小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

美しい日本語の歌

2012年01月27日 | 映画・テレビ批評
美しいものに対する日本浪漫派の保田與重郎、亀井勝一郎、伊藤静雄、蓮田善明、三島由紀夫、等、或いは、拡げて、川端康成を、必ずしも、文化論的に、擁護する立場ではないが、どうも、歳とともに、最近は、「美しい日本語」が、気になりかけてきた。とりわけ、最近では、新党結成に、忙しくて、「くだらない作品が多くて、読むに堪えないので、芥川賞の選考委員を辞任する」とした石原慎太郎ではないが、文学もさることながら、歌の世界でも、どうも、今ひとつ、美しい日本語が、使われた歌がないように、感じられる。先日、テレビの番組で、由紀さおりが、「自分は、80歳になっても、美しい日本語の歌い手で、あり続けたい。」と言っていたのには、大いに、共感するモノがあった。姉の安田祥子とともに、童謡を歌い続けてきたことからも分かるように、確かに、美しい日本語を歌い継ぐ歌手が、最近では、少なくなり、絶滅危惧種に、なりつつあるように思われてならない。赤ん坊でも、生まれない限り、童謡や絵本も、最近では、聴いたり、歌ったり、或いは、読んだりもしなくなってしまったが、身勝手な私小説風な歌ばかりで、しかも、リズムも、やたら、自然な呼吸に逆らうようなついてゆけないリズム感で、さっぱり、何を言っているのか、何を訴えたいのかが分からないような歌が、多くなってきているような気がするのは、私一人だけの感慨だろうか?何年に1回でも良いから、大きなヒットではなくてもよいから、美しい日本語を歌い継ぐ歌手が、生き残れるような歌が、出てきてもらいものである。