福祉として、たとえば「母子家庭」なら「母」の学歴アップの援助はどうでしょう。その気がある人限定ですが、生活費+奨学金で大学とか専門学校にやる、とか。これだと、妊娠したので高校中退、といった人には効果がありそうですが。(実は今日の本の著者は、それで資格を取っています。アメリカだからできたのかもしれませんが、日本でもその手は有効な場合が多いと思えるのですjm)
【ただいま読書中】『図書館ねこデューイ ──町を幸せにしたトラねこの物語』ヴィッキー・マイロン 著、 羽田詩津子 訳、 早川書房、2008年、1524円(税別)
「図書館長」シリーズのあとに読んだ本書は、アイオワ州スペンサーの公共図書館長が書いた本です。
1988年1月18日とてつもなく寒い朝、図書館に出勤した著者は、時間外返却ボックスにとても小さな子猫を見つけました。おそらく誰かが捨てたのでしょう。弱々しく、でも人なつっこい性格の子猫を見て著者はじっくり考え、図書館で飼うことにしました。著者は市長と市の顧問弁護士に確認をし、図書館理事会に話を通します。強硬に反対意見を述べる人もいます(『図書館の死体』の冒頭を思い出します)。アレルギーを懸念する人もいます。それに対して著者は誠実に対応をしていきます。そして「図書館ねこデューイ」が誕生しました(名前の由来は「デューイ図書十進分類法」)。
スペンサーはそのとき厳しい時期でした。1980年代の農業危機の影響で、農作物と農地の値段は下がり、希望を失った人々はアイオワ州から流出していきました。図書館には、職業紹介コーナーが設けられ、無料で使えるパソコンが設置されました。司書たちはそのコーナーを驚くほどたくさんの人が使うことに、気が滅入ります。その雰囲気が、はねつけられても拒否されても、だれか受け入れてくれる手と膝を求めて図書館をうろつくデューイによって変化していきました。子どもたちもデューイに夢中になります。年長の常連は図書館で過ごす時間が長くなっていき、ストレスにみちた顔に笑みが浮かぶことが増え、図書館利用者を対象とした名前付けコンテストで「デューイ・リードモア・ブックス(Dewey Read-more Books)」というフルネームがつけられます。図書館のスタッフの間にも、緊張や対立やストレスがありますが、デューイはそれを自然にやわらげていきました。「共通の友人」によって、スタッフはひとつにまとまったのです。
図書館ねこには特別な資質が必要です。図書館にいることを好むこと、人を好むこと、性格が穏和であること、見かけも重要、トイレのしつけはきちんとできていること、去勢されていること……最後の二つはそのねこ自身ではなくて、周りの人間がするべきことでしたが。
図書館(とねこ)のことを話題にする町民が少しずつ増え、その声が市の上層部に届くようになります。それまで図書館のことを無視していた“長老たち”も、町に図書館がありそこがなんらかの有益な作用を町にもたらしているらしいことに気づき始めます。
著者はシングルマザーで、その当時思春期だった娘との仲はしっくりいっていませんでした。しかしデューイはそれも変化させます。親の仕事が終わるまで図書館で過ごす子どもたちと親の関係にもデューイは影響を与えていました。共通の話題を提供し、離ればなれの時間を共通のものに変えていたのです。
図書館利用者は、1987年(デューイが来る前年)は6万3千人。それが1989年には10万人になりました。デューイの評判は、町から郡、国、ついには海外にまで届くようになります(NHKも取材に来たそうです)。よその郡のあるいはよその州からもデューイと会うために人が訪問するようになります。
時間は流れます。著者の娘は成長して結婚し、デューイはいつのまにか18歳になっていました。老化と病気が彼の肉体を蝕みます。そしてデューイの死。国内外から弔意のメールが図書館に届けられます。
著者は追憶します。自分はデューイを愛し保護していた。しかし、デューイもまた自分を(自分たちを)愛し保護してくれていたのではないか、と。単に「猫かわいがり」のノンフィクションではありません。著者は「全体を見るのが得意」というだけあって、図書館の中だけではなくて外の世界にまで視野を広げています。さらに自身の辛い半生もさらけ出すことで、この物語に深みを与えます(ただし、決してお涙ちょうだい路線にはしていません)。日本でこんなノンフィクションがさらりと登場するようになるのは、いつのことかな、と私はちょっと考え込んでしまいます。「図書館ねこ」という題材だけではなくて、このような書き手にも恵まれなければならないのですが……
【ただいま読書中】『図書館ねこデューイ ──町を幸せにしたトラねこの物語』ヴィッキー・マイロン 著、 羽田詩津子 訳、 早川書房、2008年、1524円(税別)
「図書館長」シリーズのあとに読んだ本書は、アイオワ州スペンサーの公共図書館長が書いた本です。
1988年1月18日とてつもなく寒い朝、図書館に出勤した著者は、時間外返却ボックスにとても小さな子猫を見つけました。おそらく誰かが捨てたのでしょう。弱々しく、でも人なつっこい性格の子猫を見て著者はじっくり考え、図書館で飼うことにしました。著者は市長と市の顧問弁護士に確認をし、図書館理事会に話を通します。強硬に反対意見を述べる人もいます(『図書館の死体』の冒頭を思い出します)。アレルギーを懸念する人もいます。それに対して著者は誠実に対応をしていきます。そして「図書館ねこデューイ」が誕生しました(名前の由来は「デューイ図書十進分類法」)。
スペンサーはそのとき厳しい時期でした。1980年代の農業危機の影響で、農作物と農地の値段は下がり、希望を失った人々はアイオワ州から流出していきました。図書館には、職業紹介コーナーが設けられ、無料で使えるパソコンが設置されました。司書たちはそのコーナーを驚くほどたくさんの人が使うことに、気が滅入ります。その雰囲気が、はねつけられても拒否されても、だれか受け入れてくれる手と膝を求めて図書館をうろつくデューイによって変化していきました。子どもたちもデューイに夢中になります。年長の常連は図書館で過ごす時間が長くなっていき、ストレスにみちた顔に笑みが浮かぶことが増え、図書館利用者を対象とした名前付けコンテストで「デューイ・リードモア・ブックス(Dewey Read-more Books)」というフルネームがつけられます。図書館のスタッフの間にも、緊張や対立やストレスがありますが、デューイはそれを自然にやわらげていきました。「共通の友人」によって、スタッフはひとつにまとまったのです。
図書館ねこには特別な資質が必要です。図書館にいることを好むこと、人を好むこと、性格が穏和であること、見かけも重要、トイレのしつけはきちんとできていること、去勢されていること……最後の二つはそのねこ自身ではなくて、周りの人間がするべきことでしたが。
図書館(とねこ)のことを話題にする町民が少しずつ増え、その声が市の上層部に届くようになります。それまで図書館のことを無視していた“長老たち”も、町に図書館がありそこがなんらかの有益な作用を町にもたらしているらしいことに気づき始めます。
著者はシングルマザーで、その当時思春期だった娘との仲はしっくりいっていませんでした。しかしデューイはそれも変化させます。親の仕事が終わるまで図書館で過ごす子どもたちと親の関係にもデューイは影響を与えていました。共通の話題を提供し、離ればなれの時間を共通のものに変えていたのです。
図書館利用者は、1987年(デューイが来る前年)は6万3千人。それが1989年には10万人になりました。デューイの評判は、町から郡、国、ついには海外にまで届くようになります(NHKも取材に来たそうです)。よその郡のあるいはよその州からもデューイと会うために人が訪問するようになります。
時間は流れます。著者の娘は成長して結婚し、デューイはいつのまにか18歳になっていました。老化と病気が彼の肉体を蝕みます。そしてデューイの死。国内外から弔意のメールが図書館に届けられます。
著者は追憶します。自分はデューイを愛し保護していた。しかし、デューイもまた自分を(自分たちを)愛し保護してくれていたのではないか、と。単に「猫かわいがり」のノンフィクションではありません。著者は「全体を見るのが得意」というだけあって、図書館の中だけではなくて外の世界にまで視野を広げています。さらに自身の辛い半生もさらけ出すことで、この物語に深みを与えます(ただし、決してお涙ちょうだい路線にはしていません)。日本でこんなノンフィクションがさらりと登場するようになるのは、いつのことかな、と私はちょっと考え込んでしまいます。「図書館ねこ」という題材だけではなくて、このような書き手にも恵まれなければならないのですが……