トルコに行って、トロイの遺跡を見てきました。
公園のような遺跡の入口からしばらく歩きますと、あの大きな木馬が目の前に出現します。
その大きさに圧倒されながら、トルコの添乗員さんの案内に従い、木馬の右側を歩いていきますと、平屋の建物があります。
そこにこの遺跡の図面?や、この遺跡を発見したドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンの写真などが展示されており、「これからどんな面白い遺跡が見られるのか!」とワクワクしたものですが、その後の遺跡見学は少々「ガッカリ」ものでした。
最初に石積みの壁のようなものがあり、「うん、これは面白いかも?」と期待を持ったのです。
しかし、その後は岩山に築かれた歩道のような観光コースに従って歩くのみで、見えるものが平凡で「ちょっとがっかり」というのが本音でした。
ガイドの説明がよほどうまいか、紀元前二十数世紀という途方もない過去の遺跡に固執していなければ、「ただの石の山」にすぎないと感じてしまうと思います。
そもそもトロイ遺跡はなぜ有名になったのでしょうか?
ギリシャの詩人ホメロス(叙情詩イーリアス、オドュセイア)や、ローマの詩人ウェルギリウス(アエネーイス)が書いたトロイ戦争の舞台だからだそうです。
では、そのトロイ戦争とは何か?ということですが、トロイの王子がパリスが、ギリシャの都市国家スパルタの王妃を連れ去ったため、怒ったスパルタ王メネラオスがギリシャ中の英雄を集めて、トロイに攻め込んだ戦いをいうとされています。
お前はそんなことを良く知っているな?と思われるでしょう。もちろん、本の受け売りですが、なぜ、木馬が登場し、ドイツ人のシュリーマンがこの遺跡を発見したのかが、次に書いてありますので、ご覧ください。
戦争は10年にも及んだが、ある日ギリシャ軍は巨大な木馬を残して撤退した。トルコ軍は勝利を確信し、ギリシャ軍が残した木馬は貢ぎ物だと思って城内に引き入れた。すると、深夜に、木馬内に隠れていたギリシャ兵が外に出て、門の鍵を内側から開けたために、ギリシャ軍が城内に入り、トロイを陥落させたのである。
となっています。だから、トロイの象徴のように入口に大きな木馬が置かれているのですね。
そして、ドイツの人のシュリーマンは、幼い頃にホメロスの物語に感動し、それまで架空の出来事だとされていた戦争の舞台であるトロイ遺跡を、大人になった1871年に発見することになったそうです。
でも、このトロイ戦争と遺跡の年代が一致していないというのが通説のようで、遺跡はトロイ戦争があった紀元前1250年ころよりも、さらに1000年ほど前である可能性が高いとされています。
従って、シュリーマンによるトロイ遺跡の発見は素晴らしいことですが、彼が感動したトロイ戦争が史実だった証拠は何一つないといってます。(世界史の謎がおもしろいほどわかる本、三笠書房)
ということは、トロイ遺跡の象徴である「木馬」は意味がない?!
見学が終わって、木馬の内部にはいりました。急な階段(3階建て?)が印象的で、窓から手を振ったものでした。
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