小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

新しい街創りと復興

2012年01月28日 | 社会戯評
後藤新平等の関東大震災時での新しい街創りでの壮大な試みに対して、今時の災害後の復興に於ける街創りの戦略的な方向性は、どのようなものなのであろうか?最新のハイテク技術を駆使した新しい世界に冠たるショーケースを、果たして、提示出来るに耐えうる価値があるのであろうか?それとも、せいぜい、高台に集団移転する程度のものなのであろうか?何とも、関東大震災時に、較べても、現代のテクノクラートや最先端技術を研究している学者達の活躍の場や姿が、未だに、見えてこない。せいぜい、NPOによる新たなそれらの間隙を埋める活躍だけである。自然との共生、海との共生、これまでのコミュニティーの良さを温存しつつ、新しいコミュニティー作りの実験など、東北のみならず、予想される今後の東南海大地震をも、それこそ想定したような新たな防災・街創りの方向性が、世界中からの全ての英知を集めてでも、国際コンペではないが、どうも、それすら、見えてこない。むろん、生活の糧となる職・雇用の確保と住環境の整備や、成長戦略の具体的な提示がなければ、これも、絵に描いた餅になろうが、いずれは、時間の経過とともに、又、過去の例を見るまでもなく、住民が、海沿いの同じ場所に、同じように、舞い戻ってくることであろう。時間との必然的な闘いもあって、どういう方向性が、望ましいのか?何とも、歯がゆい限りである。それは、いつになったら、実現可能で、見られるのであろうか。その時は、復興したといえるのであろうか。神戸淡路震災からも、既に、17年が経過してしまったし、まもなく、東日本大震災からも、1年が、来ようとしている。