塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

鞄を持つことは時代遅れになりつつあるのか

2020-06-28 17:32:16 | 日記
 最新号のザ・レイクは「今年のトレンド・私のスタイル」と題名で、表紙にクリストフ・ヴァルツを起用しています。

 その98ページから4ページにわたり、英国生まれの鞄ブランド「タスティング」についての記事が掲載されています。

 これまで「鞄」というものは、靴と並ぶ紳士服飾にとって大変大切な存在でした。

 しかし、前回お話したように、スマートフォンひとつで全てをこなせる人物が増加している最中、タスティングに限らず鞄は産業としてっこのまま衰退してゆくのでしょうか。

 先日、中古ですがロイヤルワラントを授かっている「エッティンガー」を見つけましたが、大きさが僕の形に合わず購入はしませんでした。

 僕も靴と鞄をこれまで売却してきましたが、それは

 1・無職の時代があり、お金を得るために希少性のある米国製のヴァンス、コンバースを手放した
 2・鞄は自分のスタイルに合わなくなったため
 3・エアー・ジョーダンのような、人気銘柄は相応の買い取り額が期待できたため

 というように、身辺整理の意味合いが強かったのです。

 鞄業界が衰退するとは思いませんが、むしろスマートフォンケースや小ぶりの財布のように、軽量で小さい品の需要が増していく気がします。

 サッカー観戦でもデイパックが便利ですが、今は

 鹿島アントラーズが用いた「投げ銭」企画
 リモート観戦ならば、弁当も水筒もデイパックも必要がない

 というように、これまでの観戦で必要としない品が欲しくなるかもしれません。

 テレビ観戦もそうでしたが、アルコールを幾ら摂取しても、家にいるわけですから寝込んでも迷惑にはなりませんからね。

 僕は鞄も靴も紳士服にはいつの時代でも必須と思いますが、僕の考えが古臭く感じる方の方が多いトは感じます。
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最先端に疎い僕が言うのも何ですが

2020-06-28 17:19:12 | 日記
 僕は支払いを現金で7割、電子マネー3割で行っています。

 よく「スイカ」が非常に利便性が高いと聞きますが、僕の利用する戸倉駅、篠ノ井駅、そして長野駅はスイカの利用が出来ないと思います。

 長野駅は新幹線改札は利用できるかもしれませんが、篠ノ井線やしなの鉄道の改札では、通常の自動改札だけですから、首都圏から旅行に来た方はむしろ面食らうと思います。

 以前、篠ノ井駅を利用した際、女子大生でしょうかふたりが

 「やばいよ、ここスイカが使えない」
 「お金、あと少ししかないよ、どうしよう」

 と慌てていた場面に出くわしたことがあります。

 ですから、長野Uスタジアムに観戦目的で訪問される方は、現金の用意が必須ですし、クラブも広報活動の一環として、アナウンスを他のクラブに伝達する必要があると思います。

 首都圏では基本、スマートフォン決済と電子マネー決済と呼ばれる

 「キャッシュレス」

 をどんどん推し進めていっていますし、手ぶらで買い物に出かける方は多いと聞きました。

 また、中国を軸に無人店舗の普及も始まっており、5Gを含めたサッカー観戦の環境も劇的に変化しつつあります。

 僕も電子マネーに関して言えば、利用頻度を高めていこうと思う反面、手持ちのスマートフォンを含む最新鋭の情報を、適切、適格に使い得ているかといいますと、全くかけ離れています。

 ただ、一方で首都圏と千曲市のような地方都市では、支払いが大きく異なる点も事実ですし、都会では車を持たないことがすでに節約になる一方、こちらではそうもいきません。

 ですから都会在住の方がBリーグやJリーグ観戦のために地方に出かけ
 
 「おい、電子決済が出来ないのか、遅れているな」

 と思うわないでいただけれると有難いですね。

 むしろ地方の標準に合わせる、尊重する方が素敵だと思いますよ。

 僕らも自分のペースで時流に対応する、学ぶことが不可欠ですが。
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アンブロの名品アクセレレイターについて

2020-06-28 14:10:10 | 日記
 僕がアンブロのスパイクとして真っ先に連想するのは「アクセレレイター」になります。

 他にはヴェローチタとメデューサが思い浮かびますが、アクセレレイターは日本国内だけで流通しているのでしょうか。

 今専門サイト「フットボール・パーク」を閲覧し、アンブロ・スパイクの品揃えを確認すると、半分以上をアクセレレイターが占めていました。

 アンブロの版権はデサントが日本では所持しており、FC東京とガンバ大阪、そして今季からVファーレン長崎にジャージを納品しています。

 アンブロが英国生まれであることはよく知られています。

 もしかしますと、英国アンブロ社とデサントが企画する日本向けのアンブロは、別の形で販売促進や流通を決めているのかもしれません。

 何故この話を持ち出したかと言いますと、仮に日本企画と英国本国でアンブロの企画が別れているならば、日本人契約選手がアクセレレイターを履き、素晴らしい活躍を見せることで

 「日本企画のスパイクが良さそうだな」
 「インターナショナル企画で販売してみようか」

 となるならば。

 それは画期的で素晴らしい事ではなかろうか。

 そう思えたんですよ。

 過去日本車は英国車、ドイツ車、イタリア車と比べると、デザインや性能で太刀打ちできませんでしたが

 輸出用の左ハンドル、国内用の右ハンドルとコストを度外視して製造を始める
 ディーラーの丁寧な応対、修理の際に代車を用意するなどの創意工夫

 で海外の人々を振り返らせてきました。

 今、輸入車も右ハンドルが当然のように存在するのは、日本の事例を学んだためでしょう。

 ですから日本企画が世界基準になるならば、それは企業としても画期的な試みではないでしょうか。
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どうして丸刈りは反省の意味合いがあるのだろうか

2020-06-28 13:45:42 | 日記
 日本では自己反省を促す意味合いで「丸刈り」にする傾向があります。

 長嶋茂雄読売巨人終身名誉監督が監督を務めていた際、丸刈りではありませんが相当髪を短くして、メディアと選手、ファンに大きな衝撃を与えました。

 それだけ丸刈りにするのは、自己の意識もあるのでしょうが周囲に与える影響が大きいと言えます。

 井上晴美が写真集を刊行した際、やはり丸刈りにしたことで、大きな反響を得たのも同様でしょう。

 しかし、丸刈りに「自己反省」の意味、悔恨や不手際を込めるのはどうかと思います。

 僧侶のような宗教的価値観で生きている存在
 投薬治療で毛が抜け落ちていくことを受け入れている人物

 からすれば、丸刈りが自己反省、どういうことかしらと思うのではないでしょうか。

 丸刈りに及ぶ行為は「好きで」その形にしている方への配慮に欠けると思うのです。

 デイビッド・ベッカムが様々な髪型を披露した中に、やはり丸刈りがありました。

 彼の髪型を真似する男性が英国と日本では非常に多く、ベッカムが好む整髪料の売れ行きも良かったそうですが、丸刈りではこれらの需要が一気に無くなってしまいましたね。

 僕も保育園と小学生時代は丸刈りにし、登校したさいそれまで被っていた野球帽を取った瞬間、同級生がどんな表情を見せるか、驚くかを考えるのは確かにどこかで楽しいような気持でした。

 それは他の同級生が丸刈りで登校した際の、僕の印象もそうでしたが。

 ベッカムや過去の僕のような丸刈りは、ある意味自己主張や利便性がある
 投薬治療は副作用として髪が抜ける形

 では自己反省は丸刈りではなく、もっと別の形にしたらどうでしょうか。

 解雇された代表監督が丸刈りで会見に臨んだ光景、僕は見たことがありませんよ。

 そんなことで理髪店も儲かりたくはないでしょうがね。
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