昨日、ユーラシア旅行社さんから3月号の「EURASIA」が送られてきました。
この雑誌(ではなく情報誌)を小生は、いつも楽しく拝見しているのですが、今回は「地平線の彼方よりー90 地平線リビア砂漠の旅1」という見出しが大きく紙面を飾っていました。
そして、砂漠の大きな写真が掲載されていました。いつものことながらその圧倒的な迫力に魅了されている小生ですが、今回は、この記事ではなく、16ページの「添乗員が見た異国の地」にあった「百塔の街に響くモルダウの調べ プラハの音楽祭」が気になりました。
といいますのは、そこに書かれていた文章が懐かしく「あぁ、プラハだ!もう一度行きたいな!」と思ったからです。
このページは、チェコ音楽の父スメタナの音楽祭がいかに素晴らしいかを書きたかったようです。
でも、残念ながら、小生は、音楽祭を見ていませんので、何とも言えないのですが、添乗員さんの表現が素晴らしいのです。
「やがて、待ち望んだ開演の時がやってきた。ひとたび演奏が始まると、チェコへの深い情熱がつまった2時間は、文字通りあっという間だった。目を瞑ってメロディーに身を委ねると、中欧特有のうねるような丘陵と点在する古城、広がるワイン畑にボヘミアの深い緑など、昨日までの旅で車窓に映ったチェコの自然豊かな情景がありありと浮かんでくる。丁度この時期は南部で菜の花畑が美しい季節。青空の下、黄金色の絨毯が一面に広がる光景は、忘れられない夢のようなのどかな光景だ。・・・と、割れるような拍手で夢から覚めた。私も負けじと手が痛くなるまで・・・・」
という部分ですが、「なるほどな!」と唸ってしまいました。
小生は、クラシックなど聴きますと居眠りしてしまうような無粋な人間で、音楽鑑賞の趣味はないのですが、「中欧特有のうねるような丘陵と点在する古城」を思い出しながら音楽を聴くというのは最高に良いですね。
それと、後半の「中世の薫り漂うプラハ」の部分ですが、ここを読んでいましたら、世界で最も美しい街といわれるプラハのことが鮮明に思い出されたのです。
プラハ城から始まる観光の様子は、自分が旅した時にタイムスリップしたような感じです。
「14世紀にカルレ4世によって整えられた広大な敷地の城壁内には旧王宮、教会、修道院などが建つ。いくつかの中庭を通り抜けていくと突然、そびえ立つ聖ビート教会ががが眼前に現れた。荘厳で威圧的な典型的ゴシック教会だが、内部の印象はバラ窓とそれぞれの窓のステンドグラスに彩られがらりと明るい。その中にミュシャがデザインしたものがある。アールヌーボー画家の独特なタッチで描かれる聖書の世界が・・・城からの坂を下りていくとそこは城下町マラー・ストライナー。タイムスリップしたような・・・・ここからモルダウ川を越すと旧市街、プラハのシンボルとも言えるカルレ橋を通っていこう。橋というより大通りの様相。両側に聖人や王族など30体の像が並ぶが、一番人気は聖ヤン・ネポムツキー。頭上に・・・・旧市街に入ると石畳の細い道が続き、お店がずらっと並ぶ。お店の商品に目を取られていると、あっという間に迷い子になってしまいそうだ。旧市街の広場はプラハの歴史を彩ったあらゆる時代の建築様式が混在している。この広場で1時間おきに人々に注目されるもの、それは15世紀に作られた天文時計だ。一時間ごとに十二使徒が登場し雄鳥が鳴く仕掛けがされている。あまりに沢山の仕掛けがしてあり、どこを見ればよいのか迷ってしまうほど。知らぬうちに口をぽっかり空けてみていると、・・・」
と長文を引用しましたが、この部分は、まさにこの通りのことを体験したからです。
残念ながら、教会の内部はじっくりと拝見できませんでしたが、プラハ城とカルレ橋、時計台、広場などのことが次々と鮮明に思い出されるのです。
訪れたのが冬なのに、プラハ城でその美しさに圧倒され、多くの人々が集うカルレ橋、天文時計前、広場のことなどを思いますと、「♪♪♪飛んで~プラハ」に行きたい気分です。
今日は「プラハの春」ではなく、「プラハの美しさをユーラシア旅行社の前田さんに思い起こされた」という話でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます