mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

スロバキアの世界遺産:バンスカー・シュティアヴニツア

2011年09月01日 | 旅行記

 今日から早いもので9月です。台風が近づいて天気が荒れてきましたが、季節は着実に秋に向かっているようです。

 今日は昨日の剪定後かたづけ作業の疲れで、スポーツジムを休んでしまいました。

 ところで、毎月2日は母の祥月命日ということで、墓参りを欠かしませんが、明日の天候が荒れることも考えて「今日前倒しで墓参りをしよう」とかみさんが言っています。

 自分の実母のように墓参りをしてもらい、「感謝!感謝!」の言葉しかありません。

 ところで、昨日はスロバキアの世界遺産の一つヴルコリニェツ村についてレポートしましたので、バンスカー・シュティアヴニツア(歴史都市と近隣の工業建築物群)について申し上げてみたいと思います。

 バンスカー・シュティアヴニツアは、世界初の発破に成功し、欧州初の鉱山学校ができた街だそうです。

 現在、この街は、スロバキア中部、人口が約1万人ほどの地方都市ですが、中世からハンガリー王国の金・銀鉱山の街(18世紀後半にはハンガリー第3の都市)としてその名が知られていたそうです。

 世界遺産一度は行きたい100選ヨーロッパによれば、次のようにその栄華を表現していますが、写真を見ますと「チョッピリ寂しそう!」ですね。

 午前中、かみさんと墓参りのため、このブログを中断しました。

 この本にどのように書かれているかですが、最初に小生が書いたことがあり、次に、

 「1627年、従来の手掘りではなく、黒色火薬を坑道に仕掛け、発破によって一度に大量の鉱石を採掘することに世界で初めて成功した。この方法は瞬く間にヨーロパ中の鉱山に広まっていった。」

 とあり、ここが世界初の発破に成功した鉱山の街であったことが書かれています。

 そして、マリア・テレジアが1762年にこの地にヨーロッパ初の鉱山学校を開設し、鉱山技師を養成した、とあります。

 最後に「今でも細長い石畳が続く鉱山街に、往事を偲ばす旧鉱山学校やクリンガー貯水池、聖カタリーナ聖堂、市庁舎、トリニティ広場などが残っている。旧市街の丘には鉱山博物館になっているシティアヴニツア新城が建つ。」と結んでいます。

 この本には、往事を偲ばせるという石畳の鉱山街の中心地の写真が載っていますが、人がまったく写っておらず「寂しい!」という印象を強く受けました。

 その寂しい街に私たちは二泊することになっています。