正月休みも、一段落したので、86歳になる義理の母のところへ、荻窪の家に帰る途中に、挨拶も兼ねて立ち寄ったところ、幼稚園に通っている曾孫の女の子が、しりとりをしようと待ち構えていた。何でも、幼稚園で、「しりとり遊び」、「だるまさんが転んだ」、「けんけんパー」等を覚えて、曾祖母を相手に、普段から、おままごとや、覚え立ての言葉遊びで、一緒に、楽しんでいるらしい。正月休みには、女房の姉が、その餌食となり、苦し紛れに、「ん」で、言葉を結んだところ、「叔母ちゃんの負けだ!」とばかりに、キャッキャと大はしゃぎだったそうである。一寸、言葉に詰まっていると、ちゃんとヒントを出してくれて、手助けしてくれる。どういう訳か、「り」が、何回も、廻ってきて、その都度、果物のりんご、動物のりす、等と、教えてくれる。(カテゴリー毎に、考えれば良いのか!成る程ね)女房などは、苦し紛れに、理科などと口走る始末である。又、以前に、出てきた言葉を記憶していて、知らぬ顔で、言うと、「それは、もう、出ました!」と間髪を入れずに、注意されたりしまう。結局、曾祖母が、行き詰まると、教えてあげて、試合は、結局、そこで、無事(?)、終了した。内心、ホッとしたが、、、、。86歳になる義理の母によれば、これが、結構、呆け防止に、なるそうである。毎日、幼稚園が終わると、同じ敷地内にある曾祖母や、祖父母の家に、来ては、農家の仕事を横で、眺めたり、手伝ったり(本人はそのつもりだが?)、こうした遊びをして過ごすそうである。3世代に、囲まれて、今では、毎日、曾孫は、きっと、貴重な体験をしていることであろう。今となっては、貴重な多層世代に揉まれて、すくすく、元気に、育ってもらいたいものである。それにしても、結構、しりとりは、難しいものである。30年ぶりくらいだろうか?なかなか、侮れないコミュニケーション手段、情操教育を育むモノであることを再認識させられた。今や、大人の世界でも、別の意味で、必要なのではないか?