何日も何週間も前から、ほとんど毎日国会では同じやりとりが繰り返されているような気がします。もういいかげん耳タコの気分なんですが、言う方もくたびれることでしょう。ただ、あれだけ同じことを言うだけなのでしたら、せめて暗誦して、国会の場では原稿なしでぺらぺらしゃべってみせるくらいの“芸”を見せてもらえませんかねえ。主権者および納税者としては、「金返せ」と言いたくなります。
【ただいま読書中】『魔使いの弟子』ジョゼフ・ディレイニー 著、 金原瑞人・田中亜希子 訳、 東京創元社、2007年、1900円(税別)
知らない著者ですが、訳者を信用して読んでみることにしました。
7番目の息子である父さんの7番目の息子であるトムは、独り立ちをするためにその地方の魔使いグレゴリーに弟子入りします。小さな農地を7つには分割できませんから、長男以外は家を出るしかないのです。
取っつきにくい師匠は、最初の夜にトムに、幽霊屋敷での一夜という試練を与えます。いやあ、ここが恐くて、そして笑えます。
面白いのは「魔使い」が「魔法使い」ではないことです。彼らは、見えないもの(残留思念や幽霊)が見える能力を持っていますが、使うのは魔法ではなくて「常識」「勇気」「正確な記録」「鉄や塩や銀などが持つ広く知られた力」なのです。
師匠がトムに与えたのは、最初はボガート(精霊)についての講義と実習です。魔女のような危険なものは後回し、と言っても、第一級ボガートは平気で人を殺す力を持っているから、簡単な相手ではないのですが。
魔使いは「女、特にとんがった靴を履いた女の子には気をつけろ」と厳しく注意をします。しかしトムは、村の娘(それもとんがった靴を履いていて、おばあさんが悪い魔女の)アリスと知り合い、うっかり約束をしてしまい、その結果まずい状況に落ち込んでしまいます。とってもまずい状況に。魔使いは出かけていて、自分で何とかするしかありません。トムは単独で恐怖の魔女と対決することになってしまいます。まだ“授業”“修行”はそこまで行っていないのに。
なんとかそこから抜け出すことができたトムですが、そこでまた過ちを犯し、さらにまずい状況に。
戦ったら相手の方が圧倒的に有利な状況でも、正しい知識と勇気だけをたよりに立ち向かうトムの姿を見ていて、「サイボーグ009」で、009が自分よりも能力が高い敵に「加速装置の他にどんな能力があるんだ?」と聞かれて「あとは、勇気だけだ」と答えるシーンを思い出します。これは児童文学の“王道”を行く作品と言って良さそうです。ただ、魔使いの孤独(悪いものと戦って人々の役に立っているのに、その悪いものと近いがゆえに人々から排斥される)を描いた部分は、子供には(もしかしたら大人にも)重すぎるかもしれません。