塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

お仕着せではない服装を思う

2020-06-18 19:36:47 | 日記
 今日アオキ篠ノ井店で以前購入したトラウザーの、、ウエスト詰めと裾直しを依頼するために来店すると、長野パルセイロのトップ、レディース、両方のポスターが掲示してありました。

 アオキが公式スーツを提供しているのもそうですが、篠ノ井店は南長野運動公園に一番近い店舗なんですよ。

 集客と言う観点でいえば、実にありがたい措置だと思いました。

 その後、アオキ南バイパス店に移動して、スーピマ綿のハンカチと仕事用のボタンダウンシャツを新調して帰宅したのですが、公式スーツをお仕着せと感じる選手がいるかもしれません。

 僕の勤務先もそうですが、日本の企業では一般論として

 男性は自前の服で勤務
 女性は制服で勤務

 という形態が多いと思います。

 銀行と百貨店はその代表格でしょうが、制服が可愛らしい、着てみたいという要望を促す形でデザインに力を入れるようになったのは、至極当然と言えます。

 今、百貨店は地下の総菜、デザートコーナーも花形になりましたが、一昔前は閑職とみなされており、花形の衣類売り場から移籍するように辞令が下ると、泣きだす女性従業員がいたそうですよ。

 当時の制服は白衣でして、実にやる気を損なう形と聞きました。

 それだけ公式スーツ、制服が持つ力は凄いものなのです。

 僕はこれまで何十着もシャツ、ネクタイ、トラウザーを袖口や裾の痛みで買いなおしてきましたが、ある意味制服というお決まりの形でない方が良いと思っています。

 だからこそ服飾本をよく読みますし、勤務先の服飾規定は尊重しているつもりです。

 学校の制服を着崩すほうが格好良いと生徒は思いがちですが、むしろあのルーズな着こなしは歩きにくい上にみっともないと思うのは、僕が卒業して20年も経過しているから言えるのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若くして広告塔に指名されること

2020-06-18 11:19:32 | 日記
 その宮市は2012年、既にナイキの広告に登場しています。

 ルイス・スアレス(彼もアディダスからプーマへと移籍したことで話題を集めました)が表紙のワールド・サッカーダイジェスト2012年」1月19日号。

 そのカバーをめくると見開きで宮市亮が登場します。

 若くしてナイキのような世界的企業の広告に登場する。

 僕が彼ならば、嬉しいと思うよりも戸惑いの方が大きかったに違いありません。

 売上や雑誌の広告収入などは、自分ひとりの力でどうすることもできない、既に許容範囲を超えている出来事ですからね。

 それはアディダスやプーマと契約しても同様でしょうし、何よりサッカーは世界規模で認知されています。

 ナイキはNBAでジョーダン・ブランドを含む、最も契約選手を抱える企業ですが、NBAはグローバルでありながら最重要視されるのは、当然米国国内での宣伝です。

 レブロン・ジェームズはクリス・ポールがオフシーズン、個人で海外クリニックを企画してもチームがレギュラーシーズンを海の向こうで行うことは滅多にありません。

 しかし、サッカーは代表戦やチャンピオンズ・リーグなど、公式戦は海外で行われることも多く、だからこそ広告に起用されるということは、国境を越えてゆく形になります。

 アンブロやヒュンメル、ミズノのように日本市場の方が契約選手が多く確認できるブランドは、むしろっ国内市場を活性化する方が得策かもしれません。

 コロナの影響でグローバルかドメスティックかの課題も浮き彫りになりましたが、今後サッカーは広告塔を指名する際、選手の特性だけでなく、年齢やメンタルにも踏む混むべきではないでしょうか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラブの規模と移籍の関係

2020-06-18 11:10:30 | 日記
 忘れると忘れ去られる、というのは意味あいが違いますよね。

 日本代表選手たちがスペイン、イタリア、ドイツで活躍できるようになったのは、失敗したと現地からも日本からも揶揄される覚悟を持った先人たちがいたからこそです。

 結果が伴うものでなければ忘れ去られてしまいます。

 例えばポーツマスのファンは川口能活を覚えているでしょうか。
 例えばフィオレンティーナのファンは、中田英寿を覚えているでしょうか
 例えばエスパニョールのファンは、中村俊輔を覚えているでしょうか


 恐らく「忘れさられている」に違いありません。

 しかし、彼らが懸命に戦ってきたことを、僕たちは忘れてはいけません。

 宮市亮がザンクトパウリにおいて、過去の自分、言い換えればこれだけの怪我に思い悩んできた選手の心が、以前と同様の逞しさを取り戻しつつあるようです。

 僕個人は宮市亮と言う選手は、アーセナルのように選手層が分厚い、周囲の視線が厳しく突き刺さるクラブではなく、フェイエノールトやボルトンのような、中規模クラブとの相性。

 こちらの方が良かったと感じています。

 恐らく現在のザンクトパウリも同様の雰囲気なのでしょう。

 彼がアーセナルから声をかけられたころは、アーセナルが無冠でありヴェンゲルへの風当たりが徐々に強くなっていった時期です。

 いかに日本でいう若手というくくりでも、アーセナルは場数を踏んだ選手が必要だったに違いありません。

 たとえ怖いもの知らずの若手が活性化の要因になったとしても。

 僕は当時、宮市がこのままフェイエノールトに留まればよいのに、と考えていました。

 移籍は選手にとってつきもので、現在移籍しなくても良い選手はレオ・メッシだけに違いありません。

 今、宮市が再度、サッカーを楽しんでいることを嬉しく思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする