もう、5年程前になるだろうか、2度目の海老の市場リサーチのために、ミャンマーを各地、北から、南のタイ国境付近まで、訪問したことがある。殊に、南のある離島では、「地獄の黙示録」をまるで、地でゆくような地域コミュニティーと軍部と地方資本家との職・住、合体による経済開発の実験、島全体が、造船所・学校・フィッシュミル工場・水産加工場・ソフトシェル・クラブの養殖場などからなっていて、対岸の小さな都市との往来は、フェリーが、無料になっているのをみて、更に、その岸壁には、五星紅旗の大型トロール船が、横付けされていたのを見て、ある感慨を抱いた覚えがある。また、こんな辺鄙な土地でも、シンガポール系の資本によるヨーロッパ観光客向けのリゾート・ホテルが、海岸沿いには、建てられていて、ガランとした海岸の砂浜の椰子の樹の下では、水着で、読書を楽しむ数人の欧州観光客とおぼしき人達が、見られたモノである。何とも、その落差に驚いた覚えがある。カレン族による軍政との武力闘争や、民主化運動で、逃走せざるを得なかった学生運動・民主化運動指導者など、未だ、政治的な過酷な弾圧が、現実に行われていた当時にも、既に、繊維、食品、或いは、シンガポール系華僑資本による投資が、進行していて、残されたアジアの唯一の未知の可能性の或る大国、ミャンマーへの注目は、密かに、水面下では、大いに、高まっていたモノである。何故、今、そんな中で、急激な上からの官製民主化が、突然(?)現実味を帯びてきたのであろうか?今や、EUも、米国も、むろん、日本も含めて、ミャンマー詣でである。経済の原理原則とは、そんなモノなのであろうか?四半世紀も、外国で、政治亡命生活や、辺境のジャングルで、武装闘争を強いられてきたりしたのに、一夜にして、停戦、恩赦・開放、アジア的な寛容なのであろうか、それとも、そこには、これまで、軍政を支え続けてきた権力者達の大いなる企てが、何か裏にあるのであろうか?今ひとつ、報道の裏側から、見えてこない不可解さが拭えないのは、私一人だろうか?それにしても、すさまじい変化のスピードである。