何か解らないことがあれば図書館に出かけて
参考文献を探し出して調べる。
あるいはその知識を持つ人を見つけ教えを乞う。
だが、そんな手間暇をかける必要はまったくない。
ネットで検索すれば、苦労することなく答えを得られるだろう。
また、野原に出かけ、見知らぬ花の名を知りたいと思ったら、
スマホでパチリと写真を撮りさえすれば、すぐにスマホが、
その可憐な花の名を教えてくれる。今はそんな世なのである。
辛口の論客で、哲学者の適菜収さんは、
しばしば「とりかえしのつかない人」という言い方をする。
「人の話やアドバイスを聞かない」「金銭にだらしがない」
「約束を守らない」「時間にいつもルーズ」など社会人としての
基本が出来ていない人を指すのだが、
加えて「情報をタダだと思い、必要な情報は
いつもネット検索で得ている」人も同列に並べる。
さらに、適菜さんらしいと言えばそうなのだが、
こんな辛らつな言い方さえする。
「そういうこと(ネット検索)を繰り返していると、どんどんバカになる。
ネット検索だと探している『答え』しか見つからないからだ。
大事なのは『答えにたどり着く過程』、
すなわち思考する回路をつくることだ」
確かに、ネットで検索して得た『答え』や
スマホが教えてくれた『花の名』は、すぐに忘れてしまうことが多い。
解り易い話が、何事においても楽して得たものに
ありがたみは薄く、心身をすーっと通り過ぎて行ってしまう。
やはり、自ら図書館に足を運び、博識の人を訪ね教えを乞う、
そんな『答えにたどり着く過程』があってこそ、
その『答え』は心に身にこびりつくものだ。
適菜さんはまた、そんなことを
「子供の読書」「大人の読書」とも言い表す。
前者は知識を得るためだけの読書、後者は思考を深め、
感性に磨きをかけるための読書というわけだが、
適菜さんは、「とりかえしのつかない人」には、
もちろん『大人の読書』を薦める。
それも歴史を超えて読み継がれている、
少々難解な文学書や古典を……。
それによって、思考は深まり、感性は磨かれていくというのである。
こんな話を聞き、自らを顧みれば、
「とりかえしのつかない」一人になりつつあったと気付かされる。
とりかえしがつかなくなる前に、何とか踏み止まなければならない。
分かる気がします。
ネットなど、お手軽に調べられる所で答えに辿り着けないと、どうして良いか分からなくなる人をチラホラ見かけますね。
Toshiさんの記事の通りなのかも知れませんね。先日も先輩が2日もフリーズしていて『なんで識者に聞かないんですか⁉️』と怒ったトコでした。
人に聞いて、ついでに議論でもしたら絶対に身につくんですけどね。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥なんですが…😅
おそらく、ほとんどの人が同じように感じているのだと思いますが、どうしても安易な方に流されていってしまう。自らも含め、心しておかなければならないと思います。本当に難しい問題です。