小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

辻井伸行のカーネギー・ホール・デビュー盤を聴いて、、、、

2012年01月16日 | 映画・テレビ批評
中国系米国人で、辻井伸行のファン・サイトを主宰しているMs.Liuから、年明けに、メールを戴いた。彼女は、カーネギー・ホールのコンサートで、最前列に座り、双眼鏡をもって、演奏に耳を傾けたそうである。私は、そのニュースを、テレビで、見たときに、彼が、涙を流していたことをブログに書いたが、彼女は、現場では、至近距離からでも、確認出来ず、それは、誇張ではないかと、思っていたらしい。しかし、年末のNHKの放映で、再度、確認したところ、ステージでの涙だけではなく、アンコールの終了後に、舞台の裏で、「観客の拍手に、感動した」と日本語で、はっきりと、涙を流しながら、話していた様子が、見られたそうである。私は、この番組は、見ていなかったのですが、ネットで、その様子を、最近、見ることが出来ました。CDは、残念ながら、全ての曲目が、録音されている訳ではないので、又、私は、素人で、演目曲について、ほとんど、知識がないので、解説書を見ながら、聴いてみた。リストのリゴレット・パラフレーズは、とても、力強く、何か、「自信」に溢れているように感じられた。この自信というか、「確信」に溢れていると言った方がよいのか、分からないが、どこから、来ているのであろうか?そして、彼は、これから、どこへ向かって行くのであろうか?その「確信の行方」を、将来、ずっと、見守ってゆきたいものである。どのような自立した演奏家に育ってゆくのであろうか?大変、興味深いものがある。彼が流した涙は、「それでも生きていく」をアンコールで、演奏しながら、震災復興を願っただけではなくて、彼自身も、「盲目のピアニスト」というレッテルを、もう、必要が無くなったことを、「自立したひとりの演奏家」としての新たな自身の立場を、このコンサートの聴衆からの拍手で、実感したのではないだろうか?彼の音楽は、どこへ、向かって、今後、ゆくのだろうか?興味は尽きない。

http://www.youtube.com/watch?v=dIn4ZQCjLIY&feature=youtu.be

辻井伸行ファンサイト:
https://sites.google.com/site/nobufans/

100円ショップの額をDIY加工する

2012年01月15日 | DIY
以前に、買ってあった100円ショップの小さな額縁が、残っていたので、これに、カミキリ虫の為に、枯れてしまった大きな白樺の樹の白い樹皮の小枝を、のこぎりで短く、切って、額縁の周りに、木工用のボンドで、適当に、貼り付け、更に、枝を払ったもみの木の葉が、未だ、青々としていたので、左上隅と右下隅に、アクセントとして、小さな枝を、差し込んでみた。中心には、2年程前の晩秋に撮影した松原湖の楓の赤く色づいた紅葉の写真を、ラミネート・フィルムに、加工して、入れて、階段の白い壁面に飾ってみた。存外、安い額が、俄然、自己主張を始めたような気がしてならない。写真は、季節毎に、替えれば良いだけのことである。これなら、手作りの一寸したお土産にも、或いは、何かの記念品にも、よいかも知れない。松ぼっくりを、装飾に貼り付けても、よいかも知れない、、、、、、、。今度は、色々と、工夫してみることにしよう!取りあえず、これで満足するとしようか、いつものことであるが、単なる自己満足の域をでない。



我が老犬に、幼き友より、賀状来たる!

2012年01月14日 | 動物・ペット
賀状に、一枚、一枚、目を通していると、何やら、犬とおぼしき色鉛筆で描かれた絵と拙いひらがなの名前が、はがきの表一面に見られ、裏には、弟と一緒の可愛らしい幼い女の子の写真が、印刷されていた。約2年位前になるだろうか、お母さんといつも、散歩の途中に、当時は、外で、飼われていた我が老犬に、ガレージのフェンス越しに、挨拶をしてくれたので、時々、身体を触らせたり、臭いをかがさせたりしたら、我が老犬も、喜んで、おとなしく、女の子の手を舐めたりしたものである。やがて、お腹が、大きかったせいか、弟が、生まれたらしく、一緒に、散歩をしたり、近所のスーパーに、ご両親揃って、買い物に行くときに、立ち寄っては、なでなでを、繰り返ししてくれた。一緒に、写真を撮ってあげたこともあり、すっかり、我が老犬に、なついてくれた。歳も、とったこともあり、室内で、飼うことにしたために、散歩の途中では、なかなか、お目にかかれなくなり、又、小諸に住む時間が多くなってからは、更に、出会う機会が減ってしまった。忘れずに、覚えていてくれて、年賀状をもらったので、早速、我が老犬の名前で、ご返事を差し出すことにしよう。何とも嬉しい便りである。我が老犬も、殊の外、今日は嬉しそうに、尻尾を振っている。(それとも、食事の催促かな?)



30年ぶりのしりとりに、難儀す

2012年01月13日 | 社会戯評
正月休みも、一段落したので、86歳になる義理の母のところへ、荻窪の家に帰る途中に、挨拶も兼ねて立ち寄ったところ、幼稚園に通っている曾孫の女の子が、しりとりをしようと待ち構えていた。何でも、幼稚園で、「しりとり遊び」、「だるまさんが転んだ」、「けんけんパー」等を覚えて、曾祖母を相手に、普段から、おままごとや、覚え立ての言葉遊びで、一緒に、楽しんでいるらしい。正月休みには、女房の姉が、その餌食となり、苦し紛れに、「ん」で、言葉を結んだところ、「叔母ちゃんの負けだ!」とばかりに、キャッキャと大はしゃぎだったそうである。一寸、言葉に詰まっていると、ちゃんとヒントを出してくれて、手助けしてくれる。どういう訳か、「り」が、何回も、廻ってきて、その都度、果物のりんご、動物のりす、等と、教えてくれる。(カテゴリー毎に、考えれば良いのか!成る程ね)女房などは、苦し紛れに、理科などと口走る始末である。又、以前に、出てきた言葉を記憶していて、知らぬ顔で、言うと、「それは、もう、出ました!」と間髪を入れずに、注意されたりしまう。結局、曾祖母が、行き詰まると、教えてあげて、試合は、結局、そこで、無事(?)、終了した。内心、ホッとしたが、、、、。86歳になる義理の母によれば、これが、結構、呆け防止に、なるそうである。毎日、幼稚園が終わると、同じ敷地内にある曾祖母や、祖父母の家に、来ては、農家の仕事を横で、眺めたり、手伝ったり(本人はそのつもりだが?)、こうした遊びをして過ごすそうである。3世代に、囲まれて、今では、毎日、曾孫は、きっと、貴重な体験をしていることであろう。今となっては、貴重な多層世代に揉まれて、すくすく、元気に、育ってもらいたいものである。それにしても、結構、しりとりは、難しいものである。30年ぶりくらいだろうか?なかなか、侮れないコミュニケーション手段、情操教育を育むモノであることを再認識させられた。今や、大人の世界でも、別の意味で、必要なのではないか?



五木寛之、「ステッセルのピアノ」を読む

2012年01月12日 | 書評・絵本
年末にNHKで、放映されていた「坂の上の雲」を観ていて、そう言えば、昔、いつだったか、忘れてしまったが、以前に、購入して、読んでいなかったこの本のことを、想い出した。司馬遼太郎の「殉死」や、「坂の上の雲」は、既に、若い頃、読んでいたので、その映像化は、あらすじも含めて、特に、驚くべき物はない。むしろ、乃木希典とステッセルの水師営での会見は、亡くなった母などは、歌で、子供の頃から、知っていたが、私の世代などは、歴史的な知識として、そのアラブの愛馬や、ステッセル婦人愛用のピアノが、送られたことは知ってはいても、加えて、日本海海戦に向けて、バルチック艦隊に、乗せられ、ピアノも共々、はるばるロシアから、その後は、戦利品として、日本へ、送られたことは、あまり、知られていない。そして、それらが、パリ・ペテルスブルグ・大連・旅順・金州・金沢・旭川・遠軽・水戸・浜松と、その数奇な運命とともに、伝説の謎を追って、ピアノを媒介にして、その当時の乃木やステッセル、或いは、明治という時代に、生きたロシアや日本の関係者の人々の想いを、日露戦争で、亡くなった人々の鎮魂の意味も込めて、問いかけるものである。未だ、武士道や騎士道が、残っていた時代、或いは、人一人の命の値段が、とても安かった時代、20代で死んでいった若い兵士や、幼子や、若妻を残して、逝ってしまった人々と、乃木・ステッセルの伝説と虚像を、この本では、言及している。日露戦争の中でも、ひときわ凄惨を極めた203高地の攻防の中で、多大な犠牲を出した旭川の第7師団、金沢の第9師団、等も、決して、このピアノ伝説と無縁ではないし、偶然でもない。北海道紋別の遠軽(エンガル)にある生活学校の創始者、留岡幸助の明治期のキリスト教の考え方、ステッセルのスをとり、寿号(すごう)と名付けられて、その後、軍馬育成に、供せられた寄贈愛馬等の逸話は、明治という時代を、生きた人達の考え方・生き方を、ピアノというモノ(戦利品)を通して、各地を旅する中で、改めて、垣間見られたような気がする。因みに、なでしこ・ジャパンの沢 穂希(ほまれ)選手のの希は、成る程、乃木希典(まれすけ)の希と同じである。





水は、誰のものか?

2012年01月11日 | 社会戯評
安曇野の大王わさび農場へ、行ったとき、近くを流れる緑色の藻が、生えた川で、ラフティングが行われていたが、何とも、潤沢なきれいな水であった。もちろん、わさび農場では、又、ふんだんに、沢の水やアルプスの湧水を活用して、わさび菜を、栽培していた。私のところの水源は、人工池の女神湖を、基点にして、遠路はるばる、先人により、引いてこられたと謂われている。日本人は、水と平和は、タダだと思っていると言われてきたが、今や、詐欺手法にも、「水源ビジネス」が、登場する羽目にもなってきた。7割もが、農業用水に、主として、使用されているらしいが、子供の頃は、東京でも小河内ダムの渇水などで、湖底に沈んだ村が、出てきたりと、水不足も、結構、身近なものだった。資源としての水資源、エネルギーも、水も、今や、全て、貴重な資源と化しつつある。これが、現実なのであろう!タイの洪水被害を見ても、改めて、山林の保水力とか、水資源の重要性を、考えさせられる。水脈は、まさに、今や、「青い金」と呼ばれる金脈のようなものになってしまったのか?外国資本による山林の買い占めなど、改めて、考えさせられる。それにしても、近年、年間600万トンもの夥しい量の地下水が、減少しているとか、ミネラル・ウォーターに換算すると、1200兆円にも、達する額に相当するそうである。日本全国で換算すると、一体、幾らぐらいの地下水脈が、減少しているのだろうか?何とも、日本人は、幸せな民族であろうことか?エネルギー・水・平和、改めて、考えさせられるこの頃である。



天才絵師、若冲の技を科学的に解析す

2012年01月10日 | 映画・テレビ批評
歩行弱者になる前には、よく展覧会に足を運び、和洋を問わずに、絵を鑑賞したものである。今では、長いこと歩けないのと、じっと、立っていられないので、せいぜい、その時に購入した絵の解説本を、時々、眺めるのが、愉しみになってしまった。NHKで、自身も個展を開く嵐の大野智のナビゲーターで、科学的にスーパー・ハイビジョン・カメラの技術を駆使した解析で、17世紀中盤の天才絵師、伊藤若冲の超微細な色彩や水墨画の技法の秘密を、解き明かそうとした番組は、とても、面白く、又、興味を覚えた。展覧会で、恐らく、絵を観ても、ここまでの解析は、人間の目では、到底、分からずしまいであろう。金粉を使用することなく、単に、鉄分だけで、画材の裏側に、幾重もの紙を貼ることで、目の中に、鳳凰の羽に、色彩としての金色を浮き立たせたり、或いは、水墨画での筋目書きという技法などは、今日でも、そんなことが、江戸時代に思いつくのかと、ただただ、驚くばかりである。墨汁の濃淡、筆で描くときのスピード、筆の圧力の加減、乾き具合、滲み具合、輪郭を描くことなく、それらを一挙に、描き切るだけの技量と決断力、動きへの洞察力・観察力、更には、絵の具だけではなくて、画材、和紙とは異なる宣紙と呼ばれる、藁を含んだ素材の紙の使用とか、そうしたことを総合的に、駆使して描かれた象や鶏や鳳凰の羽や、龍の鱗の様は、今日でも、科学的に、技法が解明され、真似をしろと言われても、流石の玄人の墨絵画家でも、未だ、及ばない領域である。動作をいくら、凝視しても、素人の我々には、せいぜい、デジカメで、静止画として、切り取られた一片の瞬間の姿ですら、模写することも、なかなか、難しいものである。それにしても、江戸時代に、こんな技法を駆使する絵師が実在したのかと驚かされる。若冲以外にも、写楽・北斎など、後世の西洋の印象派の画家にも、影響を及ぼした絵師がいたことに、改めて、驚かされる。日本人は、昔も今も、やはり、画期的な技術を生む可能性があるのではないかと、思い知らされる。



千曲川ワイン・バレー構想に期待する

2012年01月09日 | 社会戯評
もう30年前になるだろうか、ボルドー・ワインの輸入の経験から、カリフォルニア・ワインの輸入を手掛け、その時、米国カリフォルニア州ナパ・バレーや、ソノマ・バレー等の各ワイナリーも車で、巡ったことがある。又、ワシントン州のローカルなワイナリーも、同様に、巡ったことが想い出される。どちらも、観光客向けに、ご自慢の各種ワインの試飲と、ボトル販売や、関連グッズの販売をしながら、一種の町おこしとしての収穫祭イベント等を行なっていた。ワイン特区に指定された東御(とうみ)市を中心にして、そのメリットを活用して、ぶどう栽培・醸造技術・ワイナリー開設を支援し、或いは、耕作放棄地をも、再生することで、観光客を呼び込み、農業・観光振興も兼ねた一大構想だそうである。確かに、段々畑で、小雨で、日照時間が長く、昼夜の寒暖の気温差があるし、これまでにも、巨峰や、最近では、皮までも食することの出来る「ナガノ・パープル」等の栽培で、ノウハウを蓄積してきているだけに、これまでのマンズワイン小諸ワイナリーのみならず、玉村豊男の運営するヴィラデスト・ワイナリーや、はすみファーム、リュード・バン、ファンキー・シャトーなど、個性的なワイナリーに加えて、これからも新規参入を希望する就農者を支援しつつ、東御市を核にして、周辺の小諸・上田・青木村などの千曲川沿いに拡がる広域ワイン・バレーを構想しているそうである。真田氏や懐古園等の歴史的な遺産や、文化、温泉、食育等をも、包括するような新たな展開を、期待したいものである。既に、国産ワインコンクールで、金賞などの実績を積んでいるので、おおいに、期待して良いのではないでしょうか。おいしいワインが飲めそうであるのは、新しい愉しみである。



冬の白いフクロウに遭遇する

2012年01月08日 | 動物・ペット
正月休みに、私に替わって、娘が、我が老犬を連れて、はるばる、1時間超余りの行程で、散歩している途中に、松の枝に止まっているフクロウに、偶然、遭遇したそうである。気がついて、カメラを向け、シャッターを切った後に、こちらの気配に気がついたのか、飛び去ったそうだが、冬用の白い毛とまだら模様の羽の様子は、キチンと、撮影されていました。恐らく、私が、以前、やはり、冬に、森の中で、頭上をかすめていった白いフクロウでしょうか?結構、翼を拡げると大きかったと言っているところから、同一個体かも知れません。昔、杉並の家にも、隣の家の大きな松の樹に、フクロウが、一羽、止まっていて、夜になると、ホーホーと鳴いていたのを、子供心に、覚えています。今になって思えば、何とも、驚きですね。あれから、60年近くの歳月が、経過しましたが、この頃では、大きな松の樹も、すっかり、少なくなり、セミ取りをしたり、木登りをした大きな樹木も、無くなってしまいましたが、、、、、、。何とも、淋しい限りです。今年の夏には、又、小諸の里山で、娘が見たというフクロウの元気な声を聞けるでしょうか?そう言えば、昔、野鳥の餌台の隅に、白い小さなハツカ鼠が、潜んでいたところをみると、きっと、小動物を餌にして、生息可能なのでしょう。厳しい冬の寒さを凌いでもらいたいものです。





露天風呂の底に、山水画を観る

2012年01月07日 | 自然・植物・昆虫
 行きつけの温泉施設には、景色は、楽しめないが、小さな岩風呂風の露天風呂がある。火照った体を半身浴で、冷気にさらしていると、湯の底の石の模様が、何とも、茶色と黄金色に、輝き、まるで、一つの墨絵に描かれた遙か遠くに、望まれる山水画の山並みのように、見えてくる。そして、横に拡がった縞模様は、何とも、段々畑か、はたまた、幾重にも、重なった棚田のように、見えてくる。更には、丸い形の茶色の模様は、まるで、断崖に、突き出た大きな溶岩のような趣を漂わせている。これらが、真っ青な雲一つない青空の下、陽光に、キラキラと輝く様相は、誠に、山水画を観るが如きで、実に、一興である。黒御影石の間から、溢れ出る温泉の湯の音を聞きながら、湯気が、湯面を駆け抜ける様をぼんやりと、眺めていると、それは、まるで、冬の凍った川面から立ち上る川霧を彷彿とさせる。眺望がなくとも、立派に、想像力の中で、広い世界を夢想することができる。そんな愉しみも、露天風呂には、あることを初めて知る。




未来道プロジェクト=ひとつの道筋

2012年01月06日 | 社会戯評
津波で、壊滅的な損害を被った南三陸町の馬場中山地区で、孤立したその教訓を糧に、高台への集団移転の為に、県道に至る避難道も兼ねた生活道路をボランティアの支援の下に、行政組織に頼らずに、建設したという報道がされていたが、住民の自立と地域の固い結束と持続的な強い意思、そして、ボランティアの支援、それらをオーガナイズする力、更には、これらを記録として、金銭面でも、HPに、情報公開する姿勢は、全く、新しい「未来に向けた日本人の方向性」を、示唆しているようである。複雑に絡んだ地権者の利害を超えて、地域協同体が、こうしたプロジェクトを、未曾有の大災害の中で、行政の手を借りずに、独自に、組織化し、成し遂げたことは、全く、驚きとしか言いようがない。むろん、行政組織が、崩壊したのであるから、自らの手でしか、再生を図る術がなかったのかも知れないが、それにしても、極めて、短期間で、専門的なノウハウを、分業・協働することで、資金の調達、重機の搬入、土地の開墾、道路整備、開通に、つなげることは、それこそ、プロジェクトX並ではなかろうか?それにしても、住民の知恵とボランティアの支援を結集できれば、道路インフラの整備も、自衛隊の工兵部隊なみに、やれるものなのであることを、改めて、再認識させられる。閉塞感漂う現在の日本の状況の中で、何とも、力強い、明るい話題である!日本人も、まんざら、未だ、捨てたものではなさそうである。こういうノウハウの共有こそが、日本の新しい道筋を照らし出すことではないだろうか?その他にも、漁業復興プロジェクト(わかめ栽培)も、進行中である。

南三陸町の馬場中山地区未来道プロジェクトHP:
http://www.babanakayama.jp/info/miraidou/index.html


ハッキング被害体験をする

2012年01月05日 | 社会戯評
余り、セキューリティーが、良くないので、これまで、SNSやフェースブックは、使用していなかったが、やむを得ぬ事情から、フェースブックに参加したところ、或る日、突然、ADSLの受信が、やたら、遅くなり、どういう訳か、大容量の通信が、受信中である旨の表示がなされた。又、年末、年始の動画入りのクリスマス・カードか、年賀状かと勝手に、想像していたが、何時までたっても、改善しない。ダイアル・アップから変更した格安のADSLサービスだから、基地局から、かなり離れているために、これまでも、ダウンロードのスピードが、東京に較べて、著しく遅いのは分かっていたが、どうも、様子が変である。そこで、管理事務所の光で、受信してみると、無題で、しかも、メール・アドレスの表示のない、無記名の空メールが、意味不明のアルファベットの羅列で、10MBの容量で、送りつけられてきた。しかも、5分おきにである。(受けた時点では、何も書かれていないから、1KB だった。)詳しく、末尾の方を見るとフェースブックのWEBアドレスやCA ZIP Codeの文字が、確認出来る。どうやら、フェースブックの登録時点でのメール・アドレスとパスワードが、何者かによって、非合法的に、漏洩されたようである。むろん、違法行為の報告と同時に、パスワードも変更した結果、この症状は、納まったが、ウィルス・スキャンや、プロバイダーの事前ウィルス・スキャン、更には、拒否メールや迷惑メール設定を、巧妙に、かいくぐって、こうしたハッキングの被害を受けるとは、夢想だにしていなかった。むろん、新聞などでは、熟知していたが、ネット・バンキングのパスワードの漏洩とか、便利さの裏で、全く、危ういものである。余計なことかも知れないが、皆様も、今一度、再確認されては、如何でしょうか?これが、標的型のマルウェーアだったらと思うとゾッとする。被害者が、知らぬ間に、加害者に、転化されてしまう。



旧いリースをDIY作り直す

2012年01月04日 | DIY
朝の散歩途中に、たまたま、道の真ん中に、松ぼっくりがひとつ、落ちていて、何故か、それが、「私を拾って下さい!」というように、こちらを、眺めて呼びかけているようである。確かに、辺りには、車に轢かれて、バラバラに壊れた松笠が、転がっていた。そこで、この気持ちを汲んで、これを持ち帰り、活用することにしてみた。階段の壁に掛けてあるリースが、いつしか、原型をとどめずに、松ぼっくりが、一つ、落ち、唐松の松笠が、一つ落ちと、徐々に、無残に、変わり果てた姿になってしまっていた。そこで、補修・再生してみることにした次第である。もみの木の枝払いの葉が、残っていたので、これを、ベースに差し込み、デザイン的に、バランス良いように、この拾ってきた松笠も、付けてみた。今回は、グルーガンでは無くて、茶色の柔らかいワイヤーで、目立たないように、結びつける方式をとってみた。冬の休みの余戯である。



便利さと正月休み

2012年01月03日 | 社会戯評
子供の頃は、未だ、冷蔵庫が普及していなかったせいか、或いは、ロジスティックが、整備されていなかった為か、年末・年始は、結構、長い休みがあったが、ダイエーだったか、どこかが、元旦も初売りを始めてから、年末・年始も関係無く、店が、開き始めた。前日まで、今年は、ご苦労様でしたと、挨拶してから、数時間しか、経過していないのに、又、新年、開けまして、今年も頑張りましょう式にやるのは、何とも、非合理である。ヨーロッパなどでは、平日でも、6時頃になると店を閉めたり、休日も、休んだりするのに、日本では、売上利益が、減少するからという理由だけで、店を開け、非正規雇用の労働者をベースに、大売り出しを挙行する。何とも、便利さの裏側で、一種の危うさが、窺われてならない。どこまで、経済的合理性とは、そういう便利さを追求するのであろうか?本当に、それが、消費者が望んでいる姿なのであろうか?金属疲労も困るが、もっとも、休みの間中、酒浸りに、なってしまう可能性は、否定できないが、、、、。日本酒・ワイン・中国酒・焼酎(国籍を問わずに)・地ビール等、空になった瓶類が、何とも、虚しそうに、こちらを見ている、、、、、、、。



小水力発電の必要性=1村1自然エネルギー構想

2012年01月02日 | 社会戯評
小水力発電の必要性=1村1自然エネルギー構想
揚水力発電の水を揚げる為にも、原子力発電が、一部、使用されていると言うことを、新聞の記事で、見て、改めて、驚いた。これにより、一部、揚水発電に、支障を来していると、、、、。信州では、最近、小水力発電が盛んで、太陽光発電などよりは、ずっと、小規模の投資で、それなりの効果が見込まれ、普及しだしていると、、、、。これに加えて、バイオマスや、温泉熱を利用した再生自然エネルギーの活用が、普及を目指して、本格的に、支援に、乗りだし、1村1自然エネルギーの構想が本格化しそうであると。考えてみれば、ふるさと創生基金で、作られた温泉施設なども、今から思えば、もっと、こういう構想を早期に、実験的に、実施するためにも、行われても然るべきだったのにと、悔やまれる。原発の事故を契機に、こうした再生自然エネルギーの活用の方向性が、もっと早く、提唱・実現されてもよかったものである。信州は、川あり、温泉あり、好天率も高いのだから、、、、。