私が住んでいる地名を言うとみなさんが「高級別荘地に住んでいるなんてお金持ちなんですね」と言われます。確かに、我が家の周りにはベンツやヨットを持っていらっしゃる方がたくさんいて、目の前には運河があり、まるでヨーロッパに住んでいるような気分になれます。でも、自分たちで購入したのではなく、連れ合いの職場が格安で提供してくださったのです。日本にいながらこのような素晴らしい環境に住めることに感謝しています。
先日、窓からこぶ白鳥さんの姿が見えたのでベランダに出てみたら、声もかけなかったのに気配を感じたのか近寄ってきました。「パン、頂戴」と言わんばかりに後ろの羽を振って催促を始めました。昨夜の夕食の残りのパンを投げたら桟橋の上に落ちてしまい、力いっぱい投げても彼(彼女?)のところまで届きません。私はベランダから投げるのをあきらめて下に降りて行き、再び彼にパンをあげました。おこぼれにあずかろうとチヌ(クロダイ)まで寄ってきましたが、彼は満足そうに食べていました。
確かに、私は優雅な生活を送っているかもしれませんね。
ついでに、今はもう、かなり散ってしまいましたが、このような景色も毎日堪能しています。
私がアンティークと出会ったのは1980年代ですからもう30年近くにもなります。最初の語学留学はドイツで、たった1ヶ月間でしたが、ホームスティ先の家具の美しさに驚きました。
2度目はイギリスで、私が最初にホームスティした先は決して裕福な家庭ではありませんでしたが、質素な中にも古い家具を大切に使っていることに感動しました。それで、私も友人たちと一軒の家を借りてシェアした際には、キャンドルスタンドやテーブルクロスなどを自分で少しずつ揃えていったのです。
イギリスには、チャリティショップという、リサイクルショップがあり、これらのお店はほとんどが慈善団体などが運営しており、もともとは寄付で集められた品ですから価格も安く、学生の私でも買えたのです(今では、高価な品はかなりの値段が付けられていますが)。友人を呼んでパーティを開くのが好きだった私は、アンティーク(ビンテージ)のお皿に日本食を盛りつけたりしていました。
それからしばらくして、あるイギリス人の女性と親しくなりました。名前をミセステーラーと言います(正式には、彼女と最初に出会ったのはイギリスではなく、日本でしたが)。
彼女は私の友人のホームスティ先の大家さんで、私と彼女はそれまで面識がありませんでした。彼女が初めて観光旅行で日本に来た際に、都合が悪くなった友人の代わりに私が京都を案内したのです。また、その前にもイギリスの友人(イアン)も出来ていたので、毎年チェルトナムにある彼らの家を訪問するようになりました。
チェルトナムは、コッツウォルズの村を巡るツアーの出発点にもなっているほどで、いまでこそイギリス好きなら誰でも知っているほど有名ですが、当時はイギリスに留学経験のある私の友人ですら知らないと言われたものです。
幸運なことに、その頃のミセステーラーはまだお元気で愛車のミニを運転して、コッツウォルズの小さな村に連れて行ってくださいました。また、イアンも夕方になるとコッツウォルズにある小さな村のパブに連れて行ってくれました。
イアンのご両親もとても良い方で、現在も親戚のように親しくしていただいています。ミセステーラーは独り暮らしで私のことを娘のように可愛がってくださり、私には両親がいないので、ニューヨークで行われた私の結婚式にも母親代わりとして出席してくださいました。
ミセステーラーにはロンドンに住む息子さんが一人いますが、息子さんの奥さんがアメリカ人でイギリスの古い食器などにはあまり興味がないとのことで、彼女の大切なアンティーク食器やカトラリーなどを私に下さったのです。私はそれらを大切にし、ときどきパーティで使用していますが、みなさん驚かれます。器だけでも立派なので、お料理がさらに豪華に見えます。
アンティークにはそれを使った人たちの「思い」が込められていると思うのです。たとえば、手編みのレースを見るとき、「このレースを編んだのはどんな人かしら?」そんなことを思うだけで幸せな気分になります。
お金をかけなくても、アンティーク雑貨を日常生活の中に取り入れることはできますよ、ということをお伝えしていきたいと思っています。