mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールの新市街>

2020年03月24日 | 旅行記
 昨日、このブログの記事が完成しましたので、「よっし!」と思っていましたが、画像を右周りに修正して元の記事に戻ろうとしたら、記事がすべて消えてしまいました。元に戻そうと努力したのですが、ダメでした。
 本日は、こうしたことがないように祈るばかりです。

 ということで、昨日お伝えしようとしたイスタンブールのドルマバフチェ宮殿の模様をお伝えします。
 まず、その前にエジシャンバザール前の広場からです。

<Mugiko> 
 こうして旧市街のエジシャンバザールで昼食が終わりましたので、再びバザールを覗いたり、バザール前の広場から、見える街並みの様子を楽しみました。
<Mugio>
 説明を聞いても何だか良く分からなかったな!!!

 <エジシャンバザール>


 <何を売っているのか?>


<Mugiko>
 良く分からないのは、何を売っているのか?ではなく、広場の話でしょう。
<Mugio>
 それがね!見えた景色の話ではなく、またまた食べ物の話になりそうで困ったものだね。

 <名物の???パン>


<Mugiko>
 良く分からないのは、建物などのことかと思ったけれど、違うのね。このパンは、「シミット」といってごま付のドーナツ型のパンだそうよ。

 <イェミ・ジャミイ>


<Mugio> 
 この建物は、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋の方向に建っていたイェミ・ジャミイ(1663年建造)です。
 別名「鳩のモスク」ともいわれていますが、建物の周りに鳩が群がっているかな?
<Mugiko>
 内装は、赤のモザイクスタイルの装飾でブルーモスクに比肩しうる素晴らしいものだと伺いました。
<Mugio>
 建物の場所は「エジシャンバザールの隣にある」というものですが、近くにはこのジャミイ以外に二つのジャミイがありました。
 そして、ここからは、新市街のガラタ塔が遠方に見えていました。
<Mugiko>
 だから、こっちを見たり、あっちを見たりと忙しかったのね。
 単に、「首をぐるりと回しているだけ!」だと思っていたけれど、周囲に何があるのかよく分かったわね。

 <遠方に見えるガラタ橋>


 <この彫刻は何を表現しているの?>


<Mugio>
 首の体操をしたいたわけではないけれど、自慢できる話でもないさ。

 <リュステム・パシャ・ジャミイ>


 <イェミ・ジャミイの正面>


<Mugiko>
 先ほど話をしていた「二つのジャミイ」というのは、写真に写っている「リュステム・パシャ・ジャミイ」と「スレイマニエ・ジャミイ」のことね。
 スレイマニエ・ジャミイは、1557年完成のモスクで、オスマン建築の最高傑作の一つといわれているそうね。
<Mugio>
 そうらしいけれど、広場からちょっと離れているうえに訪問していないので見逃してしまったのさ。
<Mugiko>
 リュステム・パジャ・ジャミイは、オスマン帝国のスレイマン1世の時代に建造(1561年から1563年)されたモスクで、商店街の二階に建てられている、ということです。
<Mugio>
 ということは、僕たちがお邪魔した店の二階ということになるの!
<Mugiko>
 などと暢気なことを言ってますが、すぐにバスの乗って新市街のドルマバクチェ宮殿に向かいました。

 <雨のガラタ橋>


 <ドルマバクチェ宮殿>


<Mugio>
 いやー!あっという間に出発したので、本当に驚いたよ。
 でも、そのお陰で14時30分前にはドルマバフチェ宮殿に着くことができました。
 入口の右側に聳える建物は、宮殿の「時計塔」です。
<Mugiko>
 奥に見えている宮殿の入口「皇帝の門」の前では、私たち歓迎するように子供たちが踊っていました。

 <皇帝の門前での子供たち>

 
 <皇帝の門>


<Mugio>
 私たちが歓迎されているようで本当に嬉しいものだね。
<Mugiko>
 ところで、入場する前に「宮殿の説明がしたい!」と顔に書いてあるわよ。
 この宮殿は、イスタンブールの新市街の北東ペシクタシュ地区のボルポラス海峡に面した埋め立て地に建っているそうよ。
<Mugio>
 ドルマバフチェとは、「埋め立てられた庭」という意味だそうだ。
 オスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命で従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた宮殿で、1843年着工、1856年完成となっている。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまでトプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の宮殿として利用されたという歴史的建物だね。
<Mugiko>
 宮殿の面積45千㎡、部屋数285、ホール数46、浴場(ハマム)6、トイレ68となっているから規模の大きさが分かるわね。
<Mugio>
 トルコ共和国の初期には、大統領の執務所として使われ、初代大統領スタファ・ケマル・アタテュルクは、この宮殿のハレムだった居室で執務し、そこで没していて、現在も「アタテュルクの部屋」として、その時のまま保管され公開されているそうだ。

 <ドルマバフチェ・ジャミイ>

 
<Mugiko>
 ちょっとボケているけれど、この建物は、宮殿に関係しているの?
<Mugio>
 宮殿入り口の手前にある「ドルマバフチェ・ジャミイ」だね。
<Mugiko>
 このモスクは、アブデュルメジト1世の皇太后ベズミ・アルミが1855年に建てたバロック様式のモスクだそうね。
<Mugio>
 訪問したときには気づかなかった建物で、帰るときに撮影したので、紹介する順番が逆になってしまったよ。
 「皇帝の門の前にある」といえば、先ほど胴体が切れていた時計塔があるが、これももう一度ご覧いただきましょう。

 <時計塔>


<Mugiko>
 なるほどネ!
 おかしなことをいうな?と思ったら、時計塔の向こうに世界で最も細いといわれるドルマバフチェ・ジャミイの2本のミナレット(尖塔)を見なさい!といいたいわけ?
<Mugio>
 まぁ、それもあるけれども、時計塔の説明をしていなかったからね。
 このバロック調の時計塔は、オスマン朝の末期にオリエント急行でシルケジ駅からヨーロッパに亡命した第34代スルタン、アルデュルハミド2世が1895年に建造した建物だそうだ。
 こういう話を聞くと、歴史というものをもっと勉強しなければいけないな!と思ったよ。
<Mugiko>
 さあ!宮殿に入りましょう。
 皇帝の門をくぐると、次に「ハーズィネ」という門がありました。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回もドルマバフチェ宮殿からお伝えします。それではこれにて失礼します。>