年末にNHKで、放映されていた「坂の上の雲」を観ていて、そう言えば、昔、いつだったか、忘れてしまったが、以前に、購入して、読んでいなかったこの本のことを、想い出した。司馬遼太郎の「殉死」や、「坂の上の雲」は、既に、若い頃、読んでいたので、その映像化は、あらすじも含めて、特に、驚くべき物はない。むしろ、乃木希典とステッセルの水師営での会見は、亡くなった母などは、歌で、子供の頃から、知っていたが、私の世代などは、歴史的な知識として、そのアラブの愛馬や、ステッセル婦人愛用のピアノが、送られたことは知ってはいても、加えて、日本海海戦に向けて、バルチック艦隊に、乗せられ、ピアノも共々、はるばるロシアから、その後は、戦利品として、日本へ、送られたことは、あまり、知られていない。そして、それらが、パリ・ペテルスブルグ・大連・旅順・金州・金沢・旭川・遠軽・水戸・浜松と、その数奇な運命とともに、伝説の謎を追って、ピアノを媒介にして、その当時の乃木やステッセル、或いは、明治という時代に、生きたロシアや日本の関係者の人々の想いを、日露戦争で、亡くなった人々の鎮魂の意味も込めて、問いかけるものである。未だ、武士道や騎士道が、残っていた時代、或いは、人一人の命の値段が、とても安かった時代、20代で死んでいった若い兵士や、幼子や、若妻を残して、逝ってしまった人々と、乃木・ステッセルの伝説と虚像を、この本では、言及している。日露戦争の中でも、ひときわ凄惨を極めた203高地の攻防の中で、多大な犠牲を出した旭川の第7師団、金沢の第9師団、等も、決して、このピアノ伝説と無縁ではないし、偶然でもない。北海道紋別の遠軽(エンガル)にある生活学校の創始者、留岡幸助の明治期のキリスト教の考え方、ステッセルのスをとり、寿号(すごう)と名付けられて、その後、軍馬育成に、供せられた寄贈愛馬等の逸話は、明治という時代を、生きた人達の考え方・生き方を、ピアノというモノ(戦利品)を通して、各地を旅する中で、改めて、垣間見られたような気がする。因みに、なでしこ・ジャパンの沢 穂希(ほまれ)選手のの希は、成る程、乃木希典(まれすけ)の希と同じである。