました。

 ここでも馬鹿げたような小心者話がありまして、バイト先に帰省のための休暇を頂き、甲府駅に向かう途中、あんなに確認したのにガスの元栓や様々な事柄が気になるんですよね。

 ですので、駅まで向かう最中に再度アパートまで戻って、再度確かめた経験が幾度もあります。

 でも僕の不始末が、大家さんや隣接している皆さんの暮らしに大きな影響を与えるかもしれないと思うと、不安で仕方がなくなるのです。

 サッカー選手も独身の方は、春季キャンプで家を空けている最中、泥棒や災害などはさすがに考えないでしょうが、事細かい事、気にならないという方はいないと思うんですよね。

 甲府から千曲への帰省は当然一日で済むわけですが、しなの鉄道戸倉駅に降り立った際の

 「ああ、帰ってきたんだなあ」

 と懐かしい光景を再度見た時の安心感は忘れられせん。

 僕の帰省は春と夏、年2回でしたが、それは正月休みの帰省は

 降雪でダイヤが乱れやすい事
 そもそも中央線は遅延が多い

 事を考慮してでした。

 そして千曲を去り、甲府駅にあずさ号が到着し、アパートに帰ってくると、

 「ああ、今日から一人暮らしだな」
 「何だか寂しいような、気楽ような不思議な気分だな」

 と感じましたね。

 僕は当時、毎日新聞の読者でしたが、帰省中は止めていただいたので、帰宅した当日の新聞を夕飯を食べながら読んだものです。

 独身サッカー選手が遠征から帰宅し、真っ暗な部屋に何を思うのかわかりませんが、少なくとも僕は事件と事故が起きていない点については安堵していましたね。

 今もどこかでもう一度一人暮らしをしたいと考える事もありますが、それはもう無理な話です。

 ですから、ブラジルに限らず多くの外国籍選手が一人でJ1に移籍してくると、その勇気の脱帽してしまうのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする