小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

現場力の衰えを憂う

2012年01月18日 | 社会戯評

これまで、日本の強みとは、資源がない国なので、個々人の技量の高さを、ボトム・アップで、押し上げながら、集団の力で、ベクトルを引き上げてきた歴史だったが、いつの頃からか、マニュアルがないとか、個々人の自主的な決断を行わず、何の責任もとらずに、唯々、上からの指示を待つような指示待ち族が増え、組織が、壊死し、金属疲労が進行して、国力の衰退と閉塞感が、漂うになってしまった。世界に冠たるカイゼンも、こうした下からの現場力が、衰えれば、自ずから、ストラテジカルな選択をしても、もはや、今では機能しないだろう。オームの平田容疑者の出頭の際の警視庁の警官や、広島刑務所の李脱獄犯の逃亡事例を見ても、更には、センター試験の不手際をとっても、どうやら、一番、肝心、要の現場で、底辺を支えている「現場力」さえも、瓦解しつつあるように、思えてならない。リーダーシップ以前の問題である。初歩的なと言うよりも、何故、そんなプリミティブなミス(?)が、起きるのかとまで、疑問を呈せざるを得ないほど、事態は、深刻である。一体、何が、そうさせているのであろうか?「事例を再検証して、再発防止対策を立てたい」などと、まるで、商品クレームの対応のように、言われてもたまったものではない。たまたま、逮捕されたから良いが、これが、第二・第三の犯罪を起こしていたら、どう責任をとるのであろうか?国のシステムとか、国力の衰えとかいうモノは、こんな感じで、衰えてゆくものなのであろうか?日航機の御巣鷹山の事故の時に、ボーイングの尻餅事故の改修を、見抜けなかった米国を、その品質管理水準の衰え・欠陥だと笑っていたが、今日、日本も、もはや他人ごとではない。もう、尻に火が付きかかっているか、既に、ついて燃え始めている。次代を背負うこれからの人達に、何が必要なのであろうか?システムなのか、教育なのか、リーダーシップ、決断力、決められない民主主義なのか?一つの時代が終わった、などという区切りの言葉では、かたづけられない何かが、そこにはあるように、感じられてならない。