私が子どもの頃、サッカーの日本リーグでは「スイーパー」ということばが盛んに使われていました。お掃除屋のプレイヤーですが、守備陣の一番底にいて、どんなボールでもゴールの真ん前に立ちはだかってはじき返してしまう、という、義経を守る弁慶、といった役割の人です。今だったらオフサイドトラップはどうかけるんだ、が気になりますが、あの頃にはプレイスタイルは今よりシンプルでしたし(ワンツーパスとかダイレクトプレイとかバイサクルシュートとかはまずお目にかかりませんでした)、グラウンドも整備が悪くて(日本リーグをやっていた県立競技場のグラウンドは芝生がでこぼこのハゲチョロでした)、あまり高度な理論は実践できなかったでしょうから、それはそれでよかったのでしょうが。
【ただいま読書中】『サッカー戦術の歴史 ──2-3-5から4-6-0へ』ジョナサン・ウィルソン 著、 野間けい子 訳、 筑摩書房、2010年、4000円(税別)
著者は「戦術(タクティックス)」を「フォーメーションとスタイルの組み合わせ」と定義します。さらにサッカーに含まれる“矛盾”、「美/勝利」「技術/フィジカルの強さ」の組み合わせとバランスが著者には問題となります。
はじめは混沌で、ルールはありませんでした。当然戦術などありません。ルールが整備され、1870年代には選手の配置が意識されるようになっていましたが、現代に通じる「戦術」がギロンされるようになったのは1920年代後半からです。
19世紀後半にスコットランドから「パスゲーム」が登場したときは衝撃だったそうです。それまではボールを持ったフォワードはひたすら突進し他のメンバーがそれを護衛するように周囲に密集する(ドリブルゲームと全員攻撃)、がイングランドサッカーの標準だったのですから。かくして1880年ころには「2-3-5」のピラミッド型の配置が試されるようになります。それに対して“保守派”は「守備要員を置く」こと自体に反対をします。今からは考えられない議論ですね。
南米では“別のサッカー”が生まれていました。凸凹の路地裏で遊ぶ少年たちによる、テクニック重視のサッカーです。1924年パリオリンピックでは、「ボールでチェスを指す男たち」ウルグアイ代表が金メダルを取りヨーロッパに衝撃を与えます。1925年には(得点を増やして試合を面白くするために)オフサイド・ルールが改定され、オンサイドにするために必要なゴールとボールの間の守備側の人数が3人から2人に減らされます。こうして、堅い守備/柔軟な攻撃、個人技/組織、のバランスを探る「戦術」がもてはやされるようになったのです。
アーセナルは1930年頃「3-2-2-3(W−Mフォーメーション)」を採用します。敵を引き込みその後ろにできたスペースを利用してカウンターアタックをしかける戦術で大成功です。ただし、それを真似した他のチームはことごとく失敗しました。戦術にふさわしい選手が配置されていなかったのですから。その結果、守備に偏重したプレイばかりとなり、英国サッカーは衰退します。
ソ連では「W−M」でサッカーの歴史が始まり、ゆっくり「4-2-4」へと進化しました。さらに彼らが見せた自在なポジションチェンジを英国では「全体主義国の歯車の動き」と評し、そこから学ぼうとはしませんでした。そこへハンガリーが「攻撃的ミッドフィルダー」を投入してイングランドを惨敗に追い込みます。イングランドから見たらセンターフォワードの選手がずっと下がり目でプレイをするために、守備が対応できず自由にプレイをさせてしまったのです。
戦術をチームに徹底するのは監督です。本書では監督の重要性(と世間での過小評価ぶり)が繰り返し説かれます。
ソ連のマスロフ監督は「4-4-2」システムを採用しますが、それは中盤でボールと敵を追い回すプレッシングで、後日オランダで有名になったトータル・フットボールの原形でした。イタリアでは(悪名高い)カテナチオ(かんぬき)システムが使われます。
そして1960年代、オランダではプレッシングと前に出るスイーパーというアイデアの組み合わせにクライフという才能を得ることでトータル・フットボールが出現します。これは「全員が攻撃する」だけではなくて「全員が守備をする」フットボールです。
先月26日に読書した『砂糖をまぶしたパス ──ポルトガル語のフットボール』でも取り上げられていた1970年メキシコW杯、本書では月面着陸と絡めて語られます。その時の「素晴らしい才能の選手をピッチに放り込んで勝手にプレイさせる」スタイルは、1982年に(ジーコらの「黄金の四人」のブラジルチームの失敗で)“死”にます。すでにこの時代には、システムを無視したフットボールは成立しなくなっていたのです。
ただ著者はがちがちのシステム論にも警鐘を鳴らします。以前私も聞いたことがある「シュートはパス3回以内に打ったら成功する確率が高い」という説も、統計的にその根拠が怪しいとページを割いて詳しく述べています。私は「固定したシステム論で勝てるほどフットボールは甘いものではない」と直感的に著者の姿勢を支持してしまいますが。結局攻撃と防御は、戦術と対抗戦術、それに対する戦術、という繰り返しで進歩(変化)し続けるものなのでしょう。そしてそこにアクセントを付けるのが、少々のシステムなんか突破してしまう“スーパースター”。
本書は、固定的に語られやすい「フォーメーション」を“ソフトウエア”として語り、同時に、イングランドサッカーへの愛情(と、かつての栄光を失ったことへの哀切の気持ち)を、フットボールの戦術の進化の歴史を追うことで告白しようとする、ちょいときわどい地点への“パス”を狙った本です。すぐに話がイングランドに行くのが頬笑ましく読めますが、同じように日本のサッカーについて書こうと思ったら、あと百年の歴史の蓄積が必要かな。
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【ただいま読書中】『サッカー戦術の歴史 ──2-3-5から4-6-0へ』ジョナサン・ウィルソン 著、 野間けい子 訳、 筑摩書房、2010年、4000円(税別)
著者は「戦術(タクティックス)」を「フォーメーションとスタイルの組み合わせ」と定義します。さらにサッカーに含まれる“矛盾”、「美/勝利」「技術/フィジカルの強さ」の組み合わせとバランスが著者には問題となります。
はじめは混沌で、ルールはありませんでした。当然戦術などありません。ルールが整備され、1870年代には選手の配置が意識されるようになっていましたが、現代に通じる「戦術」がギロンされるようになったのは1920年代後半からです。
19世紀後半にスコットランドから「パスゲーム」が登場したときは衝撃だったそうです。それまではボールを持ったフォワードはひたすら突進し他のメンバーがそれを護衛するように周囲に密集する(ドリブルゲームと全員攻撃)、がイングランドサッカーの標準だったのですから。かくして1880年ころには「2-3-5」のピラミッド型の配置が試されるようになります。それに対して“保守派”は「守備要員を置く」こと自体に反対をします。今からは考えられない議論ですね。
南米では“別のサッカー”が生まれていました。凸凹の路地裏で遊ぶ少年たちによる、テクニック重視のサッカーです。1924年パリオリンピックでは、「ボールでチェスを指す男たち」ウルグアイ代表が金メダルを取りヨーロッパに衝撃を与えます。1925年には(得点を増やして試合を面白くするために)オフサイド・ルールが改定され、オンサイドにするために必要なゴールとボールの間の守備側の人数が3人から2人に減らされます。こうして、堅い守備/柔軟な攻撃、個人技/組織、のバランスを探る「戦術」がもてはやされるようになったのです。
アーセナルは1930年頃「3-2-2-3(W−Mフォーメーション)」を採用します。敵を引き込みその後ろにできたスペースを利用してカウンターアタックをしかける戦術で大成功です。ただし、それを真似した他のチームはことごとく失敗しました。戦術にふさわしい選手が配置されていなかったのですから。その結果、守備に偏重したプレイばかりとなり、英国サッカーは衰退します。
ソ連では「W−M」でサッカーの歴史が始まり、ゆっくり「4-2-4」へと進化しました。さらに彼らが見せた自在なポジションチェンジを英国では「全体主義国の歯車の動き」と評し、そこから学ぼうとはしませんでした。そこへハンガリーが「攻撃的ミッドフィルダー」を投入してイングランドを惨敗に追い込みます。イングランドから見たらセンターフォワードの選手がずっと下がり目でプレイをするために、守備が対応できず自由にプレイをさせてしまったのです。
戦術をチームに徹底するのは監督です。本書では監督の重要性(と世間での過小評価ぶり)が繰り返し説かれます。
ソ連のマスロフ監督は「4-4-2」システムを採用しますが、それは中盤でボールと敵を追い回すプレッシングで、後日オランダで有名になったトータル・フットボールの原形でした。イタリアでは(悪名高い)カテナチオ(かんぬき)システムが使われます。
そして1960年代、オランダではプレッシングと前に出るスイーパーというアイデアの組み合わせにクライフという才能を得ることでトータル・フットボールが出現します。これは「全員が攻撃する」だけではなくて「全員が守備をする」フットボールです。
先月26日に読書した『砂糖をまぶしたパス ──ポルトガル語のフットボール』でも取り上げられていた1970年メキシコW杯、本書では月面着陸と絡めて語られます。その時の「素晴らしい才能の選手をピッチに放り込んで勝手にプレイさせる」スタイルは、1982年に(ジーコらの「黄金の四人」のブラジルチームの失敗で)“死”にます。すでにこの時代には、システムを無視したフットボールは成立しなくなっていたのです。
ただ著者はがちがちのシステム論にも警鐘を鳴らします。以前私も聞いたことがある「シュートはパス3回以内に打ったら成功する確率が高い」という説も、統計的にその根拠が怪しいとページを割いて詳しく述べています。私は「固定したシステム論で勝てるほどフットボールは甘いものではない」と直感的に著者の姿勢を支持してしまいますが。結局攻撃と防御は、戦術と対抗戦術、それに対する戦術、という繰り返しで進歩(変化)し続けるものなのでしょう。そしてそこにアクセントを付けるのが、少々のシステムなんか突破してしまう“スーパースター”。
本書は、固定的に語られやすい「フォーメーション」を“ソフトウエア”として語り、同時に、イングランドサッカーへの愛情(と、かつての栄光を失ったことへの哀切の気持ち)を、フットボールの戦術の進化の歴史を追うことで告白しようとする、ちょいときわどい地点への“パス”を狙った本です。すぐに話がイングランドに行くのが頬笑ましく読めますが、同じように日本のサッカーについて書こうと思ったら、あと百年の歴史の蓄積が必要かな。
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