イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

絵だけ描く

2015年04月13日 | イコン
大学時代の友人、
日本画家の夫妻に
30年ぶりにお会いしました。

大学の先輩や友人たちの
30年間にあったいろんな話を聞いて
20歳代の若い時の生き方、
自ら選んだ道が
30年後も影響があるということを
思い知りました。

また、あのバブル時代が
人生を違う方向へ導いてしまったことも、、、

先人たちの教えをよく聞いて
選ぶ道の間違いがないことの
重要性もよくわかりました。
選ぶ道とは
人間の生きる道のこと、
人道のことです。



昨日、ルオーを青木崇高という俳優が紹介していて
ルオーの作品は
恐ろしくて直視できないと言っていました。



志功の酸ヶ湯の薬師如来も見ました。

これらは、
私が今、描いているイコンとは
全く別のものだとはっきりわかりました。

イコン画家は
やはり、絵を描くだけであって
その素のままのイコンを
必要な人に渡すだけだと思いました。
イコンを描く人間が
描く絵に、
自分の思い込みを一切入れるものではないと
はっきり、確信しました。
ですから、
「イコンを生活の糧に金に変えてはならない」と
厳しく戒めたのだと思います。

これは、医療行為にも似ていて
医療行為を実際に
患者に行うときには
自分の感情は入れず
淡々と作業を実行するのと
全く同じだと思いました。

私は今頃、わかりましたが、
先人たちは宗教画を描く行為と
医療を行う行為を
同じだとわかっていたのですね。
ですから、
聖ルカは医者であり、画家であるわけです。

次々と解かれていくイコン、宗教画の不思議、
ここには、書ききれない細かなこともわかり、
私は驚愕しています。
恐らく、今、
実際に毎日イコンを病室で描いていますから
よけいに敏感にわかるのではないかと思います。

宗教画は、文字の読めない人のために
いちばん最初は描かれた
聖書や仏典の教えを文字を理解できない人に見せてわかるようにした
と聞いていますから
何らかの教えは必ず描きこまれているわけで、
それを描き手の私がわからないといけないなと
改めて、しっかり、思いました。
つまり、字で書いて理解できる絵ではない、
心で感じる絵だ、ということです。

30年目の真実、
絵を描くことの純粋さ、
私の最大の信仰は
これだと思います。

絵描きは絵だけ描く。


こういう代々受け継がれてきた絵は
描ける人間が描いて
また受け継がせていくことが重要ですから
時間かけずにさっさと描いて
必要な方にお渡しすることを
私のミッションとしたいと思います。

絵描きには絵具があるのは当たり前ですから
描く技術があるのも当たり前です。
高額な金銭をイコンからは、とてももらえませんね。
描いていて、
それは強く思います。
イコンで金をもらうのは違う。
金をもらうのは、自分の絵からです。
描いていて、はっきりとわかります。











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