mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

そうだ!京都へ行こう<平等院鳳凰堂の続き>

2018年12月18日 | 旅行記
 前回は平等院の入口までの模様をお伝えしました。
 今日は平等院の中についてですが、まず、「平等院庭園」の中央にある「鳳凰堂」の雄姿をご覧ください。
 なお、小生は、庭園を意識して見学していなかったのですが、この庭園は、平安時代の貴族たちが希求した極楽浄土の光景を再現していて、平安時代最古の浄土庭園であることから国の史跡および名勝に指定されているそうです。

 <鳳凰堂を右側から見る>


 <同じく正面を見る>


 <同じく左側から見る>


 こうして、鳳凰堂に気持ち集中していますが、平等院の敷地に入りますと、左側に重要文化財である「観音堂」があります。
 ここは、鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物で、全体に簡素な建物ながら、垂木を地円飛角の二幹とし、天平以来の格式高い様式に倣っている、といいますから関心を持って見学したかったものです。

 さて、主役の鳳凰堂ですが、平安時代の後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼道によって建立された阿弥陀堂で、華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできる唯一の遺構として貴重な御堂だそうです。
 最も大きな特徴は、池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。

 というような説明がありますが、どうして鳳凰堂と呼ぶのでしょうか?
 それは、建物を正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根の上に一対の鳳凰が据えられていることから江戸時代初め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになったそうです。

 さて、入口から左に進んで行きますと、突き当たりに集印所がありますが、ここの手前を右に曲がりますと、左端から鳳凰堂を見ることができます。
 また、ここから修学旅行の記念写真を撮影する場所がありますが、「鳳凰堂の角度が美しい」と言えるのかも知れません。

 <左端から見える鳳凰堂>


 なお、この写真の右隅に見逃してしまった「観音堂」が映っていました。
 この後は11時30分に予約をしていた鳳凰堂の内部見学のため入口付近から見えていた赤い橋のところに戻りました。
 そして、靴を脱いで鳳凰堂にある大きな仏像(阿弥陀像?)の説明を受けました。
 続いて、鳳凰堂の裏側に行き、入口に近い順に「最勝院」の見学です。

 <最勝院>


 最勝院は、平等院塔頭2ケ寺の一つで天台宗系の単位寺院である。承応3年(1654)京都東洞院六角勝山院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことにより始まるそうです。
 次は、その隣にある「不動堂」ですが、ここは、不動明王を本尊とする最勝院の本堂だそうです。本尊と並び、役小角(えんのおづね)の像が祀られているそうです。

 <不動堂>


 ここを過ぎますと、「源頼政の墓」があります。

 <源三位頼政公の墓>


 頼政公がどういう方なのかは、この立て札に書いてありますが、1180年に平等院の境内で自刃したそうです。
 なお、この立て札の右側には、次のような辞世が書かれています。
 「埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ悲しかりける」というものです。
 次は「南無阿弥陀仏」という石碑が建っている「浄土院」です。

 <浄土院>


 <同じく浄土院>


 浄土院は、平等院の塔頭で、浄土宗の栄久上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられているそうです。
 次に見えてきた建物は、重要文化財になっている「養林庵書院」です。

 <養林庵書院>
 浄土院内にある養林庵書院は、江戸時代前期に建てられた檜皮葺の建物です。
 桃山城の遺構と伝えられ、障壁画や襖などの見どころがあるようですが、見学できませんでした。

 <養林庵書院>


 ここからは、「ミュージアム鳳翔館」に向かいました。
 こういう博物館風の中身は、多くの場合、「イマイチ」なのですが、ここは一見の価値がありました。
 この建物の外にはこの時期だからでしょうか?菊の花が咲いていました。

 <美しい菊の花>


 さて、この記事で「そうだ!京都へ行こう」は終了です。
 次回は海外旅行に戻ろうと思います。
 


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