小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

千載具眼の徒を竢つ=伊藤若冲 パート2

2012年01月17日 | 映画・テレビ批評
絵とは、それを観る人に、絵師の意図を見抜くことを期待して、或るメッセージ性を込めて、描かれるモノなのだろうか?それとも、難解に、その秘められた技法や画材・絵の具の秘密も含めて、騙し合いなのか、戦いを挑んだモノなのか?江戸時代、18世紀の半ばに、活躍した伊藤若冲の絵は、全く、奧が深くて、難解である。NHK・BSの4回、6時間にも亘る番組を観れば観るほど、その技巧の高さ、革新性、そして、絵の哲学が、世界的にも、極めて高く、評価されて然るべきものである。極彩色の微細画による鶏や草花のみならず、細かなマス目に漆を施して、色彩や、光による色合いの変化を、事前に、計算し尽くした技法など、或いは、仏の慈悲の象徴でもある月の光の恵みを、繊細な光と陰のコントラストを計算して描かれた金閣寺の書院の墨絵とか、極彩色とは、対極をなす漆黒のクロを、墨で、空や春秋のイメージを感じさせるような部屋の間取りさえも事前に、計算し尽くされた構図の襖絵、まるで、写真のフィルムのポジとネガのコントラストを、江戸時代に、既に、熟知していたかのような技術の粋を極めた作品もある。正面刷りという版画の技法も、黒と白とのコントラストを出すために、墨の材料も、精査・厳選されていたことが、今日の科学的な分析からも、わかるものの、同じレベルの作品が、出来ないそうである。今日の最先端の分析機器の科学的力を借りても、その江戸時代の「技巧の極み」に、300年経っても、辿り着けないとは、何という水準の高さであろうか?命の尊さを、魚や貝や、草花、動物、更には、野菜を模して、涅槃図を水墨画で、描いたり、鶏の一瞬の動きを、或いは、カメラ・ワークの遠近法を、或いは、脳の目の錯覚を意識した色彩の技法など、更には、空を、春を、漆黒のクロで、イメージさせる乗興舟の版画に至っては、科学的な分析も、追認するのみである。「千載具眼の徒を竢つ」という言葉に、込められた意味は、まさに、今日でも、未だ、実現されていないのではないかと、、、、、。謎は、深まるばかりである。絵の鑑賞や音楽の鑑賞とは、成る程、奧が深いモノであることを再認識させられる。格闘技のようであろうか?いつ迄経っても、作者との真剣勝負の戦いには、一瞬の隙も、見せられないものである。心して、絵や音楽、詩や俳句・短歌も、鑑賞するときには、こうした気概で、望まなければならないのではないか。ふと、見終わった後に、そんな気がした。まだまだ、「具眼の徒」には、なれない自分がそこにある。千載、待ってもらっても、無理だろう。