塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

長期に渡り、政権を維持すること

2020-06-22 20:16:10 | 日記
 安倍晋三内閣総理大臣の支持率が下落している模様です。

 一方で以前にもお話したように、嫌いと言う感情論ではなく、あくまで政策論や米国、中国など同盟国や近隣諸国との調和など、政治そのもので支持率は判断されるべきではあると思います。

 「大嫌い」「顔を見るのも嫌だ」という生理的嫌悪感は、まるで女子中学生や高校生が男性教師や叔父、父などとの会話、生活を毛嫌いするようなものではないでしょうか。

 僕個人は総理の政策や方便が、全て理にかなっているとは当然思いません。

 しかし、これだけの期間政権を維持し、持続させてきたことは、体力と精神力を含めて本当に大変な日々を送ってきた、この点だけは考慮されるべき事柄だと感じます。

 安倍総理の大臣任命が度々世間を賑わせてきました。

 ドイツ代表監督、ヨヒアム・レーブも2006年ワールドカップ、クリンスマン監督の良き参謀として3位という、ホスト国としての面子を保つ戦いをして以降、その支持率を高く保ち続けてきました。

 優勝した2014年が支持率の最高潮
 惨敗した2018年に急激に下落

 というレーブ監督の支持率ですが、彼は政権でいえば大臣に相当するであろう、トーマス・ミュラー、マット・フンメルス、ジェローム・ポアテングの3選手に対し、もう招集対象から外す。

 ということを宣言しました。

 内閣が改造することで、大臣の入れ替えを行い、つまり新鮮な空気を送り込むわけですが、レーブ監督は重鎮3選手を代表から遠ざけることで、代表の空気が澄み航と考えたのでしょう。

 フンメルスのように代表招集に相当すると声が挙がっていた選手、コバチ監督退任以降調子を取り戻したミュラーのように、場数を踏んできた選手が頼りになるのは間違いありません。

 ヨアン・キミッヒやカイ・ハベルツ、ティモ・ベルナー。

 彼らを辛抱強く使うには強固な地盤が必要ですが、その地盤がレーブ監督には欠けつつあるように見えてしまいます。
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初戦は大事と皆言いますが

2020-06-22 20:00:57 | 日記
 ワールドカップ予選、本戦のいずれでも初戦は本当に大切と言えます。

 勝ち点3を得ることは代表監督と選手たちに精神的な安らぎを与えますし、2戦以降選手の入れ替えも容易になりますからね。

 ただ、大事なのは戦い方で指揮官はいずれも初戦の重要性は認識していますが、深く語ることは無いように思います。

 1・前半はラインを深く敷いて相手の出方を見守るのか
 2・前半から相手最終ラインにプレスをかけ、出ばなをくじく戦い方を目指す

 これだけで、先発野顔ぶれが大きくことなるに違いありません。

 例えば前半は様子見の形で終え、後半から攻撃重視の戦い方に移行するとします。

 その後半だけでも

 どの時間帯まで積極的に攻め続けるのか
 どのような方法で点を奪うのか
 攻めても攻めても点が取れない場合は、引き分けを狙うのか、それとも交代で打開策を練るのか

 と様々ですよね。

 2014年ワールドカップ、日本対ギリシャ戦はこのワールドカップで一番退屈と揶揄された試合でしたが、日本代表は退場者を出したギリシャ代表の前に点が遠い展開でした。

 ザッケローニ監督は最後、センターバックの吉田を前線に張り付かせる策を取りますが、シミュレーションをしたことが無い方策を本番で行うことは、やはり大きな混乱を招いてしまいました。

 指揮官は選手やコーチに伝える全ての内容を、僕らに話す必要はないと思います。

 一方で攻撃、守備関係なく、適切な言葉で特に初戦の入り具合を語る、振り返ることは大切でしょう。

 ヴァイド・ハリルホジッチ体制にいおける初戦のUAE戦に敗れたことが、大きなヒステリーを呼びました。

 仮に勝利していれば大島僚太は代表の中心軸に名乗り出たかもしれませんし、監督も称賛されていたことでしょう。

 それだけどのような計画を初戦に練る、そしてどのようなアプローチを90分実践するのかは、やはり見どころではないでしょうか。
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勝者に報酬は無いのだろうか

2020-06-22 19:46:45 | 日記
 新潮文庫から高見浩の翻訳で、3冊の短編集が刊行されています。

 第2巻の題名は「キリマンジャロの雪・勝者に報酬はない」と言うのですが、勝者に対する報酬は今の時代、何を指すのでしょうか。

 マイケル・ジョーダンはかつて

 「僕は朝8時から17時まで懸命に働いている人間のためにバスケットボールをしている」

 と語りました。

 僕の記憶では、サッカー選手がジョーダンのような、自分が選手として何と対峙しているのかを、明確に表現した選手はいないように思うので、特にこの発言が印象に残っています。

 ジョーダンは遠征先で試合が終わるとすぐにホテルに戻り、食事は常にルーム・サービスで済ませるなど、自分が公の場に登場することで生じる混迷を避けていました。

 だからこそ、1996年の来日はファン待望の出来事でしたし、初めてエアー・ジョーダン12が登場したのは、実は日本だったのです。

 勝者に与えられる報酬、それは勝利給やスポンサー収入もあるでしょうが、選手ならばあの

 「FIFAワールドカップトロフィーと抱擁すること」

 が一番の名誉ではないでしょうか。

 ブラジルは最多5度の優勝を誇りますが、1950年自国開催での優勝を逃す、また1930年代にもレオニダスと言う名手がいましたが、ワールドカップには届きませんでした。

 つまり、ブラジルのワールドカップは

 「ペレ以前とペレ以後」

 に別けられる形と言っても良いように思いますね。

 メッシが2022年ワールドカップに出場し、トロフィーと抱擁できるかどうかは、予選すら終わっていない現在に考えることは出来ません。

 しかし、メッシは既に勝者であり

 僕のあこがれはメッシなんだ
 メッシの履く靴が欲しいな

 と子供たちは願っているに違いありません。

 ワールドカップ優勝という報酬がなくともメッシはメッシ、と言う観点は存在すると思います。
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