mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

スロバキアの世界遺産:スピシュスキー城とその関連文化財

2011年09月06日 | 旅行記

 今日は久しぶりに台風一過というか、晴天で風もさわやかな感じがします。

 それにしても、大雨が特定の地域に降り注いだりするなど天候が不順ですが、これも地球温暖化の影響でしょうか?

 地球は本当は氷河期に向かっている、という話を何かの本で読んだ気がするのですが、実際には正反対の温暖化に向かっているのですから不思議なものです。

 人間が地球という場所で化石燃料をジャンジャン燃やしているのだから、そのそばにいる人間が熱く感じるのは当たり前だとも言ってましたが、真実はどうなのでしょうか?まぁ、何百年、何千年という単位で気候を見れば地球は冷えている方向に向かっているのかも知れませんが、個人がそれを確認することは出来ないのでしょうね。

 さて、昨日は午前中にスポーツジムに行ってきました。そこで、鉄道会社で一緒に働いていたAさんにお会いしました。その時、Aさんから小生が勤めていた本社の部長をしていた方が現在、大きなスーパーマーケットの社長をしているという話を伺いました。

 「皆さん、本当に働くのが好きなんだな!」と驚くとともに、小生はこのように遊んでいて良いのか?と自問自答したものです。

 まぁ、そうは言っても何の能力もない小生を使ってくれる会社などないと思いますので、その自問自答は深刻なものではありません。

 ところで、前回に続いて今日はスロバキアの世界遺産、スピシュスキー城とその関連文化財についてレポートしたいと思います。

 ワールド航空サービスさんのパンフ(秋の東欧)を見ますと、小高い丘の上に白い建築物が大きく掲載されています。これがスピシュスキー城ですが、同社のパンフでは「スキー」という言葉がなく単に「スピシュ城」と表現しています。

 ここは1993年に世界遺産に登録されたのですが、「世界遺産一度は行きたい100選ヨーロッパ」によれば、「草原の真っ只中にそびえ立つ中部ヨーロッパ最大級の城塞」と表現し、小見出しに「廃墟ともなった難攻不落の城塞の跡」としています。

 当時(いつ?)この地を支配していたハンガリーがタタールの侵略に備えて13世紀にロマネスク様式で築いた城塞だそうです。

 その後、13~16世紀にかけてゴシック、ルネサンス、バロックに増改築され、城壁は高く二重に堅固になったのですが、居住性が悪く見捨てられ、さらに1780年に火災で廃墟になってしまったそうです。

 そして、長らく採石場などになっていたが、近年整備されて中世の巨大な城塞が蘇ったというのです。

 ということは、近年整備されるまでは、廃墟ですから基礎ぐらいは残っていたのかもしれませんが、写真で見えるような白い城壁はなかっということでしょうか?

 城壁内には大砲があるが、リスが飛び回る広大な草原だそうで、城塞最上階からの眺めが素晴らしいようです。また、城郭内には屋根はないものの、石の壁でいくつもの部屋の分かれ、ダイニングなどの生活の場、拷問部屋、礼拝堂までが残っているといいます。

 城塞を見上げる麓の城下町スピシュカ・カピトゥラは聖職者の居住地となり、聖マルティン大聖堂のような歴史的建造物が建ち並んでいて街そのものが世界遺産に登録されているそうです。

 100選では「スピシュスキー城とその関連文化財」としていますが、関連文化財とは、城下町スピシュカ・カピトゥラにあるものをいうのですね。

 それしても、ヨーロッパの文化財は、ゴシック、ルネサンス、バロックなどという説明を受けますが、何がどう違うのか小生にはさっぱり分かりません。

 そういえば、阪急交通さんにお世話になったクロアチアなど4カ国周遊の旅では、添乗員さんがバスの中でその違いを説明していました。

 ロマネスクが一番古く、9~12世紀、古代ローマ様式を基調とする様式で、半円形のアーチと簡素なボールトが特徴だそうです。イタリアのピザの斜塔や大聖堂などが代表例だそうですが、ピザの大聖堂は外観がとても綺麗でしたね。

 次に古いのが12世紀から15世紀のゴシックだそうです。垂直性が高い建築で、尖塔、尖塔アーチ、バラ窓、入り組んだボールト天井が特徴だそうです。代表例にノートルダム大聖堂(パリ?)などとなっています。

 次が15~16世紀のルネサンス様式で、古代ギリシャ、ローマ様式が手本になっているそうです。ドーム型屋根、列柱、ペディメントが特徴で、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂などが代表例だそうです。

 最後に17~18世紀のバロック様式ですが、この様式は古典様式を受け継ぎながら、曲線の使用、過剰装飾が特徴だそうです。さらに、不規則、いびつなどと説明されていますが、ベルサイユ宮殿が代表例だそうです。

 小生もヨーロッパが好きであちこちの教会などを見ていますが、様式の違いなど分かるはずがありません。


スロバキアの世界遺産:バンスカー・シュティアヴニツア

2011年09月01日 | 旅行記

 今日から早いもので9月です。台風が近づいて天気が荒れてきましたが、季節は着実に秋に向かっているようです。

 今日は昨日の剪定後かたづけ作業の疲れで、スポーツジムを休んでしまいました。

 ところで、毎月2日は母の祥月命日ということで、墓参りを欠かしませんが、明日の天候が荒れることも考えて「今日前倒しで墓参りをしよう」とかみさんが言っています。

 自分の実母のように墓参りをしてもらい、「感謝!感謝!」の言葉しかありません。

 ところで、昨日はスロバキアの世界遺産の一つヴルコリニェツ村についてレポートしましたので、バンスカー・シュティアヴニツア(歴史都市と近隣の工業建築物群)について申し上げてみたいと思います。

 バンスカー・シュティアヴニツアは、世界初の発破に成功し、欧州初の鉱山学校ができた街だそうです。

 現在、この街は、スロバキア中部、人口が約1万人ほどの地方都市ですが、中世からハンガリー王国の金・銀鉱山の街(18世紀後半にはハンガリー第3の都市)としてその名が知られていたそうです。

 世界遺産一度は行きたい100選ヨーロッパによれば、次のようにその栄華を表現していますが、写真を見ますと「チョッピリ寂しそう!」ですね。

 午前中、かみさんと墓参りのため、このブログを中断しました。

 この本にどのように書かれているかですが、最初に小生が書いたことがあり、次に、

 「1627年、従来の手掘りではなく、黒色火薬を坑道に仕掛け、発破によって一度に大量の鉱石を採掘することに世界で初めて成功した。この方法は瞬く間にヨーロパ中の鉱山に広まっていった。」

 とあり、ここが世界初の発破に成功した鉱山の街であったことが書かれています。

 そして、マリア・テレジアが1762年にこの地にヨーロッパ初の鉱山学校を開設し、鉱山技師を養成した、とあります。

 最後に「今でも細長い石畳が続く鉱山街に、往事を偲ばす旧鉱山学校やクリンガー貯水池、聖カタリーナ聖堂、市庁舎、トリニティ広場などが残っている。旧市街の丘には鉱山博物館になっているシティアヴニツア新城が建つ。」と結んでいます。

 この本には、往事を偲ばせるという石畳の鉱山街の中心地の写真が載っていますが、人がまったく写っておらず「寂しい!」という印象を強く受けました。

 その寂しい街に私たちは二泊することになっています。